第3話 時間は人生のお医者さん

ふっと目を覚ます。

莉兎の腕の中、重なっている素肌が温かい。

すっかり夢へダイブしている様子の莉兎は少し口を開いて子供っぽい寝顔。

ぼやっとする意識のままで思い出す。

記憶を手繰り寄せてセックスをした事もすんなり寝落ちてしまった事も嬉しい。


そっか、そうなんや。

静かに頷きながらゆっくり起き上がる。

もちろん莉兎を起こさないように慎重になりつつ腕の中からするっと抜け出す。


そのまま部屋着を準備してシャワーを浴びる。

少し気だるい体が何とも心地良い。

更には莉兎のつけた痕が何とも愛おしい。

シャワーを浴びながら胸元をなぞる、独占欲の塊の痕。

嬉しいとくすぐったいと…やばい。


緩みすぎた頬、だらしないあたしの顔が一番やばいなと思いながらサッとシャワーを終えて。

Tシャツとショートパンツのラフな部屋着を着てスキンケアはサボり。

化粧水だけつけて洗面所で髪を乾かす。

ソファでドライヤーを使ったらこの音で莉兎が起きてしまうかもしれないから。


全てを終えてやっと煙タイム。

火をつけて咥えたままスマートフォンを見る。

時刻は夕方、幸福な一日が終わりを告げようとしている。

でもまだまだ。

今夜は莉兎が楽しみにしているステーキだし。

お酒も飲むし。

楽しみは続くし。


灰をトントンと落としながら莉兎を見る。

布団から出た背中、肩甲骨に傷。

灰皿に煙草を置いて近づくと左の肩甲骨に切り傷のような痕。

それは痕が残るほどだから深かったんだろう。

年月が経っているのか白く細い三日月みたい。

そっと触れればほんの少し膨らんでいた。


気になるけれど聞いてもいいのだろうか。

布団を肩までかけて髪を優しく撫でるとまたソファに戻る。

元彼のせい?それとも。

考えても答えなんて見つからないけどぐるぐると頭の中で巡ってしまう。


煙草を吸いながらぼんやりと振り返る。

付き合って四日。

まだ一週間も経ってないのにこれまでと違う幸福感にお包みされてる気分。

もしくはおひたし。

莉兎のストレートな愛情があたしの心も体もひたひたにしてくれている。


ずっとこんな日常が欲しかった。

何気ない、でも心穏やかに過ごせる毎日を待っていた。

それを莉兎は簡単にくれる。

一緒に過ごす日が楽しいし気を遣わなくて楽。


寝る時なんて特にそう。

安心感が胸を支配する。

相変わらず思うように寝られないけれど莉兎の腕の中は何よりも居心地がいい。

寝顔をジッと見て微笑んでそっと唇に触れている事は知らないだろうけれど。

先ほどスッと寝れたのはセックスで疲れた事と胸が多幸感で溢れた結果だと思う。

自分で驚くけど嬉しかった、とてつもなく。



煙草の火をもみ消して立ち上がる。

あたしのスパダリの為に美味しい夕飯を作ろう。

…スパダリなんて。

ふふっと笑いながらキッチンに立つ。

食材を冷蔵庫から出している最中、一人で頷く。


あたしだけのスパダリ、莉兎。

最初は信じてなかったし疑ってた。

莉兎が?このチビが?

スパダリになるとかほんまかよ。


そう思ってたけどあたしの寂しさとか甘えたいと嘆く穴を莉兎は埋めた。

洞窟みたいな深い穴を一生懸命埋めてくれた人。

これ以上の幸せってないかも。


でもその内愛されたがりの甘えたがりのあたしに愛想尽かすかも。

幸せを目一杯感じている今に雲が覆う。

莉兎に鬱陶しいと言われる未来もあるかも。

あたしは見た目と違うから。

見た目で好きになってくれた人が最後に言うセリフ。


重たいねん。一緒におるとしんどい。


莉兎にはそのセリフを言われたくないな。

だからあたし自身ちゃんとしよう。

あまり欲しすぎないようにしよう。



自制も大事だと思いながら今夜の夕飯は脳内で浮かび上がっている。

フリルレタスにトマトのサラダ。

それからポテトサラダを添えてステーキ。

あとは今朝常備菜として作ったものを食べてもらおう。


莉兎がネイルに出かけていた間に作ったもの。

切り干し大根の煮物と茄子の揚げ浸し。


とりあえずポテトサラダを作り始める。

じゃがいもを洗って茹でながら玉ねぎとにんじん、きゅうりを切って。

ハムが多い方が莉兎は喜ぶだろうなと思いながら少し多めに。


莉兎は偏食。

「好きなものは食べるけど嫌いなものは食べん」

そう言ってたけどこの四日、あたしが作ったご飯はもりもり食べてくれる。

結局聞いてみると「食わず嫌い」だったらしい。

肉は無条件に喜んで食べる。

野菜と魚は一瞬嫌そうな顔をするけど食べたら

「美味いやん」

あれ?という表情で食べ進めてくれる。


そんな姿を見るのが嬉しい。

何より誰かの為にご飯を作れる事が嬉しい。


自分一人じゃやっぱり適当になってしまう。

今日はこれでいいやと投げやり。

でも莉兎がいてくれる事でやる気になる。

まだまだ食べてもらいたいものがたくさん。

だから料理をする事が楽しいし「美味しい」と食べてもらったら嬉しい。


茹でたじゃがいもを木べらでつぶしながら思う。

ポテトサラダはお父さんの大好物だったと。

莉兎の家族の話は軽はずみな気持ちで聞いて申し訳なかったと感じる。

お母さんに対する思いをさらっと話していたけど本当は複雑なんだろう。

無闇に聞いてしまって後悔している。


どう感じたのかと問われれば難しい。

でも過去にどんな事があったとしても生きているのは今しかなくて。

あたしのそばにいてくれる莉兎を大切にしたい。

あたしの愛で莉兎が喜んで安心してくれるならいくらだって捧げる。



逆に自分の家族構成は本当にさらっと済ませてしまった。

莉兎に比べたら幸せな家族だと思う。


四人家族、お父さんは真面目な人だったしお母さんだってそう。

妹は実家暮らしのフリーターだけどお母さんと一緒にいてくれる事に感謝している。


子供の頃は本当に幸せだった。

お父さんは仕事で忙しい人だったけど週末になればいつも遊んでくれた。

あたしや妹の雛子に怒った事がない人で子煩悩だった。

そしてお母さんと喧嘩をしている場面も見た事がなかった。


長期休暇には旅行に連れて行ってくれたし、いつもの週末も家族でショッピングモールへ出かけたり。


月に一度くらい外食をしたけど、普段はお母さんの作るご飯。

お父さんは何よりお母さんの作るご飯が好きだった。

どれだけ遅く帰ってきても夕飯は家で食べていたし、お酒を飲みながらニュースを見て。

その後は新聞を読みながらあたしと雛子を構ってくれて寝る。


それからまた一人、朝早くに起きて仕事へ行っていた。

真面目すぎるほど真面目で家族に対する愛が大きくてあたしはお父さんが大好きだった。

思春期に訪れるという反抗期さえなかったほどに。


背がスラっとしていて細身で見た目は怖いけど笑うと優しいお父さん。

まだ子供の頃、ショッピングモールで迷子にならないようにお父さんが繋いでくれたあの手と見える背中は大きくて。

「ひより」

友達はみんな「ひよ」と呼んでいたけどお父さんだけはちゃんと呼んでくれて嬉しかった。


就職を決めた時はすごく心配していた。

進学も勧められたけど勉強する事が嫌で特別夢もなかったから。

周りは美容師とか医療系や介護サービスと夢を膨らませていたのに。


あたしはたった一人の夢なし族。

どうして今後の人生に関わる大きな決断をそんな簡単に決める事ができるんだろう。

本当に周りが不思議でたまらなかった。


でも思う事は一つで早く大人になりたいという事。

自分で働いてお給料をもらって親孝行したかった。

更には結婚して家族を作りたかった。

何せ両親に憧れていたから。



初めて就職したのはコールセンター。

でも思っていた以上にストレスがあって一年で退職。

顔が見えないからこそ横柄で暴言を吐かれる事もしばしばあった。


そんな時、お父さんに愚痴ったりして。

仕事の愚痴を言えるとか自分が社会に出たからこそできる事。

勝手に大人になった気分だった。


それから建設会社の事務員として働いて一生懸命だった二十歳。

その日は突然訪れた。


月に二度ある休日出勤で尚且つ残業。

疲れて帰ろうと車に乗った瞬間、お母さんからの電話が鳴った。

いつもの通り、ご飯を食べ終えて新聞を読んでいたお父さんが倒れた事。

感じていた疲労も忘れて夢中で搬送先の病院に向かったけど、お父さんはあっちにいってしまった。

家族に別れも言わず、何一つ世話もかけないまま。



玉ねぎ、きゅうりとにんじん、それからハムをつぶしたじゃがいもに入れて味付け。

マヨネーズの他にマスタードとお酢も入れてあとは塩コショウで調整。

黙々と作りながらお父さんを思い出してしまう。


あの日の夕飯はちらし寿司だった。

我が家は特別な事がなくてもちらし寿司や赤飯を炊く家だったけど、その日から数年間ちらし寿司は作らなくなった。


お父さんが大好きだったあたしは現実を受け入れられず生活が荒れた。

元々眠れなかったけどもっと不眠は深刻化。

気分も沈んで仕事は休みがちになり、やがて退職。


一人でいると泣いてばかりだったけど家族の前では平静を保って。

全然大丈夫じゃないのに大丈夫なフリをしたまま自暴自棄になって男性に頼った。

飲みに行ってそのまま、お決まりのパターン。

でも当然寂しさも悲しさも埋まらなくて、そんな埋めてくれるような寛容な男性に出会う事もなく。

お父さんの話をぽつっとした時があったけど

「ファザコンかよ」

笑いながら言われる始末。



結局あたしは実家を出た。

お父さんの全てが詰まった家にいる事があまりにも耐えられなかったから。

何度もお墓参りに行って「会いたい」と縋った事があるけど、もうそれもしない。

そう決めてお彼岸や命日だけ。


お父さんが見てる。

あたしがどう生きているか見てくれてる。

それを信じて荒んだ生活もやめた。

真面目に仕事をして真面目に恋をした。

不眠は相変わらずだし、十年経った今でもたまに泣く事もあるけど少しはマシな生き方をしてる気がする。


「時間は人生のお医者さんやで」


あたしが家を出ていくと決めた日、お母さんはそう言った。

見つめると優しい顔。

きっとお母さんは全部分かってたんだと思う。

悲しさと寂しさと無理をしているあたしの事を。

そしてあたし以上にお母さんは苦しんでいると漸く分かった。

あたし一人がこんなに辛いわけじゃない。

お母さんも雛子も絶対辛いはず。


現にお父さんが亡くなった日、お母さんは呟いた。

「ご飯食べた後亡くなるって…どれだけあたしの作るご飯好きなんよ」

一瞬笑った後に涙の膜がゆらゆらとしてそこに灯った光が膨らんで零れた涙を忘れない。


時間は人生のお医者さん。

今もその言葉を忘れずにいる。

どんなに辛い事があっても苦しい事があっても大丈夫。

時間がかかるけどまた前を向ける日が必ず訪れるはずだから。



ポテトサラダを作り終えてステーキ肉の出番。

少し塩をふってあとはオリーブオイルで焼く、シンプルでいいかも。


考えながらお皿を取り出す。

ちょうどいいお皿がない事が今の難点。

あったとしても二枚なかったり…何せ一人暮らしだから仕方ない。

用意したお皿も別のもので違和感。

最低限の食器が欲しい。

莉兎には申し訳ないけどお箸でさえ割り箸だし。

お茶碗だって莉兎の分は味噌汁用のお椀を代用。

明日にでも食器を買いに行きたい。


莉兎に相談しようと思いながらそろそろ大体の準備を整えた所でベッドに向かう。

今度はうつ伏せで眠っている莉兎に笑いながらベッドの端に腰掛けた。


お父さんに紹介したかったな。

あ、こんな事思うのって初めてかも。


チビやけどお父さんみたいに真っ直ぐ愛を注いでくれる人。

長い金髪を撫でる。

サラサラとしていて気持ちいい。

「莉兎、起きて」

時刻は日が暮れかけている。

リモコンで電気をつければ莉兎の唸り声が聞こえた。

「ご飯にしよ」

「…いつ、起きたん」

「ちょっと前」

「ん、んん…」

莉兎がもそもそ動いたら布団は捲れて肩甲骨の三日月が見えた。

思わず撫でれば莉兎は笑う。


「武士みたいやろ」

その例えにあたしも笑ってしまった。

「理由…聞いてもいい?」

「酔っ払った母親に割れた瓶ビールでやられた傷や。中学の時かな」

「痛かったやろ」

「その瞬間ってな、アドレナリン爆発で痛みすらないねん」


どうして莉兎のお母さんは我が子にそんなにも酷い事をするのだろう。

自分の娘に一生の傷をつけるなんて相当な鬼畜だと思う。


苦い表情をするあたしに莉兎は

「後になってめっちゃ痛すぎてやばい。血止まらんもん」

「病院行ったんやろ?」

「保険証が自分の手元になかったから行けんかった」

でもちょっと経ったら治ったし。


ケロッと言う莉兎の三日月を撫で続ける。

それから近づいて唇で触れた。

キスをするあたしに莉兎は笑って髪をわしゃわしゃ撫でる。

「くすぐったい」

背中をベッドに預けてあたしをぎゅうっと抱きしめる莉兎に笑う。

「三日月の治療してあげた」

「なんやねん、三日月って」

「傷痕」

お互い笑いながら唇に触れる。


熱が帯びないうちに離れて前髪をサッと撫でて

「シャワー浴びておいで。その間にステーキ焼くから」

ステーキ。

この単語に反応したのか勢い良く莉兎は起き上がった。

「よっしゃー!」

ニコニコでベッドから抜け出して洗面所に向かっている。


着替えは?

呆れながら莉兎の着替えを準備。

持っていくともうお風呂の中、勢い良くシャワーの音色が響いている。


単純なやつ。

でも莉兎にとってこういう些細な事も嬉しいのかもしれない。

笑いながらあたしはステーキを焼く準備。

莉兎の反応を楽しみにしながら。






夕飯をテーブルに並べてお酒の準備も万端。

シャワーを浴びた莉兎はすぐに飛びつこうとしたけどそれを制して。

想像通りの展開だと思いながら化粧水をつけさせてドライヤータイム。

「めんどいからええって」

乾かされながら言うけど意味不明。


されるがまま、ジッとしてるだけなのにめんどい?

何一つ面倒な事などないのに困ったやつ。


黙って乾かし終えてオイルを毛先につけた後、思わずブラシで莉兎の後頭部を殴る。

「いてっ!」

「めんどいのはあたしや」

「そんな細かい事気にすんな」

へへんと笑いながら莉兎はさっさと洗面所から脱出、ソファに座って

「マジですご!!」

心底驚いて心底喜んでる様子。

「お酒飲むけどご飯いるん?」

「いる!」

「はいはい」

胃袋はブラックホールレベル。

小さいし細いくせにと思いながらお椀に盛り付ける。

朝にお米をセットしといてよかった。

ゆらゆらと湯気が上る真っ白いご飯を持ってソファへ行く。


「召し上がっても?」

「どうぞ」

「いただきまーす!」

早速ステーキを食べる莉兎は上機嫌。

頭も体も左右に揺れている。

これは莉兎の美味しいというサインなんだと思う。

ステーキはおそらく適当に切ってあげた方が食べやすいと考えて、あらかじめ切ってあったけど正解らしい。


莉兎は白米とステーキを夢中で食べているけど

「サラダも食べて。新しいドレッシング買ったんやから」

テーブルに乗っているのはそれぞれのお皿とマヨネーズと和風ドレッシング。

集中しているのかうんうん頷いて和風ドレッシングをかけて莉兎は食べ尽くす。


まぁその食べっぷりを見ると清々しい。

こんな風に美味しそうに食べてもらえると本当に嬉しい。

あたしもサラダをつまみつつ、氷を入れたグラスにウイスキーを入れる。


「適当でいい?」

「ええよ」

炭酸を注いでマドラーで軽く混ぜて莉兎に渡す。

お互いグラスを持って

「乾杯」

「今日もありがとうございました」

莉兎がそんな事を言うから笑ってしまう。

「こちらこそありがとうございました」

大型スーパーに連れて行ってもらった事、とても嬉しかったけどお会計までしてくれるなんて想定外。

この買ってもらった食材で莉兎が喜ぶようなご飯を作りたい。


ハイボールを飲むと美味しい。

普段一人で飲む事は少ない。

たまにあるけど飲んだら寂しいとか甘えたい欲が出てしまう。

だから飲まないようにとは思っているけど、今日は寂しさを埋めてくれて尚且つ甘えさせてくれるスパダリが横にいるもんで。

今ステーキに夢中でポテトサラダをつまんで

「うま!」

子供みたいに無邪気な笑顔を見せてるスパダリがいるもんで特別に飲もう。


ステーキは安い割に柔らかく、そして食べ応えがあった。

買って正解だったなぁと嬉しく思いながら莉兎に茄子の揚げ浸しを勧める。

「茄子好きちゃうねんけど」

「美味しいのに」

ぼやくと莉兎は仕方ないなという雰囲気でつまんで食べた。

「…うま!」

「生姜と大根おろしがいい感じやろ?」

「え、これ好き」

莉兎は嬉しそうに食べてくれる。

切り干し大根の煮物も同様で「ご飯に合う!」とガツガツ。


常備菜を作ってもなかなか一人では消費しきれなかったけれど莉兎がいたらその悩みも解消されそう。

誰だって何日も同じものを食べたくはない。

でも一人だと作りすぎて食べざる終えない現実。


莉兎がいてくれてよかった。

このまま。

このまま一緒にいたい。

一緒に、住めたらなぁ。

莉兎はどう考えてるのか分からないけど。

何せまだ付き合って四日だし完全に同棲するのは無理かなぁ。


そんな事を考えながらあたしはちびちびと箸を進めつつ、ハイボールばかり。

「…ひよ、ちゃんと食べぇや」

「食べてる」

「飲み過ぎ」

呆れる莉兎をよそにサラダは完食。

余っているのはステーキ。

一方の莉兎は全て食べ終えてハイボールを飲んでいる。

「お肉食べて」

「いらんの?」

「んー、もういい」

莉兎の空っぽのお皿と交換すれば少しぼやいていたけど黙々と食べている。

あたしは立ち上がって溶けかけの角のない氷を捨てると新しい氷を入れて再びハイボールを注ぐ。


自分で分かっている、段々ウイスキーの量が多くなっている事。

元々ハイボールは好きだけどその中でも濃いめが好き。

ガツンとウイスキーの味が舌の上に転がるあの感覚が好き。

炭酸を注いで飲む、やっぱり濃いめは美味しい。


「ひよ飲み過ぎ」

「そんな事ないもん」

「それめっちゃ濃いやろ」

「飲む?」

「貸して」

容易くあたしが残したステーキ肉を平らげた莉兎にグラスを渡せば少し飲んでから顔を歪めている。

「濃すぎ」

「濃いめ好きやもん」

開き直って言いながら莉兎の持つグラスを手に取って飲む。


あぁ、煙草。

煙草吸いたい。

どうしてお酒と煙草はあんなに合うんだろう。

禁煙している人が飲み会で一本もらって挫折したエピソードをよく聞くけど分かる。

それほどお酒の味は煙草の味と絶妙に合う。


ワインに生ハムやチーズ。

ハイボールに唐揚げ。

そんな例えはよく言われるけどあたしにとって全てのお酒には煙草が一番。


机の上を片付けてお皿を重ねる莉兎に「ありがとう」と言いながら煙草に手を伸ばす。

「洗い物してくるけど今グラスにある一杯だけやからな」

「うん」

莉兎はご飯を作ってもらって悪いと思ってるのか必ず洗い物をしてくれる。

使ったお皿を洗ってくれる事がどれほど助けになってるのか莉兎は知らないかもしれない。

洗い物ってめんどくさい時が多いし。

莉兎の髪をドライヤーで乾かす方があたしにとってはよほど容易い事。


咥えた煙草に火をつけて吸い込む。

少し俯くほど美味しい煙草。

思えば煙草を吸い始めたのは二十歳。

お父さんが亡くなってからだった。

それもお父さんが愛煙していた煙草の銘柄。

追いかけてももう触れる事などできないのに。


思い出は場所をとらないからいい。

心に留めておくだけなんだし。

あの頃の思い出さえあればあたしは生きていける。

そう感じる事ができるようになったのはいつだったか忘れてしまった。


濃いめのハイボールが入ったグラスを傾ける。

カラン、と氷が鳴る。

あ、飲み干してしまった。

煙草を吸いながらだとよりペースは早い。

チラッと振り返ると莉兎は黙って洗い物をしている。


こっそり作るハイボール。

何杯目か忘れたけど、更には莉兎が言った事を守れてないけど。

炭酸を注ぎ、マドラーで混ぜて濃いめのハイボールの完成。


一口飲めばやばい。

頭がフラフラ、気持ちいい。

濃いめは好きだけど酔うスピードももちろん早くて。

結構酔ってる、かも。

でもちゃんと煙草の火は消して。

こういう所はしっかりしてる辺りがあたしらしいと思う。



「こら、約束破ってるやん」

少し経って莉兎は怒りながらソファに戻ってきた。

どかっと座ってあたしの手からグラスを奪う。

「破ってないもん」

「何でさっき見た時より増えてんの?」

「見間違い?」

「アホ。もう終わりや」

そう言って莉兎はあたしのハイボールを飲み干してしまった。

ずるいって、と手を伸ばそうとしたけど掴まれる。

莉兎の手は冷たくて気持ちいい。

ぎゅっと繋いでべったりくっつく。

「莉兎酔ってないん?」

「全然。ひよと違って無茶な飲み方せんから」

「んん…酔ったとこ、見たいのに」

「もっと偉そうになるらしいけど?」

「ほんま、態度だけライオン」

「うっさい」

くすくす笑いながら莉兎を見ると自然にキス。

柔らかい唇が気持ちいい。

いつも莉兎はあたしの頭を掴む。

逃がさんという意思表示みたいで背中がぞくぞくする。

でも今はあたしが莉兎の小さな頭を掴む。

もっとキスして。

そんな雰囲気で自ら唇を重ねていく。


そのままもそもそと動いて莉兎の膝上に座る。

額をくっつけて見つめれば

「なに?」

莉兎はきっと分かってるくせに分からないフリをして尋ねる。

「りと」

「ん?」

「りーとー」

「可愛い顔してどしたん?」

なにそれ。

どんだけ甘い言葉持ってんの?

そんなん言われた事ないわ。


溶けるやん。

もう無理やん。


脳内で羅列しながら首筋に腕を絡めて耳元で言う。

「…して?」

囁くような小声で。

濃いめのハイボールで加速したあたしの甘えたがり。

莉兎にめちゃくちゃに愛されたい、これは欲望。


鼻で笑った莉兎はあたしのTシャツの裾から両手を侵入。

お腹に触れてすぐに上へ。

胸を包み込まれてびくんっとしてしまう。

「ノーブラやん」

「ん、…」

「知ってたけど」

「知ってた、ん?」

「おっぱい揺れるん見てたもん」

「へんた、い」

「その変態に何されたいん?」

ひより、ちゃんと聞かせて?


名前。

莉兎が呼ぶあたしの名前を聞けば、嬉しさと恥ずかしさでいっぱいになる。

普段は「ひよ」としか呼ばないくせに使い分けできすぎ。

でもとてつもなく背中に緩い電流が走る。

莉兎の肩を持ちながら見つめれば、あぁやばい。

完全に射抜くような獣の瞳。

言わせようとしてる、意地悪さ。

こんなドSなん?

あかん、やばい、むり。

秘められたドMな部分が疼いておかしくなる。


これまで「ちょっとMかも」と言うくらいで男性と付き合っていた。

誰にもドMだと打ち明けた事がない。

だって最初は自覚もなかったし。

でもそういう動画を見たり漫画を読んだりして濡れるタイミングで気付いた。

ちょっとどころじゃないMで更に言えばドMなんだと。

その欲望を発散する事なんかなくて多分ずっとこのままなんだろうと思っていたのに。


莉兎は無理してるのか分からない。

だって女の子とセックスするのも初めてだって言ってたし。

それなら責める立場というのも初めてのはずだし。


「…無理、してない?」

「何が?」

胸を包み込んだまま莉兎はきょとんとする。

「Mなあたしに…合わせてない?」

あたしの言葉を聞いて思わず笑い始める莉兎にムッとしてしまう。

「き、になるやん」

「責めたいまま責めてるだけ」

「ほんま?」

「うるさいな。さっさと虐めて下さいって言えや」

普段なら頭を殴ってるセリフもぞくぞくしてしまう。

でも莉兎の目を見れず俯いて

「虐めて、ください…」

呟いたらにぃっと笑う雰囲気がした。


濃いめのハイボールのせい。

全てはアルコールのせい。


そう言い訳していると

「自分でTシャツ捲って持ってて」

莉兎の指示に従って自らTシャツを持つ。

露わになった胸を揉んで、でも乳首は避けて。

もどかしいと既に腰を振ってしまう。

「り、と…触って…」

「触ってるやん」

「ちが…っ、ちく、び…っ」

「ひより、いい子」

莉兎の親指が触れる。

びくんっと体が跳ねて快感が走った。

親指でぐりぐりと押し潰されてその都度漏れる声。


自分の声は好きじゃない。

普段は低いくせにセックスの時少し高くなる変な声。

でも莉兎は指を動かしながら

「可愛すぎやん」

はぁ、と興奮した吐息を漏らして片方の乳首を口に含む。

それやばい。

莉兎のざらついた舌の表面で舐められるとより一層腰が弾む。

もう片方の乳首はカリカリと先端を爪で掻く。

Tシャツを持っている両手が震えてしまう。

離しそうになるけどぎゅっと必死に掴んだまま。


「ぁっ…ぁあっ…ぃいっ…!」

「いいん?これ好きなん?」

「す、きぃ…!もっ、と…して、ぇ…!」

自らおねだりすれば莉兎は乳首に吸いつく。

ちゅうっと唇と舌で吸われるとたまらない。

両方の乳首を虐められてもう無理。

既にめちゃくちゃ濡れていて今すぐにでも欲しいほど。

喘いで鳴いてを繰り返し、耐えれずTシャツを手放して莉兎の頭にしがみつく。


「こら」

「だ、って…気持ちいい、からぁ…」

腰を動かしながら言うと莉兎は笑って反対側の乳首に吸いつく。

ちゅうっと吸ったり舌でれろれろと刺激したり、舌遣いが上手すぎる。

「ひよりの乳首めっちゃ勃ってる」

「言わ、んで…っ」

「言われた方が気持ちいいくせに」

バレてる。

吐息を漏らしながら思う。

どんどん体内にある炎が燃えていく。

そういう言葉を投げられる度に炎の勢いが増していく。

そして音色。

わざと莉兎はぢゅるぢゅると音を鳴らす。

それに興奮してたまらなくなる。


「んっ、あ、ぁっ、あぁ…っりと、り、とっ」

「ひより、」

ハァハァとお互い離れて見つめ合う。

キスをして舌を絡ませている間に莉兎はショートパンツの中にするりと手を滑り込ませてきた。

あたし自身迎え入れるように少し腰を浮かせて秘部に莉兎の指。

「とろとろ」

「だ、って…気持ちい、もん…」

「ここ、硬い」

なぞられた部分に思わず莉兎の肩を持ったまま俯く。

期待感が胸中を支配していたけれど莉兎は

「当ててるから自分で動いて」

そんな羞恥を煽るようなセリフ。


普段なら「むり…」と恥じらって言うかもしれない。

でも濃いめのハイボールが効いているせいで頷きながら自分で腰を振る。


ちゃんと莉兎の指が当たるように、自分が気持ちいいように。

必死に夢中で腰を振って絶え間なく喘ぐ。

莉兎の指が擦れる度に快感が増す。

それをジッと見られて恥ずかしいはずなのにその視線さえも快感。

「ぁ、ぁ、ぁっ、ぁん…っん、んんっ…りと、きもちぃ…っ!」

「そんなにいいん?ひよりえっちやな」

「ぇ、っち…やもん、っき、らい…?」

腰を振りながら莉兎を見つめれば口角を上げて

「めっちゃすき。あいしてる」

ストレートに言った後、ずるりと指が移動してナカに挿入ってきた。

「ひよりだけをあいしてる」

「あ、ぁあっ…!あたし、も…りと、だけ…っっ!」

あいしてる。


最後まで言えなかった。

歯を食いしばったから。

それほど思い切りぐちゅぐちゅと突き上げられて果てたから。

「勝手にイったらあかんやろ」

冷静に怒られて莉兎の瞳は獣のまま。

全身が震えて許しを乞うようにキスを繰り返す。

怒られる事さえ甘美、なんてドMの極みかもしれない。

「ごめ…んなさぃ…っ許し、て…」

「ここは?」

ナカに挿入れられていた指が気持ちいい部分に当たる。

思わず莉兎にしがみついて耳元で喘ぐ。


「い、ぃっ…そこ、すき、っ…!」

「ひより、抱きつかれたら顔見えん」

「い、や…っくっつ、いてたぃ…っ」

「甘えん坊め」

そう言いながらも莉兎は左手で髪をわしゃわしゃと撫で回す。

優しい左手と責め立てる右手。

少しは耐えれると思ったのに何度か擦られるとやっぱり無理で。

「イク、…!イってい、?りと、おねが…っ」

「ええよ。いっぱい鳴きながらイッて」

「ん、んぁ、…あ、ぁあああっっ…!!」

「可愛いすぎ。もうほんま無理。キャパオーバー」


莉兎の声に少し離れたら奪うように唇が重なる。

ちゅっ、ちゅっちゅっ…と部屋に響く愛おしい音色。

莉兎に愛される歓びに満ちた心。

離れてお互い吐息を漏らしながら見つめ合って

「も、っと。もっと、して…?」

甘くおねだりすれば莉兎は唇を舌で舐めた後沈ませた指を動かした。






散々愛し合った後。

甘い雰囲気が部屋中に流れてるのかと思いきや、沈黙。


ソファに並んで座って煙草を吸いながら

「絶対外で酒飲まさんからな」

莉兎はそれで文句を言ってるし

「絶対女抱いた事あるやろ」

あたしはそれで膨れている。


二人ブツブツぼやきながら…変な空気。


吸い終わった煙草をポンと灰皿に投げて莉兎は

「飲み会でもひよはソフドリやからな」

念を押すように言う。

「いや」

プイッとそっぽを向けばムキになって怒っている。

「あのなぁ」

「普段はセーブしてるもん」

まだ少しフラフラふわふわしている脳内。

セックスを終えてから水を飲んで少しはマシになった方。

「んじゃ濃いめのハイボールは絶対禁止」

「外で濃いめは飲まんようにしてるからええやろ」

「あんなん他の男見たら襲うに決まってる」

勝手に想像してイライラする莉兎に少し笑えてしまう。

誰も襲うわけないのに。


それより

「あたしの話は?」

思い切り煙を吸い込んでふっと吐く。

そして火をもみ消して莉兎を見れば呆れた様子。

「女の子と付き合った事ないって言うてるやん」

「でもやった事あるやろ」

「ないわ」

言い切る莉兎の言葉に、うーん。

その割に手慣れすぎてる。

舌も指もかける言葉でさえも。


信用せずに見つめたままのあたしに莉兎は

「ひよが初めてやもん」

堂々と言い放つ。

それからあたしの手をぐいっと引っ張って抱き寄せた。

「…初めてやったらええけど」

あたしにも当然嫉妬心はある。

男性なら分かるけど女の子は比べてしまう。

あたしより可愛かったんかなとか。

同じように愛したんかなとか。

色々気になって過去に嫉妬してしまう。

ざわつく心を見透かしたように莉兎はあたしの頭を撫でる。


「ひよりだけ」

「…ん、」

「信じて」

こうしている時に名前を呼ばれると弱い。

何度も頷いて分かったのサイン。


正直こんなに溺れるとは思わなかった。

でも今、莉兎に溺れて幸せ。

溺れてるけど助けはいらない、あしからず。


「それよりひよの酒癖の方が問題やからな」

「もーやかましい」

「…気持ちよかった?」

離れようとした所で問われる。

莉兎の腕の中、見つめて頷いて

「き、もちよかった…」

告げれば嬉しそうな莉兎の顔。

ふにゃっと笑っていて、それは決して仕事上で見られない笑顔だった。

かわいい。

子供みたいだけど無邪気で心底愛でたくなる。


「やってる側の莉兎は気持ちいいん?」

「え、めっちゃ気持ちいい」

「触ってないやん」

「でも気持ちいいもん」

あっけらかんと言いながら額にキス。

そこじゃない、なんて思って唇を寄せればちゃんとキスしてくれた。



「明日何する?まだ土曜やで」

わくわくしている莉兎は全力で週末を謳歌中。

そう、まだ土曜の夜。

こんなにも楽しい週末は久々。

あたしも莉兎と同じく週末を謳歌中。

もちろん、全力で。

くっついたまま明日の計画。


とりあえず

「百均行きたい」

「何かあんの?」

「莉兎のお箸とかお茶碗とか欲しい」

「まぁ、あった方がええよな」

「莉兎の家から持って来てくれてもええよ」

「ウチにない」

…本当にどう生活していたんだろう。

首を捻るけれど自炊をしないと言っていたから納得する。


「なぁ、莉兎の家…しばらく帰ってないけど大丈夫なん?」

何度か荷物をとりに行ったけれど、あたしは入った事がない。

車の中で待っててと言われたからマンションの外観しか知らないまま。

数日家を空けてしまって困る事がないのか気になっていた。

自炊をしないなら腐るものなどはないだろうけれど。


「それなんやけど、」

くっついていた体を離して莉兎はあたしを見る。

あたしも体勢を直して見つめ返せば

「一緒に住まん?」

莉兎からの言葉に驚いた。

願ってもない言葉だったから。

住みたいと勝手に思っていたけど言い出せずにいたから。


「…いいん?」

「もうちょっと広い家に引っ越して…とか」

「莉兎は…それでいいん?」

常々引っ越したいとは思っていたけど、それが恋人との同棲する為なんて。

まさに幸せな引っ越し。

胸がドキッとする反面莉兎はいいのか気になる。

居候を気にしていたからそういう思いで言ってるのかなとか。

「ひよと一緒におりたいからそれがいいねん」

笑って言ってくれた言葉に返すものは言葉じゃなくて行動。

ぎゅうっと抱きつけば背中を撫でてくれた。

「あたしも、一緒におりたい」

「まぁとりあえず自分の家片付けなあかんけど」

「手伝う」

「引くレベルのゴミ屋敷やで」

「大丈夫。お互い引っ越して一緒に住も」

莉兎の部屋がどんなものか分からないけど、一緒に片付けるから。

あたしも自分の部屋を片付けて身軽になってこの家を出よう。

そして新しい家での同棲生活。


胸が躍るなと思っていたら莉兎もそうらしく、にぃっと笑っている。

「やばいやん。家探しがんばろ」

「ん、がんばろな」

「明日は?百均?」

「一緒に住むなら…ちょっといい食器にする」

「お揃い?」

「あたしのお茶碗とお箸を買い直してもいいし」

「お揃い?」

「…お揃いにしたいん?」

「憧れるやん」

ちょっとした事でウキウキする莉兎が可愛い。

「ええよ」と言ったら嬉しそう。


お揃いの食器を買いに行く。

明日の予定が決まった。

ショッピングモールかなと思いながら今日と同じくらいいい日になりそう。


「今以上に仕事頑張れるわ」

「もう十分すぎるほど頑張ってるのに」

「もっと。ひよが惚れ直すくらい」

やる気満々の莉兎には申し訳ないけど

「アホ。もう何回も惚れ直してる」

さらっと恥ずかしい事を言ったら驚いた表情。

「やばい。今夜寝れんやん」

「寝れんで何すんの?」

「えっちする?」

アホ。

莉兎の頭を小突いたけど、少しの期待。

一日の中で何回するんやろう。

自分で呆れる反面本気で嫌がってない事は莉兎にも伝わっている。


あぁ、あかん。

何回しても足りんかも。

それくらい何度だって莉兎が欲しい。


結構狂ってると自分で思いながらさっきよりもぎゅうっとくっついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る