一家の恥と言われて追放された辺境の地で、「顔が醜い」と捨てられた令嬢を拾いました。彼女の呪いを解いたら絶世の美女で、二人でしがない診療所を開きました。

田の中の田中

第1話 勘当

ガーランド伯爵家の広大な訓練場。

嫡男である兄ステインが屈強な騎士団員を相手に木剣を振るっていた。

彼の剣は風を切り、重い打撃音を響かせる。

その様子を数人の騎士たちが称賛の眼差しで見守っていた。


「ステイン様、お見事です!その一撃、岩をも砕きましょう!」

「さすがはガーランド家の跡継ぎ!魔物など一ひねりですな!」


ステインは満足げに汗を拭い、豪快に笑った。


「当然だ。この俺の剣に斬れぬものなどない!」


その訓練場の片隅、大きな樫の木陰で、次男である俺、ペレウス・ル・ガーランドは分厚い魔導書を開いていた。

俺は兄とは対照的に、剣よりも魔法、それも人々を癒す白魔法に強く惹かれていた。

古びた羊皮紙に記された治癒魔法の術式を指でなぞり、その理論を頭に叩き込む。


「…なるほど。魔力の流れをこう変えることで、外傷だけでなく内臓の損傷にも効果が及ぶのか…」


俺が独り言を呟きながら熱心に読みふけっていると、不意に頭上に影が落ちた。

見上げると、汗だくの兄ステインが、俺を見下して立っていた。

その表情は侮蔑に満ちていた。


「ペレウスよ。またそんな女子供の戯れ言に夢中か。剣の稽古もせず、ガーランドの名を汚す気か」


ステインの声には、棘があった。

俺は静かに魔導書を閉じる。


「兄上。剣の稽古は今朝方、日の出と共に済ませました。これは、その後の自主的な学習です」


「ほう。あの程度を稽古と呼ぶのか。お前は剣の才能もあるというのに、なぜそれを磨こうとせん。そんな紙切れを眺めて何になる。それで魔物を倒せるのか?国を守れるのか?」


兄は俺の手から魔導書をひったくろうとした。

俺はそれを素早く避ける。


「兄上。この力は、誰かを守るためにあります。傷ついた人を癒す力もまた、剣と同じくらい尊い力だと俺は信じています」


「戯けが!」


ステインは唾を吐き捨てるように言った。


「癒すだと?弱者の言い草だ。ガーランド家の男は、傷つく前に敵を屠るのだ。傷ついた者など、ただの弱者。役立たずだ。そんな奴らを助けて何になる!」


その言葉に、俺はカッとなった。


「弱者だからこそ、助けが必要なのではありませんか!誰もが兄上のように強くはない!病に苦しむ人々も、怪我をした子供もいる!その人たちを見捨てるのが、ガーランド家のやり方なのですか!」


俺の言葉に、ステインは一瞬言葉を失った。

しかし、すぐに顔を真っ赤にして怒鳴り返した。


「貴様…!この俺に説教か!軟弱者が!」


ステインが拳を振り上げる。

俺は身構えた。

だが、その拳が俺に届くことはなかった。


「そこまでだ。ステイン」


低く、威厳のある声が響いた。

訓練場の入り口に、父、ゲイル・ル・ガーランドが立っていた。


父上、ゲイル伯爵はゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

その重厚な足音だけで、訓練場の空気が凍りついた。

騎士たちもステインも、直立不動の姿勢をとる。

父上は俺たちの前に立つと、まずステインの肩を軽く叩いた。


「ステイン。感情的になるな。お前の言うことにも一理ある。だが、弟に手を上げるのは感心せんな」


「はっ!申し訳ありません、父上!」


ステインは素直に頭を下げた。

父上の視線が、次に俺に向けられる。

その目は、まるで氷のように冷たかった。


「ペレウス。お前は相変わらずだな」


その声には、失望の色が濃く滲んでいた。


「父上。俺は…」


「言い訳は聞きたくない」


父上は俺の言葉を遮った。


「貴様が剣の稽古を怠っていないことは知っている。むしろ、その才はステイン以上かもしれん。だが、貴様の心はここにあらず。その魔導書にしか、貴様の魂はない」


父上は俺が抱えている魔導書を指さした。


「なぜだ。なぜ、武門の誉れであるガーランド家に生まれながら、剣の道を究めようとしない。なぜ、人を癒すなどという女々しい術に心を奪われる」


「父上、それは女々しい術などでは…!」


「黙れ!」


父上の一喝が響き渡る。

俺は口をつぐんだ。


「五百年前、我らが祖先は勇者様と共に魔王と戦った。その豪腕で幾多の魔物を屠り、王国に平和をもたらしたのだ。その血を受け継ぐ我らガーランド家の者が、剣を捨てて杖を握るなど、あってはならんことだ。それは、ご先祖様への裏切りであり、一族の誇りを汚す行為だ」


父上の言葉は、正論だった。

この国では、ガーランド家は武の象徴として知られている。

その家の次男が、剣ではなく白魔法に傾倒していることは、多くの者にとって理解しがたいことなのだろう。


「ですが父上。時代は変わりました。魔王はもういません。平和なこの時代に必要なのは、敵を打ち倒す力だけではないはずです。傷ついた人々を助け、支える力もまた、等しく重要だと俺は考えます」


俺は勇気を振り絞って、自分の信念を口にした。


「人を癒すことで、救われる命がある。その笑顔を守ることこそ、今の時代の『武』ではないでしょうか」


俺の言葉を聞き、父上はしばらく黙り込んでいた。

その表情からは、何も読み取れない。

やがて、父上は深く、長い溜息をついた。


「…どうやら、貴様には何を言っても無駄なようだな」


その声は、諦めに満ちていた。

父上は俺に背を向け、ステインに告げた。


「ステイン、稽古を続けろ。ただし、手加減はするな。実戦では、誰も待ってはくれんぞ」


「はっ!」


父上は再び俺の方を振り返る。


「ペレウス。後で私の書斎に来い。話がある」


そう言い残し、父上は屋敷の中へと消えていった。

残された俺は、父上の最後の言葉に、言いようのない胸騒ぎを覚えるのだった。


父上の書斎は、重々しい空気に満ちていた。

壁には歴代当主の肖像画が飾られ、その誰もが厳しい表情でこちらを見下ろしている。

暖炉の火だけが、ぱちぱちと音を立てていた。

父上は大きな執務机の向こうに座り、俺が部屋に入るのを待っていた。

俺が正面に立つと、父上は静かに口を開いた。


「ペレウス。私はこれまで、幾度となくお前に機会を与えてきた」


その声は、訓練場の時とは違い、静かで、だからこそ恐ろしかった。


「お前が幼い頃、初めて木剣を握った時のことを覚えているか。お前は誰よりも筋が良かった。誰もが、お前はステインを超える剣士になると信じていた。私もだ」


「…………」


「だが、お前は我々の期待を裏切った。いつからか、お前は書庫に籠もり、古びた魔法の本ばかり読むようになった。騎士たちとの稽古も、どこか上の空。その心は、常に癒しの魔法とやらにあった」


父上は机の引き出しから、一枚の羊皮紙を取り出した。

それは、正式な書類のようだった。


「私はお前の父である前に、ガーランド伯爵家の当主だ。当主として、家の名誉と伝統を守る義務がある」


父上は立ち上がり、俺の前にその羊皮紙を置いた。

そこには、俺の名前と、「勘当」の二文字が記されていた。


「父上…これは…」


「言葉通りの意味だ。ペレウス・ル・ガーランド。本日をもって、貴様を勘当する。貴様はもはや、ガーランド家の人間ではない」


その言葉は、まるで遠い世界の出来事のように聞こえた。

頭が真っ白になる。


「な…ぜ…です…か…。俺は、ただ、人を助けたいだけで…」


「その考えこそが、我が家とは相容れんのだ!」


父上の声が、初めて感情的に響いた。


「我らは力を以て国に貢献してきた一族だ!施しや同情で、家の誉れは守れん!お前のような軟弱者が家にいること自体が、ガーランド家の恥なのだ!分かったか!」


俺は唇を噛みしめた。

悔しさよりも、悲しさがこみ上げてくる。

俺の信じる道は、この家では決して認められない。


「…分かりました」


俺は、そう答えるしかなかった。


「お前の私物は、侍従がまとめているはずだ。この杖と、わずかな金だけはくれてやる。長年、息子として育ててやった最後の情けだ。有り難く思え」


父上は壁にかけてあった一本の古い杖を俺に投げ渡した。

それは、俺が初めて魔法を使った時に、亡き祖父がくれたものだった。


「今すぐ、この屋敷から出て行け。そして、二度とガーランド家の敷居を跨ぐな。王都でも、私の目の届く範囲で、ガーランドの名を名乗ることは許さん」


父上はそう言うと、椅子に深く腰掛け、目を閉じた。

それは、これ以上話すことはないという、明確な拒絶の意思表示だった。


俺は勘当状を手に、書斎を後にした。

廊下を歩くと、すれ違う使用人たちは皆、俺から目を逸らした。

彼らはもう全てを知っているのだろう。

自室に戻ると、そこには簡素な革鞄が一つだけ置かれていた。

中には、着替えが数着と、あの白魔法の魔導書が入っているだけだった。


屋敷の玄関ホールでは、父上と兄上が俺を待っていた。

二人は、冷たい視線で俺を見下ろしている。

俺は彼らの前で立ち止まり、深く頭を下げた。


「父上、兄上。これまで、お世話になりました」


父上は何も言わなかった。

兄上は、鼻で笑った。


「せいせいするぜ。これでようやく、我が家の恥がいなくなる」


その言葉を背に、俺は屋敷の重い扉を開けた。

外は、もう夕暮れが迫っていた。

俺は一度も振り返らなかった。

振り返ってしまえば、決意が鈍ってしまう気がしたからだ。

祖父の杖を強く握りしめ、俺は歩き出す。

長年過ごした屋敷が、家族が、俺の世界の全てだった場所が、急速に遠ざかっていく。

これからどこへ向かうのか、何をすればいいのか、何も決まっていない。

だが、不思議と絶望はなかった。

むしろ、大きな枷が外れたような、奇妙な解放感があった。

もう誰にも、家の名誉にも縛られることはない。

俺は、俺の信じる道を行く。

傷つき、苦しむ人々を、この手で癒すために。

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