第十六話  猛将死す

 幼いころから、デンケンハルトとディーゼルはいつも一緒だった。

 共に遊び、同じ学校へ通い、気づけば互いの背中を追いかけるようになっていた。

 十八のとき、ディーゼルが軍人になると言ったとき、デンケンハルトも迷わず志願した、軍人とはどういうものか分からず。

 初陣の日のことは、今でも断片的にしか覚えていない。

 轟く砲声、土を抉る弾丸、耳を裂く悲鳴。

 仲間が次々と倒れていくのを、ただ震えながら見ているだけで、突撃命令が下っても、塹壕から一歩も動けなかった。

 そのときだ。

 遠くの煙の向こうから、走ってくる影が――。

 ディーゼル・レグナーだった。

 恐怖をものともせず、怯える兵を励まし、倒れた指揮官の代わりに部隊をまとめ、指揮まで執っていた。

 俺はただの臆病者だったのに。

 それからというもの、ディーゼルは瞬く間に昇進し、小佐の階級章を胸に輝かせた。

 デンケンハルトは、いつもその背中を見つめおり、一歩先を行く男になっていた。

 二四歳になったころ、二人は西方の東光連合と戦闘の終結のため、前線へ派遣。

 デンケンハルトは小佐に、ディーゼルは中佐に昇進していた。

 各中隊を率いて前線の基地に到着すると、そこには二年前のオールベリンド戦で武勲を上げたアレス准将がいた。

 英雄と呼ばれているが、驕りはなく、むしろ親しみやすい人柄で、誰からも好かれている。

 俺もそうだった。

 威圧せず、見下さず、的確に統率する彼の姿は、誰しもが英雄と呼べるほどだ。

 戦局が激しさを増す中、アレスはある作戦を提案した。

「両側方から攻撃をかけ、敵を中央に呼び寄せる。そして、空いた中央を別働隊が前方から叩き、一網打尽にする」

 司令官も頷く。アレスの名声と実績ゆえに、異論は沸かない、沸くはずもない。

 だが、そのとき――会議の空気を切るように、ディーゼルが口を開いた。

「意見具申します」

 会議は一瞬止まった。司令官とアレスの鋭い視線が、若き中佐に注がれる。

「貴官は?」

「第一中隊、中隊長 ディーゼル・レグナー中佐です」

 司令官が叱責しようとしたところで、アレスは手を上げ制した。

「聞かせてくれ、貴官の案を」

 ディーゼルは地図を指さしながら冷静に説明した。

「ここは森が入り組んでいます。広場で決戦を挑むより、森へ誘い込んで各個撃破する方が、味方の損耗を抑えられます」

「こちらの支配領域の深くまで侵入させる、と?」

「はい。そうすれば敵が分断され、連合も統制を欠いて攻勢を続けられなくなるはずです」

 アレスは一瞬、顔をほころばせた。もっと簡単な策があったのかと軽く笑う。そして、ゆっくりと言った。

「いやーすまない。分かった。よし、貴官の策を採用する。実行に移そう」

 地図を触り、部隊の移動を指示する。

 中隊の移動時間になり、デンケンハルトも仲間を連れて、移動を始めた。

 地図の上をなぞりながら、部隊の配置と進軍経路を確認する。

 出発の号令がかかり、中隊ごとに部隊が動き始めた。デンケンハルトも仲間を率いて持ち場へ向かおうとした、そのとき――。

「デンケンハルト!」

 背後からディーゼルの声が飛んだ。

 振り返ると、いつもの落ち着いた顔でこちらを見ている。

「どうした? わざわざ」

「今回の作戦――敵大将の首はお前が取れ。俺の立てた策通りなら、敵将はお前の持ち場に現れるはずだ」

 一瞬、意味が掴めなかった。

 まるで功を譲るようなその言葉に、デンケンハルトは眉をひそめる。

「おい、俺はおこぼれを貰う気は――」

「いいから、黙って聞け」

 ディーゼルの声には揺るぎがなかった。

 腕を組んで、空を見上げている。

「俺はな……お前と一緒に上に行きたいんだ。お前と肩を並べて戦いたい」

 その言葉に、胸の奥が熱くなる。

 武人としては屈辱的な申し出かもしれない。だが――それ以上に、友としての想いが伝わった。

 だから、俺は――。


「敵将は、デンケンハルト少佐が討ち取ったぞーー!!」

 戦の終焉を告げる声が、戦場に響き渡った。

 東光連合との戦いの後、二人はアレス准将の執務室に呼ばれた。

 机の上には作戦図が広げられ、アレスは二人を前に穏やかに微笑む。

「今回の働き、見事だった。二人の才覚、そして信頼の強さには惚れ惚れする。

 それでな――私の部隊に来てほしい」

 二人は一瞬、顔を見合わせた。驚きと喜びが入り混じった表情。

 まさにこれこそ、“肩を並べて戦う”ということなのだろう。

「今すぐ返事をしなくとも――」

「「喜んで!」」

 まるで打ち合わせたかのように、二人は同時に答え、同時に敬礼した。

 こうして、ディーゼルとデンケンハルトはアレス麾下に入り、数々の戦場を駆け抜け、帝国の英雄の配下として名を上げていくことになる。


 ああ、俺は何を思い出していたのだろうか。

 これは走馬灯か――俺は――。


 大木にもたれかかるように、デンケンハルト・ヴテロスは息を引き取った。


「あっ、しまった。つい、本気で顔を蹴ってしまった!」

 アナスタシアは軽やかに歩み寄り、死骸を左右にくるりと揺らしてみせる。起き上がる気配はない。

 指先に付いた血をぺろりと舐め、その味を確かめるように目を細めた。

「やはり、まずい。筋肉質だから美味い肉だと思ったんだけど……まあ、いいや。こいつは熊の餌にでもしてやろう」

 アナスタシアはそう言い捨てると、足取りも軽くその場を離れた。

 周囲では親熊と仔熊が、倒れた者をむさぼるように貪っている。

「さあて、ヴィクターの肉を食べさせてもーらお」

 そうつぶやきながら、彼女はスキップするように森を抜けていった。

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