抜け殻
寝火
0日目. 成人病
電車が住宅街の真ん中を突っ切る急勾配を下り始めると、ものの二十秒もしない内に窓の外の景色は暗闇に染まる。
『まもなく終点、つくば。つくば。お出口は――』
そんなアナウンスが車内に流れ、乗客が示し合わせたように最寄りの出口に集まり始める。ドアが開いてホームに人の波がなだれ込み、互いが互いをもみくちゃにしながら上の改札階を目指す。
六月十二日水曜日。時計の針は七時五十一分を指している。
人の流れに乗って地上に上がった僕、
『気を付けてお帰りください』
人の気を知らない精算機の自動音声を背に、高校入学と同時に買った、六段階あるギアが五から動かない中古の通学自転車に跨り、学校までの四キロ強の道のりを思って肩を落とす。
典型的な、一般的に思い描かれる学生生活である。退屈で、なんの変哲もない、しかし見方を変えれば理想的な、そんな生活。
通っている県立
自分の教室である一年五組のドアを開け、将棋で言えば七五の自分の席に座ると、将棋で言えば七四の席である
「いや、藤野よ、やっぱりさ、この学校には刺激が足りないと思うんだよ」
「文頭にいやを使えるのは会話の途中限定じゃないか?」
てきとうに言葉を返しつつ、荷物を片付ける。
「例えばこう、なんか訳ありそうで、誰もが認める容姿端麗なんだけど、どこか抜けてる二個年上の女の先輩が突如転校してくるとか」
「もしそうなったら僕らの学校生活は天国だろうが、二個年上って言ったら高三だぞ?そこまで来て転校してどうするんだよ」
願望を淡々と切り伏せると、返す言葉がなくなったのか鷺沼は顔をしかめ、
「かー!夢がないねぇ藤野君はさ!もっとこう、男のロマンを追ってこうぜぇ!?ロマンを!」
と、ついにロマンの話を持ち出してきた。
朝から脳がおかしくなりそうな鷺沼の主張をよそに荷物を片付け終わり、担任が入ってくるのを待っていると、ピンポンパンポーンと、校内アナウンスを知らせる上げ調子のメロディーがスピーカーから流れた。
『えー、生徒の皆様に連絡します。本日、臨時の全校集会を行います。速やかに体育館に集まってください』
ピンポンパンポーンと、今度は下げ調子でメロディーが流れた。
「臨時集会?」「帰れんのか?」などなど、クラスメイトが各々思うことを漏らしながら、続々と体育館に向かい始める。
「良かったな。多少なりとも刺激が生まれたぞ」
そう、ポカンと口を少し開けてスピーカーを見つめている鷺沼に声を掛けると、鷺沼は表情を崩さずに僕の顔を見つめ、
「いや、俺は自分好みの転校生が来ないと刺激を感じないので」
と、言い放ってみせた。
「ただ美人なお姉さんに夢見てるだけじゃねぇか」
僕は思わずツッコまずにはいられなかった。
「えー、最近は、皆様の学力が少し落ちているようで━━」
三分ほど前から続く校長の長話、というか生徒への不平不満は、依然着地点を見つけないまま体育館の宙を漂い、生徒の虚ろな視線がその漂う虚無に向けられている。
「なぁ、鷺沼」
「なんだよ藤野」
「わざわざこんなクソくだらない話をするために俺らを呼んだわけじゃないと思うんだがどうだ?」
「そうであって欲しいなと思うんだがどうだ?」
僕ら二人も周囲同様、正面の高い壁を無意味にみつめる。
「━━えーまあ、最近は学生の自殺未遂の件数が格段に高くなっていると言いますから━━」
不意にその言葉が僕の耳に入る。
自殺未遂?
「そうなの?」
「あー、らしいな。なんか局所的?とかで、先月は三千件ぐらいあったってニュースで言ってたぞ」
「ほーん。皆、思い詰めてんだな」
自分にも悩みぐらいはある。だが、自殺まで行くほどの悩みではない。
「人よりラインが高いのかねぇ」
「ん、なんか言ったか?」
「いや、なんでも」
あれ、そういえば「さっきお前、局所的って言ったよな?それどういうことだ?」
「そのまんまだよ。その市の中だけとか、ある学校の生徒だけとか。あれ、それこそ先月の件ってお前の家の辺りじゃなかったけ?」
「はあ?マジで?」
「━━えー、これから夏真っ盛りということで、体調に気をつけるように。以上」
校長が締めの挨拶を終え、一礼してステージを降りた途端、体育館中に生気が戻った気がした。
僕も大きく伸びをして、「俺の転校生青春ライフが・・・・・・」と鷺沼が落とした肩を「当てが外れたな」と軽く叩いてやる。
「しっかしなんだったんだこの集会は?期待を返せよ。ついでに俺の青春も」
落胆が八つ当たりに変異した鷺沼に対して、元から奪われてないだろという言葉を飲み込み、制服についたホコリを払って「帰ろうぜぇ」と声をかけたところで、「あぁちょっと待ってください皆さん!」とスピーカーから声が響いた。
一斉に会話が止み、声の主であろう若い女性教師が教壇に立った。その隣に━━
「おいおいちょっと待ってくれ、あれはもしや幻の・・・・・・!」
━━
「えー突然ですが、転校生を紹介します。というかそれが集会の目的だったんだけど」
最後に何か小さく早口で付け足して、その先生は衝撃の事実を告げた。
「というかあの先生誰だ?分かるか鷺沼?」
横を向くと、だらしなく口を全開にしているソイツがそこにいた。
「おい鷺沼。目を覚ませこの野郎」
側頭部に一撃手刀を入れると、「んガッ」と目をパチクリさせて鷺沼は意識を取り戻した。「あんだって?」
「あの先生誰だ?」
教壇の上で転校生のプロフィールを読み上げる、丸メガネをかけた、髪の短い、気弱そうな例の女性教師を指差す。
「えっと?あー、
やけに詳しいことに少し不気味さを感じるが、「ありがとう。よく知ってるな」
「おうよ。でもなんだお前、ああいう人が好みなのか?教師はやめておけよ。分かるけどな。金山先生美人だし、それに━━」
ああそれいらん。聞いてない。と、ここでプロフィール紹介が終わったようで、転校生がマイクの前に立った。
「おい、転校生話すっぽいけど聞かなくていいのか?」
「俺的には髪は長い方がって、え?マジで?聞く聞くぅ」
本当に人生楽しそうなやつだと思う。見ていて愉快だ。
マイクの前に立った転校生は、遠くから見ているせいか、かなり長身に見える。百七十二、三センチはありそうだ。天井のライトが反射して、パッと見れば金髪と見間違えるほどに明るい髪色をしていた。
「あっ、えっ、と」
高いとも低いとも言えない、しっかりとした、よく響く声がスピーカーから流れた。
周囲の何人かの男子の心が何かに貫かれた音がした。
「
またも何人かが犠牲になったようだ。
もちろんこのバカも・・・・・・。
そう思い横を見ると、件のバカは案外なんとも無さそうだった。
「珍しいな。一発ノックアウトかと思ったのに」
感心の視線を向けると鷺沼は「チッチッチ」と指を振り「俺は目が肥えてるんでね」得意げに言って見せた。「やっぱ容姿端麗な年上のお姉さんでなくてはな」
「紹介にもありましたが、歳は十七で、高三です」
「だってよ。容姿端麗な年上のお姉さんじゃねぇか」
少し鷺沼の表情が固くなる。「いやでも、なんか訳ありそうじゃないとね」
「まあ、色々あって転校してきました」
「ふーん、なんか大変そうだな。なあ鷺沼?」
さらに表情が固くなる。「いや!俺はどこか抜けてないと認めんぞぉ!」
「えっと、これからよろしくおねガッ」
転校生の下げた頭が、佇むマイクにクリーンヒットした。打撃音が体育館に響く。
「あれま。痛そうだな。なあ鷺沼さんよぉ!?」
「俺は、もうダメだぁ・・・・・・」
フッ。破壊完了。
何に射抜かれたのか頭を抑えて体を丸める鷺沼を見て、僕は密かに笑みを浮かべた。
その日の帰り、揺れる電車の中で『自殺未遂 学生』とスマホで検索をかけてみた。
『ニュース』のリストを開くと、確かにここ五年ほど、学生の自殺未遂の件数が右肩上がりらしい。様々な憶測と研究結果が飛び交っているが、結局原因は不明。実際に未遂を起こした学生へのインタビューも、「悩みやプレッシャーに耐えかねた」と答えられるのがほとんどで、愉快犯のような類でもないらしい。
不思議なこともあるもんだ。まるで洗脳でもされてるみたいじゃないか。
『守谷ー、守谷ー、お出口は右側です━━』
ドアが開き、乗車客の迎えで電車を降りると、休憩所のベンチに座る学生の姿が目に入った。
頭をガックリと前に落とし、長い後ろ髪を垂らして両手で額を支えるその様は、いかにも迷っていると言った様子だ。よく見ればうちの学校の制服を着ている。
同じ学校で自殺者なんて出たら、絶対に面倒くさいことになるに違いない。
それはマズイ!
その一心で、僕はその人に声をかけた。「あのー、」
「大丈夫、ですか?」
ワンテンポ遅れて、その人は頭を上げて僕を見た。生気のない、黒くて暗い目をしていた。
というか、どこかで・・・・・・。あ、
「・・・転校生の、えっと、六夜先輩、ですか?」
名前が呼ばれたことに驚いたのか、彼女は目を丸くして、視線で僕の輪郭をなぞった。
「君は・・・・・・」
彼女はゆっくりと口を開いた。体育館で聞いた声とは違い、妙に大人びた、弱々しい声だった。「そうか、私の新しい学校の子か。名前は?」
え?名前?
「
「そうか、ケイか」
彼女はうわ言のように何度も「ケイ・・・ケイ・・・」と僕の名前を繰り返すと、
「うん。いい名前だね」
と、穏やかな笑みを向けてきた。
「そりゃどうも。えっと・・・六夜先輩は」
「咲でいいよ。あ、さんはつけてね」
「・・・咲さんはなんでここに?」
「家がこの辺だから?」
・・・・・・
「じょーだんだよ。そんなにゲンナリしなくていいじゃないか」
まったくもう、と咲さんはケラケラ笑う。その笑顔がまた美人で、鷺沼含む馬鹿どもがイチコロだったことも頷ける。
「・・・悩んでるんだ」
「悩んでる?」
「そう。悩んでる。途方に暮れてるって言ったほうがいいかな」
そう話す彼女が抱えている苦悩はきっと、転校してきたばかりで不安だとかそんなありきたりな悩みではないのだろう。
心底参っているような、疲れ果てて悩み果てたような穏やかな
「簡潔に言おう。私は人を殺した」
「・・・へ?」
「これまでにおよそ七万人を。正確には"殺しかけた"」
思考が止まる。休憩所の外では電車の接近アナウンスが流れ、ホームドアの前に人が溜まり始める。
七万人を殺しかけた?まだ十七だろ?一年に、えーっと、とにかく現実性もクソもあったもんじゃない。
「・・・初対面の人に冗談はちょっと」
「冗談?そう。じゃあホームの先頭の方を見てて、高校生が三人、線路に飛び込むから」
サクさんが指さした方を見ると、確かに高校生が何人か立っている。
「別に立ってるだけで━━」
━━なんともない。と言いかけたところで、列車が駅構内に進入した。
次の瞬間、ついさっき、ほんの1秒前までホームにいたはずの彼らが、ホームドアを軽く飛び越えて、迫り来る鉄の塊の前に身を投げ出した。
声は聞こえないが、ある客は慌てふためき、ある客はホームドアから身を乗り出して何かを叫んでいるのが見える。どこかに電話しようとしている人も、階段を降りて駅員を呼びに行った人も。
そしてそれを嘲笑うように、あるいは哀れに思ってか、列車は容赦なく線路を進む。
突然舞い降りた異変に、そして今まさに起きようとしている凄惨な場面に、この場にいる全員が頭を抱えていた。
僕ら二人を除いて。
「あれ大丈夫なんですか?」「まあ見てなって」
揺るぎない確信の宿った目で、サクさんは事態の一部始終を見ている。まるで未来でも知っているかのように。
果たして彼女の予測は見事的中し、列車は惨たらしい景色をひき出すことなく、ホームの先端手前で停車した。
「見に行こうか」
彼女に手を引かれるままにホームから現場を覗き込むと、例の三人が枕木の上でノびていた。
「・・・マジか」
「マジだよ。さ、行くよ」
「え?ああ・・・」
特に安堵した様子もなく実にあっさりと、彼女はその場を離れて階段を降りていく。丁度、担架を担いでホームに登る駅員とすれ違った。
「これで分かった?」
「はい、まあ・・・」
ザワつく改札前を抜けて、高架下のコンビニに足を向ける。
「ウムム・・・」
「あの、」
声をかけても彼女の目線が菓子パンの棚から動くことはなく、
「なに?」
声だけが返ってきた。
「何であの人たちが飛び込むって分かったんですか?」
そう訪ねると、彼女の体はピクりと震えた。
釘付けにされていた彼女の視線が徐々に僕の方を向き、やがて交わったとき、
「ここを出たら教えてあげる」
と、左手でぐしゃりとメロンパンの袋を掴んで立ち上がった。
「あじゃじゃしたー」
「ちなみに私の家あっちなんだけど」
「あ、僕もです」
ちょっとした飲み屋街の歩道のない道を、僕とサクさんは並んで歩く。
「で、さっきの━━」
「ふぁあふぃひはっへ」
???
彼女は手でちょっと待ての意を示し、
「ふぁはふっへふ・・・途中でしょうが。はい、もう一度どうぞ」
口の中の物を飲み込んで、手を翻して催促の意を示した。
「・・・理由を教えてくれるって、さっき」
「うん。いいよ。じゃあまず前座から、」
「"成人病"って知ってる?」
成人病?
「生活習慣病のことですか?それなら知ってますけど」
「へぇ、今はそんな名前なの。でもそれとは別で、私が勝手にそう呼んでる方だね」
じゃあ知らない。知るわけがない
「成人する前の人、特に高校生に症状が出るかな。原因も、詳しい症状も、そもそも病気であるかも分からない」
一本一本指を立てながら、彼女は淡々と説明を続ける。
「それでも一つ」
そこで言葉を区切り、今までに伸ばした指を畳んで人差し指だけを残すと、
「成人病は伝染する」
声の調子を少し落として言った。
「伝染・・・つまりさっきの人達は・・・」
「正解!いやー物分りがよくて助かるねぇ」
軽いクイズでも出したつもりなのか、彼女はケラケラ笑って再びパンを頬張った。
一度頭の中を整理すると、つまり今自分の隣を歩いている人は、全くの新種の伝染病を持っていて、挙句自分が感染源だと言っているわけだ。
仮に平行世界が存在するとして、ここまで非現実的な世界線が他にあるだろうか。
もうちょっとこう、ありきたりな青春が歩みたかったなあ、と、目の前で降り始めた踏切の遮断器を見て思う。
いやちょっと待てよ?
「その伝染する条件によっては、僕もかかってませんか?」
ふと頭に浮かんだことを聞いてみる。
「え?あー・・・」
やはりサクさんも何かに気づいたようで、点滅する警報機の赤いランプに視線を逸らした。
「えっと、死ぬことはない、と思う・・・多分」
「多分って・・・」
「い、いやまあ?まだなってるかも分からないし?それに・・・」
言葉を区切ると、彼女は俯き、溜め息を一つ吐いた。
「私には、責任を背負い込む余裕はないからね」
自己中心的で無責任なその一言は、目の前を走り去っていった列車のエンジン音で瞬く間にかき消された。
遮断機が上がり、足止めを食らっていた車たちが堰を切ったように流れ出す。
余裕がない、と彼女は言った。つまり、自分が原因で他人が生死の境を彷徨うことになったとしても、やはり自分を後手に回すことはできないと言い切って見せたわけである。なんて自分勝手で自由奔放な言葉であることか。
「・・・そう、ですか」
それしか言えなかった。今の僕は、彼女を咎める言葉も彼女に抱く憐憫の情も持ち合わせていなかった。ただ、歩き出した彼女に半歩遅れてついて行く以外に、すべきことを思いつかなかった。
老いた建物が身を寄せあって形作った旧市街。サクさんの家はその中心の、古い国道沿いにあった。歩道に雨避けを突き出し、正面のほとんどを閉められたシャッターが占有している。
「サクさん、ここの駄菓子屋の人なんですか?」
使ったことは無いが、毎日眺める地元の商店。彼女の家は正にそれであった。
「そうだよ。うちのおじいちゃんが店やってんの。家はこの上」
「へぇ・・・」
世間の狭さに思わず息が漏れた。しかしなるほど。今思えば、この店の名前は「ろくや」であった。もしかして、とも思わなかった僕の頭が足りないと言わざるを得ない。
「んで、これからどうする?」
「どうするって・・・僕は帰りますけど」
「いや、そういうことじゃなくて、私という奇っ怪な存在に出会ってしまったケイはこれからの学校生活をどのように送るのか。そういう話」
「どのようにって・・・」
そりゃ何も無かったことにはできないし・・・何より七万人の命を奪いかけたこの人を放ってはおけない訳で・・・
「とりあえず、友達ということでどうでしょうか」
「ほう。その心は?」
「サクさん、友達いなそうだなって」
見事なローキックが僕の左足に振る舞われた。
「うぐぅ・・・」
脚に走る激痛に思わずうずくまる。
「・・・聞かなかったことにしてあげるよ。わかった。じゃあ明日の十四時に家に来て。作戦会議をしよう」
「はぁ」
「返事ははいだよ」
丸まる僕の体にまたも蹴りが入る。
「ひえぇ手厳しい」
痛む足と横っ腹を擦りながらなんとか立って、それでは、とその場を離れようとすると、
「ケイ!」
と、背後からの声に呼び止められた。振り返った僕に彼女は、
「これからよろしく!」
と親指を立て、ドアの向こうに消えていった。
この時、僕は久しぶりに、少しだけ週末が楽しみになった。
抜け殻 寝火 @Nebi1678
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