第十四話 毒牙にかかる
「――なるほど。では、貴官は止めたのだな?」
受話器越しから、冷ややかな声が落ちてきた。
「ええ。あの状況下での射殺は、まずあり得ません。
いくら領地内に侵入していたとしても、警告なしの発砲など国際法の無視です。下手をすれば、帝国は国際社会から弾かれます」
すでに弾かれているいますが。
そう言いたくなったが、心の中に止めておく。
「……それを貴官に言われるまでもない」
声の温度がさらに下がる。
「では、ディーゼル少将の暴走が今回の発端――そう考えてよいか?」
「はい。アレス閣下が最終的に許可を出したとはいえ、実際に押し切ったのはディーゼル少将だという見方が強いと思われます」
その言葉のあと、数秒間の沈黙が流れた。
無音の中で、受話器の向こうにいる相手が何かを計算しているのが伝わってくる。
「情報提供、感謝する。ヴィクター中尉。カルステン先任参謀にも伝えておこう」
「お待ちください――一つ、伝えておきたいことが――」
そのあと、通信を終了し、受話器を降ろした。
受話器を見つめながら、ヴィクターは小さく息を吐く。
背後で腕を組んでいたアナスタシアが、静かに歩み寄った。
「本当に、よかったのか? 伝えて」
「何が言いたい?」
「それを参謀本部に報告した時点で、もう後戻りはできない」
ヴィクターはその言葉にふっと笑った。
「今さらだ。お前と契約した時点で、もう地獄行きの切符は買ってる」
「……そうだったな」
アナスタシアの瞳が、わずかに細められた。
それから一週間後。
バラモンド要塞の正門前に、黒塗りの豪奢な車が二台、砂埃を上げて停車した。
門兵の号令とともに、将校たちは整列し、誰が降りてくるのかと息を潜める。
ヴィクターをはじめ、アレス、ディーゼル、デンケンハルトら主要将校も顔を揃えていた。
「一体、誰なんだ? あんな車、帝都でもそう見ないぞ」
「アレス中将も、ついさっき知らされたらしい」
「偉そうにしやがって……」
小声で囁き合う将校たちを、ディーゼルが鋭い眼光で一瞥し、すぐに静寂が戻る。
やがて、車のドアが重々しく開き、軍帽をかぶった二人の将校が姿を現した。
一瞬、誰もが首をかしげたが、胸に輝く階級章を目にした途端、列の全員が直立不動となる。
「突然の訪問で失礼する。――帝国参謀本部、ハイリンケルン・カルステン先任参謀だ。初めまして、アレス中将」
カルステンはゆったりとした動作で右手を差し出した。
周囲の将校たちは明らかに動揺している。
無理もない。参謀本部の上級将校が、最前線の要塞まで足を運ぶなど、前代未聞のことだ。
それに、このバラモンド要塞の人事権を実質的に握っているのは参謀本部。
一言の失言が、どうなるかここに居る皆、理解していた。
「いえいえ、とんでもありません。何もないところですが、どうぞごゆっくり視察を」
ヴィクターが赴任してきた当時とは対応が違った。
癇にさわったが、今は静かにしておく。
「そう、かしこまらなくて結構です」
カルステンは軽く首を振った。
「今日は視察に来たわけではありませんので」
「……は?」
アレスがわずかに眉をひそめた。意味を掴めない様子だ。
「――ジョゼフ中佐」
カルステンの言葉に、背後の副官ジョゼフ・マッキンゼー中佐が一歩前へ出る。
――あれが、ジョゼフ中佐か。
ヴィクターは遠巻きに見ながら思った。電話越しでは冷淡な人だと思っていたので、少し意外だった。
黒革の鞄を静かに開き、彼女は中から数枚の書類を取り出す。
カルステンに見せるのかと思いきや、そのまま素通りし、列の先頭に立つディーゼル少将の前で立ち止まった。
「ディーゼル・レグナー少将。先の難民に対する射殺命令、並びに東光連合との内通の疑いにより、拘束いたします」
その言葉に、場が凍りつく。
ディーゼルは一瞬、意味が理解できないような顔をした。目の前に突きつけられた逮捕令状。
――そして、その沈黙を破ったのはアレスだった。
「待て! それは誤りだ! 射殺命令は私が出した!それにあれは難民と決まったわけでは――!」
声が震えている。怒りと恐怖とで。
「すでに調査済みで、ここへ来る前に、遺体を確認してきました。武器のようなものは携帯していなかった。一食分の食材だけ抱えてこちらまで来たのでしょう」
「だとしても、ディーゼル少将には責任はないはず!」
それに、ジョゼフが静かに問い返す。
「部下の進言を押し切って命令を下したと報告を受けていますが?」
その言葉に、動揺していたディーゼルの視線がヴィクターを射抜いた。
「……あの場では、ディーゼル少将の判断が正しかった!」
「そう思っていたのは、あなた一人だけでは?」
彼女の目が列の後方に向けられる。
他の将校たちは目を逸らし、関わらないようにしていた。参謀本部には逆らえないのだ。
「彼らも、『射殺は早計だった』と証言しています」
「いや――!それは私の責任だ! 処罰するなら私を処罰しろ!」
「それだけなら、まだ降格で済んだでしょうけどね」
アレスが息を呑んだ。
ジョゼフはまだ二つ目の罪を口にしていない。東光連合との内通のことを。
「東光連合との内通をどう説明するんですか?」
「レグナーが、そんなことあり得るはずないだろう! 東光連合など遥か西方の国だ。彼がわざわざ裏切る理由などあるものか!」
必死の反論をよそに、ジョゼフは面倒くさそうに書類の束を捲る。
「先週、東光連合との暗号通信が八件。すでに声紋鑑定で本人と確認されています。内容には、要塞配置、燃料備蓄量、さらには司令官クラスしか知り得ぬ情報まで。アレス中将、彼は帝国を売ったのです」
アレスの膝が地面に落ちた。
長年の友を信じられず、ただ呆然と見上げる。
動揺して押し黙っていたディーゼルは、彼女に近づいていった。
「嘘だ……そんなはずがない……」
「証拠がこれだけ揃っても、まだ否定しますか?」
「俺はやっていない!それにいつの話なんだ!」
「今、ここで弁明しても意味はありませんよ? 我が帝国において、裏切りは何を示すか理解してますよね」
「貴様――!」
ディーゼルは怒号を上げ、拳を振り上げた。
「動くな」
鋭い声とともに、軍刀が閃く。
銀の刃が、彼の喉元にぴたりと突きつけられた。
「一歩でも動けば、貴様の首が飛ぶぞ」
静寂の中で、ひとりの男が進み出た。
一体いつからいたのか、皆、驚愕した。そこには誰も居なかったはず。
黒い軍帽にきっちりとした軍服に身を包んだ男。顔は軍帽の陰になり、しっかりとは判別できない。
「その辺にしておけ。――クリトネフ警察部長、ディーゼル少将を連行せよ」
命を受けた憲兵たちが、暴れるディーゼルを押さえつける。
両手両足を拘束し、抵抗する間もなく車の中へと放り込んだ。
アレスはなおも呆然と立ち尽くしていた。
ヴィクター視界の端に、その軍刀を持った男――帝国秘密警察を統べるアドルフ・クリトネフが映る。
車に放り込まれる前、ディーゼルの涙が混ざった眼光がヴィクターを睨んでいた気がした。
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