第12話 蜂蜜レモンソーダ

仕事をこなしながら私生活では引っ越しの手続きを進めていく。

まさに多忙の極みやけど、テンションは高いまま。

だって新生活がすぐそこに待ってるから。

ひよと正式に同棲するという未来がもう手を伸ばせば指先に触れられるくらいの近さにあるから。


大型家電や何より大きいベッド、そして梱包した荷物などの搬入は後輩が勤めている引っ越し業者にお願いした。

その後輩は高校の頃からの付き合いである太郎という男。

身長もガタイも大きいけど目が細くて笑うと目尻に皺が寄る。

少し話をすればええ奴だとすぐに分かった。

莉兎と瑠衣、そしてユキナによく懐いていて大型犬みたいだった。

ジュース買ってこいや!とよくパシリに使ってたっけ。

ぼんやり思い出す高校時代。

そう、莉兎は今と何ら変わってない事が分かる。

太郎は

「またっすか?それより先輩、俺の名前覚えて下さいよ…」

呆れながらもお金を預かって自販機へ行く。

本当は違う名前なのに莉兎たちは「太郎」と呼んでた。

初めて話した時の気さくさとか人懐っこさとか…そういうものなのか忘れたけど

「太郎っぽいよな」

三人で笑ったんだっけ。

多分親しみを込めたあだ名のような感覚だったんだと思う。


そんな太郎が引っ越し業者に勤めていると知ったのはつい最近の事。

瑠衣に「引っ越しする」と話した時、教えてくれたのだ。

瑠衣と太郎はSNSで繋がっていてそれで知ってたらしい。

すぐさま瑠衣に太郎のアカウントを教えてもらって連絡をとって。



随分片付けたひよの部屋に打ち合わせの為、太郎が来たのは少し前の週末。

高校生の頃と違って立派な社会人の雰囲気を纏う太郎を見た瞬間

「お前、老けたな」

速攻失礼極まりない発言で迎えた莉兎。

太郎は目尻に皺を寄せて笑いながら

「先輩の口の悪さは健在っすね」

逆に言われてしまったけど、莉兎も笑いながら頷いた。


昔話をしてる場合じゃなく本題に。

ひよはキッチンに引っ込んだままで太郎に見積もりをお願いする。

「二件分やからな」

「分かりました」

荷物の量や搬入先までの距離。

太郎は資料とタブレットを見ながら電卓を叩いて

「およそですけどこれくらいですね」

見せてくれた数字に溜め息が漏れる。

「太郎、ふざけとんか」

「いやいや、先輩…俺は真面目っす」

「真面目やったら尚更悪いわ」

莉兎の中での予算はオーバーしている。

いや、結構かかるものだと分かってたけど。

何せ二件分やしそれぞれの荷物の量や大型家電もあるし、何よりベッド。

あれを運んでもらうのは大変すぎるし料金もそれなりだと理解してたけど。

「他の業者に頼んでもええんやぞ」

脅すように並んで座る太郎を睨めば

「ほ、他の業者やったらもっと高いですよ…」

先輩やから割引してるんです!

そんなアピールをするけどほんまかよ。


溜め息を零しながら

「ひよ、見て。これくらいかかるって」

キッチンに引っ込んでたひよを振り返りながら呼ぶと近づいてきた。

電卓の数字を見せれば

「ふーん。まぁしゃーないんちゃう?」

案外あっさり受け入れてて拍子抜け。

ひよの中では予算内だったらしい。

その瞬間、ほっと息を吐く太郎が横目で見えたけど

「ほんで?」

当たり前のようにひよが発した言葉に思わず太郎も振り向いた。

「え、え?」

「ほんで、ここから…どうなんの?」

「いや、あの、この金額で…」

「そんなわけないやんなぁ?二件分でこの時季、ちょっと勉強できるやろ」


追い詰めていくひよはニコニコしてる。

でもニコニコなひよのバックに氷山が見える。

あぁ、すご。


それはエベレスト。

それはマッターホルン。

それはモンブラン。


見てるだけで鳥肌が立つ。

怖さとか寒さじゃない、格好良い。

やっぱりひよはバチボコ。

ピーチクパーチク吠えるだけの莉兎なんか全然足元にも及ばん。


急いで電卓を叩き直した太郎。

もう莉兎よりもひよに見せている辺り笑える。

「、からの?」

そしてひよはもう一声というように言ったら太郎はノックダウン。

悩みに悩みながら二回目の電卓を叩き直してひよに見せたら頷いた後

「端数切ってくれたら契約するわ」

最後にそれだけ言ってキッチンに行ってしまった。


もう振り返った太郎は完全にノックアウト。

あー、もうこれ立ち上がれんな。

試合終了のゴングが鳴ってる。


莉兎に少し体を寄せて太郎は

「先輩よりもやばい…俺もう怖い。足わろてる」

ビビり散らかしてる様子に莉兎が大笑いしてしまった。

「あーおもろ」

「先輩に金額確認してもらうのも忘れました」

「ひよがそれでええって言うたんやったらかまん」

お疲れ!とバシバシ背中を叩いてやってたらひよがやってきた。

テーブルに置かれた飲み物、莉兎と太郎の分。


「無理言うてごめんな?でも莉兎の後輩やから信頼してる」

「あ、ありがとうございます」

「よかったら飲んで。あたしが漬けた蜂蜜レモンの炭酸割りやけど」

「え、こ、これ…作ったんすか?」

「…そうやけど」

「いただきます!!」


…なんやこれは。

ノックアウトしてたはずじゃなかったん?


ひよの特製蜂蜜レモンの炭酸割りに飛びついて一気に飲んでる太郎。

ウキウキしすぎやん。

めちゃくちゃ美味しいっす!とかほざきやがって。

莉兎も当然一気飲みしながらズズズっとストローを響かせた後、むかつくから太郎の頭をパシン!と殴っといた。


ひよは罪人。

あれだけ追い詰めてるような鬼畜な事をしてたくせにちゃんと甘い部分も見せるとか。

ひよこそが蜂蜜レモンやん。

ツンとデレの割合がやばい。

ツンが大きいほど一瞬のデレの衝撃って半端ないんやぞ。

それをひよは全く理解してない、無意識で無自覚な所がほんまにやばい。





結局、ひよのおかげで引っ越し代は抑えられた。

新しい家の契約も済ませて今の大家さんにも連絡済み。

荷造りは二人一緒にゆっくりと。

諸々のライフラインの手続きを済ませて、引っ越し日時も決定。


そこで二人揃って社長に引っ越しますと報告。

仕事終わり、社長室へ行って莉兎が宣言すれば

「…お前ら、もうそんな事になってんの?」

小さい目をぱちぱちしながら社長は驚いている。


「独り身の社長とはちゃうねん!」

「何?結婚でもすんの、越智」

「い、いやいや!そういうわけじゃなくて」

「結婚もするかもよ!」

「コイツと一緒におりすぎたらアホうつるぞ」

「あたしも十分アホなんで…」

「はぁ?お前一回しばきまくって海に沈めるぞ!」

「ほんまにええんか?手のかかる猿やぞ、こんなん」


…あの、さっきから莉兎の言う事をことごとく無視すんのやめて。

一人で騒いでるやん。

社長もひよも二人で話してるやん。


莉兎の、おる意味!


っていうか


「猿ってなんやねん!!」


いつものように社長のデスクに転がってるボールペンを手に取る。

そしていつものように社長も俊敏に椅子から立ち上がって壁際に逃げる。

「このアホ」

追いかけようとした莉兎を後ろからぎゅーっとするひよ。

客観視すれば羽交い締めなんやろうけど莉兎にとってはぎゅー。

すぐさまボールペンを離せば床にコロコロ。

はぁぁ、と息をつく社長を睨んだままなのは仕方ない。

その間にひよは新しい住所のメモを社長のデスクに置く。


「変更お願いします」

「分かった。とりあえず、莉兎」

「なんや色黒社長」

「…お前悪口しか言えんのか」

はん。

莉兎だって悪口以外も言えるわ。

この口でひよに「好きや」ってばっか言うとるわ。

ひよには「すきすき」しとるわ。


社長はまた日焼けしてる。

どこまでサーフィンと釣りに現を抜かすんか分からん。

日焼けの上に笑うと歯が白い。

ホワイトニングへ行ってるらしいけど、怖いわ。

夜、社長に会ったら絶対怖い。

でも金も名誉も名声もある程度持ってるからこそ、モテるんやと思う。

女に困ってないやろうなと社長を見れば分かるけど、それが社長にとってほんまに幸せなんかは知らん。


「二人で仲良くせぇよ」

「言われんでも仲良いもん」

なんだかんだ言うて応援してくれる事が分かる一言。

ぶすっと言いながらもちょっと嬉しかった。

少し口角を上げてたら

「越智、莉兎に嫌気さしたら俺の所へ来いよ」

飄々と誘い文句を吐いててまた殺意が芽生えたのは言うまでもない。

ちょっと嬉しかった気持ちを返せ、アホ社長。


わーわー騒ごうとする莉兎を羽交い締めしたままひよは笑って社長室を出た。

パッと離されてぶすっとしてると

「嫌気さすわけないやろ」

莉兎の髪をひゅっと撫でてひよは笑ってた。


莉兎だって一緒。

嫌気がさす日なんかない。

もっと言えば飽きる日もない。

ずっとひよが一番で大切。


だから、越智ひよりの順番待ちをしてる人がおるなら言ってやる。

諦めろ。

どっか行って他の奴らの順番待ちをしろ。

もうずっと莉兎のターンやもん。

離すもんか、この幸せ!


ふふんと笑いながらちょっと背伸びして莉兎もひよの髪をひゅっと撫でた。

職場やから言葉にはせんけど、それは莉兎なりの「好きや」の意思表示だった。






引っ越し当日。

前日の遅くまでそれぞれ荷造りをして迎えた朝。

互いの部屋に引きこもって作業をしたけど、当然莉兎はやる気が出ず。

だってひよがおらんとどうすればええんか分からん。

投げ出したい、もう何でもええからそのまま運んでくれ状態。


何より寂しいしひよにメッセージや電話ばかりしてたら

「集中できんやんけ!」

怒られたけど

「迎えにきて」

結局甘やかしてくれて迎えに行った挙句、莉兎の荷造りをしてくれた。

「分からんねんもん」

べたーっと背中にくっつきながら言えば

「すぐ使うもんは分けておかなあかんやろ」

丁寧にお世話してくれる辺りが本当にひよっぽい。



荷物の搬入は思ってたよりスムーズに済んで。

ひよの家が終わってから莉兎の家。

ベッドを運ぶ事に対しては大変そうだったけど無事に新しい家に設置してもらった途端、何だかもう嬉しくて仕方なかった。


元々一人で寝てたベッド。

でもこれからは二人で使うベッド。

わくわくすると思いながら続々と段ボールが届く。


太郎も頑張って搬入してくれてありがとうと思ったけど、それも一瞬だった。

何故ならひよが

「暑いのにありがとう」

一言声をかけた瞬間、めちゃくちゃ目尻に皺が寄ってたから。

咄嗟に肘鉄しながら

「お前、太郎じゃなくてもう四郎に降格じゃ」

傍若無人に言い放てば太郎は眉を八の字にしながら

「十年以上経って降格とかあるんすか…そもそも僕の名前太郎ちゃうし」

首に巻いたタオルで顔を拭いてたけど知るか。


ひよに好意を抱く奴、全員敵じゃ。

太郎の本名が何だったかなんてもうどうでもいい話。

いや、もう四郎やしコイツ。



ふんふん!と莉兎が怒ってる間もひよは家具の配置を決めていて。

段々二人の家が仕上がっていく喜びを噛み締める。

その中でもひよが心底楽しみにしていたものがあった。


テレビや洗濯機…それらはひよの家にあったものを続けて使う事にしていた。

莉兎の洗濯機は処分したし、元々テレビはなかったし。

新たに買ったのはハンガーラックや収納ケースやベッドのサイドテーブルという細かいもの、そして冷蔵庫。


二人で住むからこそ大きい冷蔵庫に買い換えようと莉兎が提案した。

何せひよはよく言っていた「もっと大きい冷蔵庫が欲しい」と。

一人ならば十分だった冷蔵庫のサイズも二人になるときつい。

ネットで見たけど今の冷蔵庫を引き取って欲しいから、という理由で家電量販店で購入。

これまでとは違う大きさの冷蔵庫にひよは一人、テンションが上がっていた。

半分ずつお金を出し合って購入した二人の冷蔵庫。

それが届いたのは太郎たちの引越し業者が帰って少し経ってから。


莉兎は部屋に篭っていてハンガーラックを組み立て中だった。

これはひよの提案で購入したもの。

「服は畳んでたら皺になるし奥の服が見えんから着らんようになるやろ?」

だから、ハンガーラックにかけてたら選びやすいし皺にもならない。


そう言われてなるほどなぁと頷きながらすぐハンガーラックをネットで購入。

説明書を見ながら組み立てたら段ボールに入った二人分のすぐ着る服をハンガーでかける予定。

これをこうする。

そう言われたら理解してちゃんとできる。

でもアバウトに「片付けて」と言われたらわけが分からなくなるけど。



莉兎がその作業をしている間に冷蔵庫はやって来て。

しばらく経ったら業者は帰って行った。


ドアを開けてキッチンに向かえばひよは冷蔵庫の前でうっとりしていた。

「めっちゃ大きいやん」

ほんま家庭用の冷蔵庫。


近づけばひよは深い溜め息をついて

「抱きしめたい気分やわ」

そこまで?と思うくらいの発言。


「何にも入ってないけど」

全ての扉を開けてみる。

何も入ってないからこそ光が遮られずに明るく思えるんだと思う。

「これから料理が楽しみやわ」

「それ食べるん楽しみー」


冷蔵庫買ってよかった。

ひよが喜んでご飯を作ってくれる。

それを喜んで莉兎は食べ尽くす。

ウィンウィンな世界。


「とりあえず片付けよ」

「頑張るぞー」






片付け続けて飽きてきた頃。

納戸に置く予定のものは段ボールごと放り込んで。

もう一つの部屋にあるクローゼットは冬用の衣類をそれぞれ。

ハンガーラックも夏の衣類がハンガーにかけられて。

ひよはキッチンとリビングを片付けてくれている。


飽きてしまった莉兎はごろんとハンガーラックの横に寝転んでみた。

結構、動いた気がする。

片付け嫌いの莉兎がこんなにも動くとは。

自分でも意外やなと思いながらぼんやり。


これから始まる生活。

不思議やなと思いを馳せる。

去年の今頃なんかこれっぽっちも想像できてなかった未来。


仕事ばっかに命を燃やすように働いて、週末になればだるだるだった。

汚い部屋でカップラーメンを食べて何もかもめんどーと思ってた。

ちゃんとした生活とかまともな暮らしを夢見てたけどちっとも実現しなくて。

生き生きしてるのは仕事の時だけ。

結局、幼少期の荒んだ暮らしと何ら変わりないやんけと思ってた。

そこから脱出したくて仕事を頑張ってたはずなのに。

金はあるのにまともな暮らしをする力がなかった。


でもひよと一緒にいるようになってから違う。

ひよが莉兎に与えてくれたんだと心底思う。

願ってた、欲しかったまともな暮らしを。

頼ってばかりだなと痛感。

莉兎にできるのは稼ぐ事くらい。

この生活が続くように努力しよう。

守ってみせると思いながらあくびを漏らした所でドアが開いた。


「疲れたんやろ」

横を向くとドアの前でひよは笑ってる。

「疲れたっていうか飽きた」

「夕飯、どうする?」

「冷蔵庫空っぽやろ?」

「うん。食べに行く?」

「行くー!」

よっこらせ、と勢い良く起き上がればひよは部屋を見渡して

「ありがとう」

律儀に言うもんだからへへっと笑う。

「二人分やん。お礼言うもんちゃうで」

ひよの髪を撫でてリビングへ行けばすっかり片付いている。

カウンターからキッチンを見ても流石。


テレビの前のソファはひよの家から持ってきたもの。

座り心地がいいしひよもお気に入りだというから運んでもらった。

そこに座ればいい感じ。

ひよも隣に座ってお互い何も言う事なく、くっつき合いながら何を食べるか相談。


「何がいい?」

「寿司か焼肉」

「めっちゃ豪華やん」

驚くひよにふふんと笑いながら

「引越し祝いや」

言い放てば

「えー…それじゃ焼肉」


ひよが答えたから焼肉に決定。

二人で焼肉は初めて。

嬉しいなと思いながら近所の焼肉屋を調べて予約。

それを済ませたらもうスマートフォンに用はない。

テーブルに置いてひよの唇を追いかける事に必死。


「ま、って。今ニュース読んでる」

「待てん」

「今ええとこやねんけど」

「待たん」

ひよのスマートフォンを奪って唇に触れる。

一瞬拗ねてたのに触れたら大人しくなって首筋に腕を絡ませてきた。

押し倒して何度も重ねて重ねて。


ひよの頬を包み込んで

「好きや」

愛を吐けばひよはふっと笑った。

何かおかしい?と思ってたら

「あたしの方が、好きや」

グッとひよの腕に力が込められてぶつかるようなキス。

なんや、ずるいぞ。

胸がギュッてなったやん。


離れて二人で笑い合う。

新居で初めて呟いた愛の言葉と紡いだキス。

これは忘れないでおこうと思いながらもう一度ひよにキスをした。


「まずカーテン買わなあかんよな」

「窓の前でえっちできるやん」

「お前の頭ぶん殴ってもっとチビにしたるわ」

「…ごめんなさい」

「変な動画見すぎやねん」

「えー、ひよもやん」

「はぁ!?み、み、見てないし…っ!」

…あ、見てるんや。

分かりやすい奴…と思いながら黙って笑っとこう。






焼肉屋さんへゴーゴー。

当然のように並んで座れば

「なんで?」

当然のように返されたけどスルーして一番いいコースを注文。


向かい合わせより並んだ方が近いやん。

そんな単純な理由だったけどこれが正解。

タブレットを見て注文する時も楽だったけど、全部ひよにお任せ。

莉兎は肉の種類にこだわらない。

とりあえず肉なら何でもいいし、胃の中に入ればいい。

「ご飯は?」

「ビビンバ頼んで。あとご飯の大」

とりあえずビビンバがくるまでご飯を食べるスタイル。

ひよは呆れた顔をしてたけど何も言わずに注文してくれた。



次々と届く肉。

ひよが網に乗せて焼いていく。

莉兎も、と思いながら手伝おうとすれば

「せんでええよ」

それを言われて静かにトングを置く。


コーラを飲んでいる間に肉はすぐに焼けたようで莉兎のお皿に乗っけてくれる。

タン塩をレモンでもぐもぐ。

噛みごたえのあるタン、そしてさっぱりしたレモン。

「おいひい」

ふにゃっと笑ってる間にひよはどんどん焼いてくれる。


自分のお皿に乗っけて更には莉兎のお皿にも乗っけてくれて。

ちょこちょこ食べながら肉を焼いて。

莉兎はただ与えられる肉をいただくだけ。

まるで子供みたい。


どんだけ世話好きやねんと思いながら

「なぁ、してほしいとかないん?」

素朴な疑問をぶつければトング片手のひよは

「ないけど…なんで?」

きょとんとしている。


一旦色んな肉を網に乗せてトングを手放すと漸くゆっくり食べ始めている。

それまでに莉兎はどれだけご飯と肉を食べたんだか。

「世話ばっかり焼いて疲れん?」

「全然。あ、嫌やったらやめるけど…」

「嫌じゃないし寧ろ嬉しい」

「せやったらええやん」

笑いながらひよは肉を食べて「おいひい」と莉兎と同じ感想。

可愛いな、おい。

他の客がいるからほんの少し寄り添うのが精一杯。

でもひよはそれだけで気付いてくれて笑ってた。


過去にひよと付き合った男達はこれだけ世話を焼いてくれるこの姿が愛しいと思わなかったんだろうか。

本当に疑問。

逆にこんな事をされるのが嫌な人間もいるかもしれないけど。

尽くして尽くして尽くしすぎる女、それがひよ。


普段のバランスを考えられたご飯も。

こうして外食に来た時の振る舞いも。

家事を率先してする家庭的な姿も。

全部好きで全部嬉しくて、その全部が莉兎の心をふわぁっと浮き上がらせる。


ほんまに可愛いな。

少し食べた後、またトング片手に肉の様子を見るひよが可愛い。

見惚れてる間に届いたビビンバ。

混ぜて混ぜて一口食べようとすれば

「熱いから気ぃつけや」

ひよに言われて笑いながら

「はーい」

返事をしてもう一度フーフーと冷ました。

ひよの言う事なら大人しく何でも聞けるなんて笑ってしまう。

口内に入ってきたビビンバはちょっと熱かったけど美味しい。


ニコニコしながらスプーンで掬ってもう一度フーフー。

念入りにフーフーした後、ひよの口元に持っていけば何も言わずに食べてくれた。

「最高」

「もうちょっと辛めでもええやんな」

「確かに」

笑ってる間にひよはどんどん莉兎のお皿に肉を入れてくれる。


タレをつけた肉をビビンバに投入。

あとはそれを食すのみ。

んんんー、さいっこう!

もぐもぐしながらひよに伝えたくて親指を立てれば

「いっぱい食べや」

微笑みながら烏龍茶を飲んでいる。



友達と焼肉。

彼氏と焼肉。

誰かと焼肉。

これまで色んな人と焼肉を食べた事があるけど、今日が一番だと思う。

この店の肉が美味しいとかじゃなくて、ひよと一緒だから。

自分が食べるより先に莉兎のお皿が空っぽになってないか見ていてくれて。

おいひいと二人で言い合えて。

何より全く気を遣わず、自然でいられる。

だから今日が一番。


「焼肉記念日やなぁ」

「引越し祝いじゃなかったん?」

「あ、そうやった」

「誰かさんは乾杯もせんとコーラ飲んでたけどな」

「うわ、ほんまやん」

幸せを噛み締めてる場合じゃなかった。

乾杯もせずに届いたコーラに飛びついてた自分、アホやん。

もう何回注文したか分からないコーラ。

しかも半分飲んだコーラのグラスをひよに向ければ、笑いながら烏龍茶を持ってグラスをコツン。


「乾杯」

「ごめん、ガチで忘れてた」

「ええよ」

ひよは呟いた後、莉兎の耳元に近づいて

「これからよろしく、あたしのスパダリ」

そんな事を飄々と言うもんだから全身鳥肌。

ぶわぁっと震えるくらいの鳥肌を感じながらほっぺたがゆるゆる。

「こちらこそよろしく、ひより」

それを言うだけで精一杯。

でもひよは驚いた顔の後、照れ隠しで烏龍茶を飲んだ。


その後お互いニヤニヤしながら肉を食べて。

最後にはバニラアイスまでしっかり食べて。

お会計を終えてから車に乗ってすぐにした事は手を繋いだ事。

とにかく触れたくて仕方なかった。

ひよの熱を感じたくて仕方なかった。


ぎゅうっとしながら

「はよ家帰ろ!」

「帰ろ!」

急いでる事がアホらしく思えてきた。

二人で「何これ」と笑いながら手を繋いだまま運転。

もちろん少しの間。

車が動き出せば、すぐに手を離して安全運転。


急いで帰ろう。

その理由はもっと触れたいから。


指先を絡めて手を繋ぐ事。

背骨がしなるほど抱きしめる事。

吐息が掠めるほどの至近距離からのキス。

そしてあわよくば。

そんな事を思い浮かべながらアクセルを踏む。


行き先は、我が家。


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