鴨川べり

木塩鴨人

第1話 なれそめ

 人生の晩年に、京都はふさわしい街なのかもしれない。その静謐さには、高ぶり荒ぶる気持ちをなだめる魔力があるように感じる。

 思えば、初めて京都を訪れたのは、小学校の修学旅行でだった。定番の奈良・京都、一泊二日。宿は猿沢の池のそばで、子供が普通にそんなものを買える時代で、男子の何人かは木刀を土産に買った。あるいは土地の名の入った三角のペナントを買った。何の変哲もない地方の市で、「旅行」などという洒落たイベントとは縁遠い家庭に育った私には、京都も奈良も、正に夢に見る場所であって、言ってみればパリやロンドンと同じ、かけ離れた異国の地であるように感じられていた。行き帰りのバスの行程は、単なる交通機関ではなく、時空を超えて自分を別の場所に運んでくれる、タイムマシンのようなものだった。子供たちはそれほど幼く、それほど世界に対して無知だった。

 それが、十年もすると、ふらりと出かける旅の地に変わった。京都は海の向こうでも空のかなたでもない、地続きの、数時間でたどり着くことのできる場所になった。

 人は、なのか、男の子は、なのか、行動の範囲が広がったときに、自分の征服できる土地が増えたように感じるのだろう。そして、かつて自分一人では行くことがかなわなかった場所に自力で行けるようになったことに、自分の成長を感じて、自分がたくましい力を持った大人に近づいた気がして、胸に湧き上がる無邪気な高揚感にわくわくするのだろう。かつて子供時代に訪れて以来の駅前の同じ場所で、私は共に出かけた大学の友人と、記念の写真を撮った。

 それでも、やはり、京都の街は観光地であり、旅先であった。まさかその二年後に、自分がその場所に仕事を得、その街で過ごし、天気の良い週末の午前には、目指す場所もなくただのんびりと鴨川のほとりを北上し、特に探す本も無いまま書店の棚の間を歩くような、そんな身に馴染んだ場所になるとは思いもしなかった。その後三〇年を経た今も、私は、異国の、その場所に暮らすことが許された特別な人のように感じられていた「その街の人」に、すっかり自分が加わってしまっているのが、ふと思い返すととても不思議で、とても嬉しいことのように感じられる。

 同じ関西でも、大阪は人が多過ぎる。人の歩く速度が速過ぎる。たまの出張で出勤の時間帯などに出くわすと、私はその人の流れの激しさに突き飛ばされそうな気がして怖くなる。仕方なく流れに乗って歩けば、自然、歩みは早足になり、朝からこんなに急き立てられるようにしていては、今日一日も気持ちがもたないような気分になる。それは、週末に買い物などに出かけた時も同じで、ラッシュ時の激流とは違っていても、やはり道行く人の進む速度は、どこか慌ただしい。それが都会の刺激で、活動的な街の熱なのかもしれないが、私は、どこか息詰まる。大阪と京都には、違う時の川が流れている。いつも、そんな気がする。

 妻とは、この街で出会った。同じ職場に、彼女の方が二年遅れて入って来た。私は公立高校の国語の教師で、彼女は英語の教師だった。彼女が入って来た時、私は三年生の担任で、彼女は進路指導課に置かれた。そして一年後、私は再び新たに入学して来た学年の担任になり、彼女もまた、隣のクラスの担任になった。初めて担任をする彼女は、何かにつけて勝手がわからず、勢い、私は日常的に様々な彼女の質問に答え、時には彼女の代わりに横着な生徒を叱り、時には悩み事に泣き出す子をなだめた。その度に彼女は私に感謝を述べ、そうするうちに次第に互いに心通じるようになって行くのを感じてはいたが、私には、後輩の同僚という以上の関係を求める気持ちは全く無かった。高校でも大学でも、女の子と付き合ったことはあったが、恋人がいないと物足りないとか、早く新しい相手を見つけたいと感じることも無いのだった。友人たちは、よく、

「なんでだよ。」

と、酒の席で私を問い詰めたが、どんなに地面を掘っても水の湧き出ない場所はあるわけで、何度その理由を尋ねられても、困るのだった。私だって、女の子と手を繋げばどきどきしたし、胸に抱いて甘えられれば、幸せな気がした。けれど、それは自然な出会いの中で必然のような進み方でそこにたどり着けば良いことで、人為的な始まり方は、どこか嘘があって危うくて偽りを含んでいて、そんな始まり方には、あの幸福な高まりも感じられないような気がしていた。そんな話をすると、彼らはその度に、

「うげ、お前、中学生かよ。」

と、おどけて、それをひとしきり酒の肴にしたが、そのうちに、それが私のキャラクターとして確定していった。ただ、その代わりに、

「お前は、本当に変わってるわ。」

「お前、童貞じゃないんやろ。そしたら、絶対、女、欲しくなるやんか。思わんの。」

と、理解不能な特異物質のようにからかわれるようになった。とはいえ、それは嘲笑ではなく、どちらかというと彼ら自身を欲望に穢れた者として笑うようで、私は彼らのそういう優しさに、安心して古風な堅物を演じるように、同じ返答を繰り返していられた。

「俺は、普通に自然に横にいて、自然にそんな風になれたら、それでいいんだ。」

 それが一番素直な私の思いだった。けれども、本当は、そんな風にして大学の二年生の春に付き合い始め、初めて肌を合わせた相手に、半年ほどした頃、唐突に、

「ごめん。」

と、一つ上の先輩に思いを寄せていることを告げられたのが効いていた。あんなに自然に心通わせられていたのに、それでもうまく行かないのなら、彼女が欲しいからといっていくらか心惹かれる相手にアプローチして行ったところで、長続きするようには思えなかった。

「結局、振られた傷から立ち直れなかったわけだ。」

と、のちに正直にそれを話した相手には、簡単にそう総括された。

「まぁ、すごくわかるけどさ。俺も経験あるし。」

と、彼はそう慰め、共感してもくれた。

 うん、まぁ、そうかもしれないけど・・。

 私は否定したかったが、言えば自分でも嘘に聞こえるような気がして、黙っていた。

 のちに私の妻になる彼女は、私が言うのも何だが、可愛い子だった。美人、と言ってもよかったろう。だからまぁ、余計に私がどうこうしようという発想にもならなかったのだ。若い教師は週末も部活動に追われ、出会いの場も無く、何よりも気心の知れた相手と毎日身近にいられるのは幸せなことだから、彼女のような子がやって来ると声をかけようとする者も何人かいた。それはお互いに仲間には知られないようにしていたが、それでも薄々「狙っている」感じは周囲の者に伝わるものだった。

「堅物」が身上の私は、その争奪戦に加わる臭いを立てるのも嫌だった、ということもあった。

 その職場に、みんなのお母さんのように慕われる先生がいた。年は私より二十ほど上だったが、音楽の趣味が重なって、私は彼女とは特に親しく話した。ある時、二人が好きな海外のバンドが来日公演をするという話になった。彼女は必ず行くと言う。いいなぁ、行きたいですねぇ、大阪公演もあるけれど、僕、いっぺん武道館でのライブって行ってみたいんですよねぇ、雰囲気がまたちょっと違うんでしょうねぇ。私はそう言った。

「うん、なんか、やっぱり、ちょっと違うね。」

「あ、行ったことあるんですね。」

「うん、大昔、このバンドが最初に来日した時。」

「すげぇ。」

 職員室の私の席で、私は座って彼女は立ち話で、盛り上がっていた。一緒に行きましょうか。行く?学生のように乗りの良い人だった。

 すると、横にいた未来の妻が、

「いいですねぇ。」

と呟いた。

「あれ、知ってるの、このバンド。」

「実は、大好きです。」

「あ、じゃぁ、一緒に行こうか。」

 私は何も考えていなかった。仲の良い生徒同士がカラオケにでも誘い合わせて行くように、自然に口をついて出た。お母さん先生が、NOと言うはずもなかった。話は一気にまとまり、チケットが取れれば、夜行バスで往復しようということになった。チケット自体がなかなかな値段がしたので、新幹線での往復は出費がかさんだから。お母さん先生の体には負担かと心配したが、

「馬鹿にしないで。私はいつもそれで行ってるから。」

と一蹴された。ついでに、慣れているから、チケットが確保出来たらバスの方は自分が押さえるからとも言った。

「わぁ、すごい。あっという間に決まっちゃいましたね。」

横から、とてもはしゃいだ声が聞こえた。無邪気な可愛い子だなと、私は思った。


 結局、チケットは無事に取れたが、前日になって急用が出来たということで、お母さん先生は行けなくなってしまった。

「え、でもチケット、一万五千円もするのに。」

「仕方ないよ、もう、今日の明日だからね。ちょっと豪華な荷物置き場にでも使って。」

 若手の教師たちに絶大な人気のある彼女は、あっけらかんとしたものだった。このおばさん、豪傑だわ、と私は心の中で感心していた。

 金曜夜、京都発の夜行バスは、満席だった。お金の節約を思ったのか、お母さん先生が押さえたのは、通常の四列シートのバスで、一晩中乗るには隣との接触が気になって窮屈な感じだった。少し料金を上げれば、余裕をもって快適に座れる三列独立シートの夜行バスもあるはずなのに、こんなところも豪傑なんだからと、私は肩を接して横に座る後輩にそう言った。

 妻の旧姓は、大林という。大林志乃。女子生徒たちは、大林先生、ではなく、志乃ちゃんと呼んだ。学校にはもう一人同じ姓の者がいたので、教師同士では、二人を名前で呼んだ。つまり、志乃さんとか、志乃先生、とか。私は、・・志乃さん、と呼んでいた。

「志、かぁ。どんな志を思ってたのかなぁ、お母さんたち。」

「国語の先生ですね。」

「え?」

「名前のこと、そんな風に真面目に考えて聞いて来る人、初めてです。」

 夜遅いバスでは、みな声を潜めて話した。それがまた、秘密の内緒話をしているようで、不思議な感じだった。私たちは、そんな、本当に他愛もない話をしながら、窓の外に過ぎて行く夜景を眺めていた。他愛のない話だけれど、誰にも聞かれたくないような気もしていた。互いに聞こえる、ぎりぎりのボリュームで話していた。

じきに運転手がマイクを取り、車内灯を消す旨の小声のアナウンスが流れ、微かなオレンジの灯りがところどころにほのかに点るだけになった。

「寝ましょうか。」

と、私は囁きかけた。

「はい。」

と、彼女は答えた。

 配布された薄手の毛布を体にかけ、目をつむった。そうすると、隣の志乃としっかりと肩が接していることが改めてはっきりと感じられた。この人は、恋人でもない男とこんな風にくっつきながらで、嫌ではないのだろうか。本当は、それが気になって朝まで寝られなかったりしないだろうか。私は、気になって、窓側に体を押し付けるようにして、彼女との間に少しの隙間を確保した。けれども、それは窮屈で、今度は私の方がうまく寝られそうになかった。けれども、彼女を不愉快にしたくない、この旅を終えた後に、何か気まずいものを生み出したくないと思った。そのくらいなら、今晩はあまり寝られなくてもいい。

 すると、

「私、気にしないですから。」

と、横から声がした。

「え。」

「それじゃ、先生の方が寝られないですから。私、くっついてても平気ですから。」

 横を向くと、志乃が小さく笑っていた。私も、少し笑った。その笑顔が、何だか嬉しかった。

「ありがとう。」

 私は体を戻した。それでも、あまり彼女に触れないように、少しでも身を離すように。そうして目を閉じた。すると、志乃が、ほんの少し、私の体に身をもたせかけて来たように感じた。そして更に、顔を少し右に倒して、そっと私の肩に寄せたようにも。

 あれ?

 私は、とうてい眠ることもできずに、しばらく様子をうかがった。すると、彼女の顔は更にこくりと、私の側に倒された。それは、眠りに落ちた脱力とも違った。明らかに、意識的に私の肩に甘える仕草に感じられた。それが果たして真実だったのか、私の誤解だったのか、その後三十年、私は怖くて一度も聞けなかった。ただ、その時の私は、自然と、左の手を彼女の左の肩に伸ばし、少しだけその体をこちらに抱き寄せた。何故だろう。ためらいはなかった。自然に、それは許されるのだろうと感じていた。

 彼女は、

「ふふ。」

と笑い、今度ははっきりと、私に身を寄せた。その笑いは喜んだのだろうか、それとも突然、大胆な行動に出た私を、おかしいと笑ったのだろうか。それもまた、結局、私は彼女に尋ねることは出来なかった。けれども多分、私も彼女も、そのまま朝までとても安らかに眠った。

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