アビス・オブ・シコク

全うに生きる

プロローグ 攻略開始

2040年、日本。巨大な地殻変動により四国の一部が沈み、異質な地下迷宮――アビスが出現してから既に五年が経っていた。政府と企業が運営する「リアルゲーム」と化し、探索者(プロスペクター)たちは富と名声のため、あるいは生活のために、今日も深淵へと潜る。


佐伯悠喜さえきゆうき、24歳。彼のランクはBランク。沈没を免れた故郷、香川県から流れ着いた彼は、アビス近郊の仮設都市シェイターで暮らしている。彼の胸にあるのは、英雄になるという夢ではない。アビス由来の病に冒された妹の高額な治療費という、現実的で重い借金だけだ。


「目標はフロア12。**三時間で素材を回収し、**撤収ルートはA-40で」


ユウキはぶつぶつと今日のルーティンを口にし、使い込まれた探索スーツ、【レリック・ハンター】に神経接続を完了させた。彼の装備は中古のジャンクパーツでカスタムされており、最新鋭のSランク装備とは程遠い。だが、そのカスタマイズされた両手首の籠手と両膝の装甲内には、彼だけの切り札、【カンパッド・バレット】が秘められていた。


ゲートをくぐると、フロア12――崩壊した商業ビル群が、アビスの粒子によって異様にねじ曲げられた空間が広がっていた。


ユウキの脳内に、いつものノイズが流れ込んでくる。これは、彼にしか聞こえないアビスの「触覚」だ。通常、モンスターが発するノイズは雑で混沌としているが、特殊な感度の彼の耳にはモンスターそれぞれによってかすかに聞き分けることができる。彼はノイズの波を避けながら、目標の獲物「グラビティ・スラグ」の痕跡を追っていた。


その時、彼のもう一つの能力『ノイズ・リーディング』が警告を発した。


(――なんだ、これ。雑音じゃない。これは、妙に整った高音のノイズだ)


ユウキは反射的に、路地に隠れていた瓦礫の陰から飛び出した。彼の視線の先にいたのは、スラグと、沈没したAI清掃ドローンの残骸が融合した新種の異形だった。ドローンの青白いパーツが、モンスターの体内、心臓の位置でカチカチと不気味な音を立てて脈打っている。


(ドローンのコアが、完全に弱点になっている…!しかも、このノイズは、コアそのものから発せられているはずだ)


彼はパルス・ライフルを構え、電磁遮蔽ステルスを瞬時に起動させる。敵の索敵が乱れた隙に、彼は異形の真横に滑り込んだ。


そして、敵の重力場に耐えながら、体勢を低くする。


カチリ、シュン!


彼の右膝のニーパッドの装甲が、わずかに分離・展開した。


露わになった小型レールガンが、ノイズ・リーディングが正確に示すドローンの青いコアを狙う。しかしユウキは、コアを避け、そのわずか数ミリ横の制御回路を撃ち抜いた。殺傷力よりも、制御を狂わせるためのマーカーダーツだ。


異形は一瞬で動きを止め、内部のノイズが「無音」に帰した。ユウキは迷わずライフルをコアに連射し、処理を完了させる。


特殊な資源結晶を回収しながら、ユウキは展開した膝装甲を元の位置に戻した。


(このフロアで、こんなノイズを発するモンスターは異常だ。誰かが、アビスの変異を意図的に『最適化』しているようにしか感じられない。まるで、誰かの手のひらの上で、このリアルゲームが動いているみたいだな)


彼は、妹の治療費を稼ぐための「いつものルート」から、外れるしかないことを悟った。この異様なノイズを追えば、妹の病の真相、そしてアビスの裏側に隠された陰謀にたどり着くかもしれない。


ユウキは決意を固め、静かに、そして危険な『アビス』の深部へと、足を踏み入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アビス・オブ・シコク 全うに生きる @02262977555913

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ