零極滅消サーガ ~古代の電流術を受け継いだ高校生は、歴史の裏で世界を守る~

やまのてりうむ

第1部:影の胎動

第1章:兆候

第1話:埠頭に降る冷たい閃光

 ――二〇二五年、秋。

 横浜、本牧埠頭。


 バチィッ!


 網膜が焼き切れるほどの青白い閃光が、巨大な倉庫の闇を裂いた。人の形をしていた“それ”は、悲鳴を上げる間もなく黒い炭の塊へと姿を変え、まるで砂の城のようにサラサラと崩れ落ちていく。

 鼻の奥を、ツンと刺激するオゾンの匂い。

 その光景の残像が、彼の脳裏に焼き付いて離れない。


 神原かんばらせん。手入れされていない癖のある黒髪に、戦闘服コンバットスーツを着崩したその姿は、都会の風を切り裂く一匹のけものを思わせる。普段は投げやりな光を宿す瞳が、今はただ、目の前の惨状を映していた。


 冷たい雨が、錆びたトタン屋根を激しく叩いている。倉庫の中は、潮と錆、そして血と、何かが焦げたような異臭が混じり合って淀んでいた。天井に空いた穴から差し込む埠頭の保安灯と、外で明滅を繰り返す緊急車両の赤い光が、内部を不気味に照らし出している。


 閃はずぶ濡れの姿で、倉庫の中央に一人たたずんでいた。視線は、雨水が洗い流そうとしている、床の小さな黒い染みに釘付けになっている。ゆっくりと、自らの右の拳を目の前に掲げた。その手は、微かに震えていた。


(また……やっちまった……)


「また……やりすぎた……」


 絞り出した声は、誰に届くでもなく雨音に掻き消されていく。自分の内に眠る、この制御できない力への恐怖と嫌悪が、冷たい雨と共に心の芯まで凍らせていくようだった。


「感傷に浸っている場合か、神原」


 背後からかけられた声に、心臓が跳ねる。

 傘を差した指揮官――東雲しののめさくが、水たまりを器用に避けながら、冷静な足取りで近づいてきた。非の打ちどころなく整えられた黒髪と、鋭い切れ長の瞳。高価そうな彼のスーツには、この惨状のどこを歩けばそうなるのか、一切の汚れが付着していない。


「公式報告は『ガス管の老朽化による小規模な爆発事故』だ。死傷者はゼロ。お前が“消した”男は、最初からこの世に存在しなかったことになる。……分かったら、後処理を続けろ」


 東雲の氷のように冷たい言葉に、閃は何も答えられない。ただ唇を強く噛みしめることしかできなかった。俺たちが命を懸けて戦った結果が、ただの「事故」として処理される。この虚しさと無力感に、いつになったら慣れることができるのだろうか。


 ――彼の後悔と、新たな疑念の始まりは、わずか三十分前に遡る。


━━◆━━


 偽装コンテナを改造した移動司令室。その内部では、壁一面に設置されたモニター群が青白い光を放ち、倉庫内外の映像、隊員たちのバイタルサイン、暗号化された通信データが、目まぐるしく更新され続けていた。


「対象A、武器バイヤーの護衛を確認。赤外線で捕捉した限り、コンテナの陰にプラス2。報告より多いわね。連中、相当追い詰められてるみたい」


 艶やかな黒髪をポニーテールに揺らし、理知的な細身のフレームの眼鏡の奥の瞳でモニターの情報を冷静に分析するのは、冴島さえじま玲奈れなだ。その声には、一切の焦りがない。


「結構だ。焦りは判断を鈍らせる。我々にとっては好都合だ」


 東雲も、同じようにヘッドセット越しに、淀みない声で指示を飛ばした。その声は、まるで精密な機械が駒を動かすかのように、淡々としていた。


いつき、ポイントB-7の敵性通信をジャミングしろ。圭吾けいご、屋上の監視役二名を始末。……隼人はやと、お前たち『先行班』は私の合図で正面から突入する。決して、ためらうな」


 東雲の言葉に応じ、モニターの一角に表示されていた通信担当者のアイコンが緑に点灯する。そこに映るのは、相葉あいばいつき。色素の薄い茶髪をボブスタイルにした、どこか中性的な顔立ちの少年だ。彼はヘッドセットのマイクに静かに「了解ラジャー」とだけ告げると、手元のコンソールを流れるような手つきで操作し始めた。


「御意」

「任せとけって!」


 圭吾と隼人はやと、二つの対照的な応答が、通信回線を通じて司令室に響き渡る。戦いの前の、静かな緊張が空間を支配していた。


━━◆━━


「へっ、お偉いさん方はいつもご気楽なこった。口を動かすだけで、現場こっちは命懸けだっつーの」


 倉庫の屋根裏、鉄骨の影に潜む葛城かつらぎ圭吾けいごが、誰にも聞こえない声で小さく毒づいた。常に完璧に整えられた黒髪。知性とプライドを感じさせる涼やかな目元。モデル然とした容姿に違わぬ、隙のない佇まいだ。彼の指先から放たれた二条の蒼い電光プラズマが闇を走り、監視役二人の首筋にある延髄を的確に焼き切る。二人は悲鳴を上げる間もなく、崩れるようにその場に沈んだ。その所作は、寸分の狂いもない、完璧な芸術品のようだった。


「行くぞ、ヒヨコ共! 死ぬなよ!」


 地上では、チームの兄貴分である隼人はやとゆずるが、学生チームの先頭に立っていた。少し無造作な髪に人懐っこい笑顔が親しみやすい印象を与えるが、戦闘服コンバットスーツの上からでも分かる厚い胸板とがっしりとした肩幅が、常人離れした鍛錬を物語っていた。頼りがいのある彼の合図で、分厚い鉄製のゲートが内側から爆砕される。隼人はその爆風と破片の中から、雄叫びと共に飛び出した。


 戦いの火蓋は、今、切って落とされた。


「せいやっ!」


 銃弾の雨が降り注ぐ中、それをアクロバティックにかわしながら敵陣に真っ直ぐ飛び込んだのは、チームの紅一点、たちばな陽菜ひなだ。快活なショートカットが、彼女の俊敏な動きに合わせて揺れる。

 舞うように敵の死角に滑り込むと、相手の腕にそっと触れる。その瞬間、彼女の体内から極限まで増幅された生体電流が、触れた半グレの男の神経系に直接叩き込まれ、その自由を奪った。五千年の時を超え、古代メソポタミアの神殿で生まれたという体術、『大地の型』。それは、自らの生体電気を必殺の電撃へと変える、恐るべき絶技だった。


《閃、右翼から増援3! コンテナの陰だ!》


《圭吾、上の足場が錆びてる! 崩れるぞ!》


 後方支援の相葉樹からの思念通信テレパシーが、仲間たちの脳内に直接響き渡る。彼の索敵と思考伝達が、閃たち学生チームの生命線だった。


 そして、彼、神原閃は――。


「邪魔だッ!」


 その声は、怒りというよりも、ただ目的遂行を阻む障害を排除するための、無機質な響きを帯びていた。


 仲間たちが切り開いた道を、閃はただひたすらに、圧倒的なパワーで突き進む。半グレ集団のチンピラどもが盾にする分厚い鉄の扉も、山と積まれた輸送コンテナの壁も、閃の拳の前では湿った紙のように歪み、弾け飛んだ。その姿は、人の形をした破壊の化身そのものだった。


(速く……もっと速く……ターゲットを無力化する……!)


 東雲の命令が、頭の中でリフレインする。感傷も、恐怖も、今は必要ない。ただ、任務を完遂することだけが、彼の存在意義だった。


 追い詰められたターゲットの幹部の男が、最後の抵抗として隠し持っていたリボルバーを抜いた。その銃口が乱れ、放たれた銃弾が、陽菜を庇おうとした隼人の腕を赤く染めた。


「隼人さん!」

「ぐっ……かすり傷だ、気にするな!」


 陽菜の悲鳴と、隼人の苦痛に満ちた声が交錯する。

 それを見た瞬間、閃の中で何かがブツリと切れる音がした。


 それは、仲間を守るための怒りか。

 それとも、全てを焼き尽くすだけの、ただの破壊衝動か。

 彼の右の拳に、地獄の業火が宿り始めていた。

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