むつ目のこどもたち

あめんぼ

第1話 ナナシノ町

真っ暗な夢。

 暗く、見えない誰かの夢。

 夢だとわかっているのは、いつも私じゃない誰かが泣いている声がするからだった。

 「ごめんなさい……ごめんね……」

 始まりはいつも何かに謝罪していた。

 それは誰に何を謝っているのかすら、私は知らない。

 「ワタシじゃないの……ワタシじゃないのに」

 いつも誰かに謝りながら泣いている。

 どうして一体誰に何をそれほどまでに謝罪しているのか、名前も姿すらわからないのに知らないはずの彼女の言葉に朝目が覚める度に胸が苦しくなっていた。

 かれこれ3か月ほど、同じ夢を見ていた。

 始まりは受験を控えている周りの空気が変わり、無意識下でのストレスなのだろうと思っていた。けれども、同じ夢を数日置きにそれも幾度と同じ暗闇の中で泣き続け、ひたすらに謝罪するそれは普段の自分との差異に疑問を抱くようになった。その夢は最近になって、誰かになにかを訴えるようになりいよいよこれは自分ではないのだと分かった。

 私は自分のことをわかって欲しいと思ったことなどない。

 どれほど図太さを自負する精神があろうとも、毎晩まるで耳元で泣かれているかのように目や耳も塞ぐことのできない状況でひたすら謝罪される、眠りとともに強制的に見せられるソレは確実に私の精神が削られていくようだった。

 その日は普段であれば家で好きなドラマや映画を見たり、受験のための追い込みの復習を行う休日にどうしてもその気力が沸かず、せめてもの抵抗とばかりに天気の良い外へ出ようといつもより少し遠い公園へと散歩に出かけた。


 休日の公園ならばきっと子供で賑わっているだろうと思ってたどり着いたそこは、驚くほどに閑散としていた。

 鬱屈とした気分を明るい人の声のする場所で晴らすために態々足を延ばして来たというのに、目に見えているのは一人だけ。

 休日だというのに、制服を着たブランコを漕ぐ少女。

 「どうして……」

 思わず口に出た言葉は、自分でも驚くほどに弱弱しかった。

 まるで、夢の中の彼女のような。

 そしてその私の言葉が聞こえたかのようなタイミングで顔を上げ、私をみた。

 とても美しい少女だった。

 風に靡く長い髪は腰まで届くかのように真っすぐと黒く、こちらを見つめる瞳は輝くほどの黄金色。

 薄桃色の唇がうっそりと弧を描き、ゆっくりと開いた。

 「それは、貴女の身体じゃないわ。返してあげて」

 音が聞こえたその瞬間、身体に血が通った。

 ブランコからいつの間にか降りたようで、公園の入り口で立ち尽くす私の瞬きの間に目の前に少女が立っていた。離れてみていたからか近づいてきていた少女は思ったよりも上背があり、私よりも頭一つ二つほど離れていた。

 「大丈夫?……ではないようね、少しベンチでお話ししましょうか」

 ふらつく頭は夢うつつだったからか、少女の人離れした美しさに声も出なくなったのか分からないまま導かれるように近くのベンチへと促された。少女はそんな私の様子をまるで気にもしていない様に、私を座らせその横に腰を落とした。

 「いつから眠れていないの?」

 何も話してはいないはずなのに、まるでそれまでおしゃべりをしていてその続きと言わんばかりの言葉だった。しかし、それを疑問に思えるほどその時の私には余裕がなかった。

 「多分、3か月くらい……わからない、もっと前からなのかもしれないけどわからない」

 鈍く痛み始めた頭を抱え思い出そうとすると、なぜか夢の中の暗闇が思い起こされる。

 「そう、辛かったわね。でもそれは貴女の夢じゃないんだから、拒絶していいの」

 「私の夢じゃ、ない……?」

 思わず顔を上げた私の頬に、少女の白く細い手が添えられる。

 「貴女は偶々彼女と形があってしまったのね……同じ年頃、同じ性別、優しい魂だから救いを求められてしまっただけ」

 じっと黄金の瞳が私を通して、を視る。

 「でも駄目よ、この子はアナタでもアナタを嵌めた人たちでもないわ。この子にはこの子の人生があるのだから、助けを求める場所はこの子じゃない、だってアナタを知らないんだもの」

 少女の言葉に、胸が苦しくなる。

 「そう……苦しかったわね、辛かったわね。お母さまひとりを残したことを悔いているのね……」

 息が、出来ないほどの苦しさに喉に爪が。

 「駄目よ、それは貴女じゃない。その苦しさは貴女のものではないわ」

 頬に置かれていた手が、私の喉をそっと撫で空気を導いていく。

 「悔しかった……辛かった……でも、アナタは死ぬべきではなかったわ。少なくともこうして迷ってしまうほどに、アナタは生きたかったのでしょう」

 自分ではない誰かの、涙が溢れて嗚咽が漏れる。

 「名前が思い出せないのは、最後に脳に酸素が回らなかったからね……ずっと暗闇で見えないまま、彷徨ってそんな時この子がアナタの近くを通ってしまった」

 違う、違うの。

 「違わない。」

 だっていつも泣いてくれる、可哀そうだって言ってくれるの。

 「だからといって他人の人生を代わりにするのを見過ごして、はいどうぞと許すことは出来ないわ」

 じゃあどうしたらいいの……もう、思い出せないの。

 「私が知ってる、私が覚えたわ。だからアナタは次のため一度導きに戻りなさい」

 でも、ワタシじゃないの。本当よ、信じて……。

 「視たのだから知っているわ、アナタに罪を被せたごう深きモノは報いが訪れるわ。それは本人にとは限らない」

 本当……?

 「嘘は吐けない性分なの、罪を犯すとはそういうものよ。大なり小なり犯した罪の報いは、本人に戻るとは限らない。いつか幸せを感じたその時なのか、自分の大切なものや人、はたまた次の世まで続く業なのか。それを決めるのは人の物差しでは分からないけれど、アナタが苦しんだ分やその先から生まれた苦しみの分報いは訪れるものなのよ」

 ワタシも、おかあさん泣いてた……謝って、ごめんて……

 「もう大丈夫だと伝えられるように光が見えるほうへ行きなさい。そこからならきっと、声が届くわ」

 目が、もう見えないの……

 「しっかりと耳を澄ませて、アナタが今度こそ穏やかに導かれる方へ手伝ってあげるから唄に流されて往きなさい」

 凛とした空気の音が聴こえた気がした。

 鈴の音と、波音が唄を謡っていた。

 遠いところで、フィルターが掛かっていた思考がゆっくりと明けた。視界に移る二つの黄金。

 気づいたら少女の膝で、眠っていたようだった。

 「ごめんさない……いつの間に私寝ちゃってたんだろ」

 ぼぅとする頭の中、久方ぶりにすっきりとした身体を起こす。

 「少しお話をしていたら、ぱたりと眠ってしまったので勝手ながら膝を貸し付けてみました」

 どこか神秘的な空気を醸す清廉な容姿とは裏腹に、冗談めかした物言いでからからと笑う少女は私の頭をさらりと一撫でするとそっと立ち上がった。

 「よく眠れたなら良かった。ところで、どこまで覚えているかしら?」

 さきほどの空気をさらりと変えたその姿に、思わず息を飲んだもののきっとこの答えはを救ってくれた目の前の少女には必要なものなのだと判った。

 「フィルター越しで曖昧なところもあるんですが、たぶん私の中にいた子を貴女が出してくれたことまでは覚えてます」

 私の言葉に微笑んだ。恐らくは問いにたいして正解の範囲ではあった回答を、答えられたことにほっとした。

 「そう、なら話が早くて助かるわ。貴女、七志乃高校へ進学なさい」

 「え?」

 少女の言葉は予想もしていなかったそれに、言葉が漏れた。

 「申し訳ないけれど、特に希望がないまま勉強しているようだしこれも一つの導きとしてくれないかしら?私としても何度も公園へ通うよりも楽がしたいの」

 「ごめんなさい、話がちょっと見えなくて……高校が、なにかさっきみたいなことに関係があるの?」

 夢うつつの頭を無理やり動かして、どうにか出した言葉と共になにかを感じ取った身体から汗が噴き出す。

 「ただの乗り継ぎ程度ならこんなこと言わなくて済むんだけど、貴女暫くアノ子に身体を貸していたせいで形が出来てしまってるの。簡単に言うとその器に合う魂なら憑りつき放題ってとこかしら?」

 少女から伝えられる言葉に、血の気が引いていく。

 「それと、高校が何に関係があるんですか?」

 「私がいるから。まあ、正確には私以外もいるから貴女にとって損はしない」

 「貴女みたいな人が他にもいるんですか?」

 気づけば私も立ち上がり、少女へ詰め寄った。

 「私みたい、が何を指したいのかは今は問わないであげるわ。少なくとも貴女のソレは私の管轄外だから、高校へこれば誰かがどうにかしてくれるでしょうね」

 詰め寄る私からそっと一歩後ずさり、少女は言った。

 「なら、行きます。特に行きたいところもなかったので丁度いい目標ができました」

 「それは良かったわ。私は山野嵐、ナナシノ高校1年。貴女が入学するころには2年生ね」

 美しい少女、嵐先輩はそっと手を差し出してくれた。

 私はその手を両手で握りしめ、誓った。

 「長月明音、来年ナナシノ高校1年になる後輩です。先輩のことは忘れません」

 「流石に今から気が早すぎないかしら?」

 中学3年の5月。

 将来の夢は高校へ入学すること。

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