第二節 封印の綻び
朝の支度を終え、アーヤはいつものように神殿へと向かう。
「今日はいい天気だわ」
「何かしら、この匂い。どこかで嗅いだことがあるような……」
心地よい風が、季節の香りを運んでくる。
「いってきまーす!」
子供たちを学校へ送り出し、レオンに笑顔で手を振りながらも、陽気な雰囲気とは裏腹に、アーヤの胸の奥のざわめきは消えない。
――あの夢。
男の声、紅い月、そして「契約は果たされる」という謎の言葉。
(あれはいったい誰なんだろう、なぜわたしに話しかけるの……)
アーヤは、日に日に強くなる感情を握りしめながら、いつもとは違う気持ちで神殿に向かった。
重厚な神殿の扉は、今の感情とリンクしてるかのように重く、少し開けるのをためらわせる。
スッキリとしない気持ちで扉を開けると、いつもと変わらない匂いが吹き抜ける。
「おはようございます……」
「あっ、アーヤ様、おはようございます。」
見習いの修行僧が掃除をしながら丁寧に応えた。
「いつもご苦労さま。今日もピカピカね。」
「ありがとうございます。まだまだ修行が足りません……」
何気ない普段の会話を交わしながら足を踏み入れた神殿だが、どこかいつもと違う空気が肌を撫でた。
冷たくて重たい、まるで、見えない何かが空間を歪ませているような感覚...
アーヤは感じた
(……やはり、ただの夢じゃない)
そして、奥の封印の間へとゆっくりと進んだ。
古くからこの地に封じられている“何か”――その封印石がある場所だ。
「日に日に気持ちが重くなっていくわ」
広間の高窓から差し込む光だけが、この先の希望を感じさせる。
静まり返った通路を歩くと、乾いた空間にコツコツと足音だけが響く。
不気味に閉ざされた扉に手をかけ、おそるおそる向こう側に押すと、扉はほんのわずかに軋んだ音とともに意外と簡単に開いた。
(あれ?……誰かいるのかしら?)
アーヤの鼓動が高鳴る。
そして、何かに導かれるように前に進む。
ーー封印の間
「うっ、寒っ!」
封印の間は、薄暗くて肌寒い。
最初の目に飛び込んできたのは、部屋の奥にある巨大な壁画だった。
「あの壁画……石の前で誰か祈りを捧げてるみたい……」
そして部屋の中央にある円形のステージには、何かの儀式のためか、六芒星が描かれている。
それは、昔からずっとそこにあるものとしての存在感が半端なかった。
「いったいこれは何なの?」
そして、その上に鎮座する、まるで息を潜める獣のような黒光りした石。
「この石……なにか胸が締め付けられる感じがする……」
アーヤはそっと石に近づき、その表面を見つめた。
異様な雰囲気が漂う黒い石には、微かな亀裂が走っていた。
「割れてる……?」
「とりあえず状態を見てみないと……」
彼女は、数年前に記録された封印と照らし合わせるように、石に手をかざした。
「聖なる光よ、流れ行く時の声を示し、我が手にその姿を示せ」
神聖術の光が浮かび上がり、亀裂の中に、紅く脈打つ“何か”が見えた。
「やっぱり何か動いてるわ……」
「どうしよう……」
アーヤはしばらく考えた。
考えがまとまらず、もやもやしていたそのとき、扉のある背後から甲高い声がかかった。
「アーヤ様、何をなさっているのですか?」
振り返ると、神殿付きの学僧・ミラが立っていた。若く、まだ未熟だが、誠実な目をしている。
「ミラ……少し気になることがあって。記録と照合したの。この封印、かすかに“動いてる”わ。あなたこそ、ここで何をしているの?」
ミラはわずかに下を向きながら答えた。
「グレイ副長に頼まれて、時々石の状態を見に来てるんです」
「そうなの、ご苦労さま。あっ、ちょっと教えて。ほら、ここ、ひび割れてるでしょ?これはずっとこうなのかな?」
ミラは驚いたように目を見開いた。
「それは……まさか!昨日まではありませんでした!もしかしたら………」
アーヤは驚き、改めて石を見つめた。
「グレイ副長にご報告申し上げないと。もしかしたら大変なことになるかもしれません。アーヤ様もこの場を早く離れたほうがよいかと思います」
ミラはそう言って、足早にグレイのもとへ向かった。
「過去に何があったのか……今こそ、知らなければならない気がするわ」
アーヤはミラの後を追うように封印の間を後にした。
「アーヤ様、こちらへ……グレイ副長がお待ちです」
「わかったわ」
ミラはちょっと焦り気味にアーヤを促した。
ーー ミラ・フィローネ ーー
アーヤが目をかけている後輩巫女。快活で素直な性格であり、神殿内の人間関係にも明るい。アーヤを姉のように慕う。巫女としての霊的な力や知識は持っているが、まだ未熟で成長過程。ショートの鮮やか赤い髪がカワイイ22歳。
ーーーーーーーーーーーーーーー
神殿の執務室へと案内されたアーヤは、乾いた木製の扉をくぐると、そこにはたくさんの書物が眠る大きな本棚があった。
その奥に横たわる、大きな机に向かうグレイと再会した。
ーー グレイ・リヴァント ーー
神殿騎士団の副長を務める高身長のイケメン38歳。
筋肉質で短く整えられた黒髪は、鋭い青い目の視線を際立たせる。
戦闘では冷静沈着で真面目な性格からは想像できない強さと熱さを発揮する。神殿では最も頼れる存在。
ーーーーーーーーーーーーーーー
グレイは手に持っていた羽根のついた万年筆を置いてアーヤを見た。
「アーヤ……来てくれてありがとう。ミラから話は聞いたよ」
「すみません、勝手に奥の間に入って」
「いいんだ……それより……」
「はい。ステージ中央にあった石の状態を見ました」
「何か感じたか?」
「はい、何か紅いものが、ひび割れた石の中でうごめいていたようでした……それと……」
「それと…?」
「石と関係あるかどうか……最近よく夢をみるんです……」
「……ほう、それはどんな夢だ?」
アーヤは、さきほど封印の間で見た、封印石のひび割れと最近よく見る夢のことを包み隠さずに伝えた。
「鎖に繋がれた碧い瞳の男が、紅い月の下で私に語りかけてきます。契約が果たされる……と。」
冷静な神殿副長は、知性と厳しさが混じる瞳でアーヤを見つめていた。
「あの石は一世紀前にあるものを封印した」
彼の声には、いつもの落ち着きよりも、わずかな焦りがにじんでいる。
「……あるもの?」
「あぁ……」
グレイは窓の外を見ながら少し間を置いて応えた。
「……魔王だ」
「……ま、魔王!」
「もしかして、その魔王というのは……」
「あぁ。アルディナに伝わる……紅月の魔王…カザズレイキ……」
「昔話でしかきいたことないです」
その昔話とは、紅月の夜に“魔王”が現れ、人と契りを交わし、ある代償と引き換えに混乱を鎮めたという。
「その昔話は私も知っているが、この本に書かれていることが気になる。」
グレイは机の上に広げられた古文書の束から一冊を取り出し、慎重にページを繰った。
こげ茶色の分厚い本には「アルディナ記」と、書かれている。
「“紅月の封印”については、“災厄の魔神を封じし聖地”としか公式の記録としては書かれていないが、きっと真実はもっと深い……。アーヤ、お前には知っておいてほしい。」
「はい。わかりました。その封印が解かれようとしてる……」
「あぁ。そうかもしれない。封印はその後になされた。“契りを破ると、再び紅月が咲く”とも伝えられている」
「契り……?」
夢の中で聞いた言葉と一致する――“契約は果たされる”。
アーヤの細い指先が小さく震えた。
「それが……わたしに関係あると?」
「まだ断定はできぬ。だが、夢の中で“彼”の声を聞いたなら、おそらくお前は“鍵”の一端を担っているのだろう。もしくは……すでに選ばれてしまったのかもしれない」
アーヤは戸惑いながら静かに下を向いた。
胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じる。
「それともうひとつ、他にも予兆のようなものがある。」
「何か起こってるのでしょうか?」
アーヤはもう一度顔を上げた。
「最近、周囲の精霊反応が不安定になっていた。だが、それが封印にまで及んでいるかもしれない……」
不安そうなアーヤの瞳は、グレイを突き抜けるように強くじっと見つめた。
「わたしに何かできるんですか? それに、“契り”って、一体わたし……」
グレイは黙ったまま目を閉じ、少しためらったように重々しく答えた。
「契りとは、“心”と“魂”を結び、異なる存在をひとつにすること。それは神聖であると同時に、抗えぬ運命でもある。……アーヤ。お前はすでに、運命の扉の前に立っているのかもしれない」
青白い静けさの中、時を告げる鐘の音だけが、晴れ渡った神殿の上空に響き渡っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます