追放されたので路地裏で工房を開いたら、お忍びの皇帝陛下に懐かれてしまい、溺愛されています
藤宮かすみ
第1話「路地裏で拾った、小さな希望」
冷たい雨が石畳を叩く音だけが響いていた。
王都の壮麗な建物が立ち並ぶ大通りから一本外れた、薄汚れた路地裏。その軒下で、フィオは降りしきる雨をただ呆然と眺めていた。
つい先ほどまで彼の居場所だった王立錬金術師工房から、追い出されたばかりだったのだ。
「君のスキルは、我々が求めるものではない。もっと実用的な、例えば強力な回復ポーションや、攻撃魔法の触媒を即座に作り出せる才能こそが必要なのだ」
工房長の冷たい声が、まだ耳の奥で響いている。「役立たず」という烙印。それが、長年真面目に勤めてきたフィオに与えられた評価だった。
フィオの持つスキル【神眼鑑定】は、物の真の価値や成り立ち、そして修復方法までをも見抜く特別な力だ。しかし、それは派手な錬金術とは程遠い。壊れた魔道具の細かな調整や、古い文献の解読といった地味な仕事ばかりを任されてきた。その一つ一つが工房全体の運営を支えているという自負はあったが、結局は評価されなかった。
雨粒が頬を伝う。それが涙なのか雨なのか、もうフィオ自身にも分からなかった。
全てを失い、これからどうすればいいのか。絶望に心が沈みかけた、その時だった。
ふと、脳裏に懐かしい光景が蘇った。それは、この世界に生まれる前の、前世の記憶。埃っぽいけれど、どこか落ち着く空間。様々な品物に囲まれ、品物一つ一つの物語を客に語り聞かせていた、アンティークショップの店員だった頃の自分だ。
『価値は、人が決めるものじゃない。物が持つ物語そのものだ』
そうだ。あの頃、師と仰いだ店主がいつも口にしていた言葉だ。ガラクタに見えるものでも、誰かにとってはかけがえのない宝物。その価値を見出し、次の持ち主へと繋いでいく仕事に、彼は誇りを持っていた。
この世界でも、同じことができるんじゃないだろうか。
フィオの中に、小さな灯火がともった。【神眼鑑定】と、前世で培った修復技術。この二つを合わせれば、新しい道が開けるかもしれない。派手な魔法は使えなくても、誰かの大切な思い出を、この手で蘇らせることはできる。
健気なものだと、我ながら思う。それでも、俯いていても何も始まらない。
フィオは濡れた顔を上げ、しっかりと前を見据えた。
数週間後、フィオは王都の片隅、忘れ去られたような路地裏に、小さな店を構えていた。なけなしの金で借りた、今にも崩れそうな古い建物だ。看板には、拙いながらも心を込めて『時の忘れもの』と書き記した。
店の商品は、ガラクタ市で仕入れてきた埃まみれの品々。インクの出ない万年筆、曇ったレンズの古い眼鏡、音の鳴らない小さなベル。だがフィオの【神眼鑑定】には、それらが秘めた本来の輝きが見えていた。彼は一つ一つを丁寧に磨き、知識と技術を総動員して修理していく。それは、まるで失われた時を取り戻していくような、穏やかで満たされた時間だった。
店を開いて一月ほど経った、ある雨上がりの午後。店のドアベルが、カラン、と控えめな音を立てた。初めての客だった。
入ってきたのは、腰の曲がった小柄な老婆だった。深く刻まれた皺の中に、不安そうな瞳が揺れている。彼女は震える手で、古びた懐中時計をそっとカウンターの上に置いた。
「あの…どんなものでも直してくれる魔法使いがいると、噂で聞きまして…」
それは、細かな装飾が施された美しい銀の懐中時計だったが、針はぴたりと止まり、表面にはいくつもの傷がついている。フィオがそっと手に取り、【神眼鑑定】を使った。
――アイテム名:『永遠を誓った懐中時計』。半世紀前、ある時計職人が愛する妻のために作った一点物。内部の歯車が一つ、摩耗により欠損。しかし、込められた想いは今も色褪せてはいない――
「これは…とても素敵な時計ですね。あなたにとって、大切なものでしょう?」
フィオが優しく語りかけると、老婆はぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「亡くなった夫の、たった一つの形見なんです。若い頃、初めてもらった贈り物で…。あの日から、私の時は止まったままのようで…」
その言葉に、フィオの胸はきゅっと締め付けられた。これは単なる修理じゃない。この人の止まってしまった時を、もう一度動かす仕事なんだ。
「お任せください。必ず、もう一度時を刻めるようにしてみせます」
フィオは老婆を椅子に座らせ、温かいハーブティーを出すと、すぐさま作業に取りかかった。繊細な工具を使い、時計を慎重に分解していく。鑑定スキルが示した通り、欠けているのは米粒よりも小さな歯車だった。代わりになる部品はない。ならば、作るしかない。
フィオは錬金術を使い、銀のくずから寸分違わぬ歯車を生成した。それは、王立工房でやっていた設備のメンテナンス用の部品作りで培った技術だった。役立たずと罵られた技術が、今、ここで誰かの心を救おうとしている。
全ての部品を丁寧に組み上げ、磨き上げた蓋を閉じる。フィオがそっとリューズを巻くと、チクタク、チクタクと、懐かしくも優しい音が静かな店内に響き渡った。
「さあ、ご覧ください」
フィオが差し出した時計を受け取った老婆は、再び動き出した秒針をじっと見つめ、やがてしゃくり上げながら泣いた。
「ああ…動いている…。あの日、夫がこれをくれた時のように…。ありがとうございます、ありがとうございます、魔法使いさま…」
何度も頭を下げる老婆に、フィオは少し照れくさそうに微笑んだ。
「いえ、私はただの修理屋です。この時計が、あなたと旦那様の時間を、ずっと覚えていただけですよ」
修理代として老婆が差し出した銀貨数枚を受け取り、深々と頭を下げて見送る。老婆の背中は、店に来た時よりも少しだけ、しゃんと伸びているように見えた。
一人になった店内で、フィオは窓から差し込む西日を浴びながら、老婆が置いていった銀貨を握りしめた。ずっしりとした重みと、温かさ。それは、誰かの笑顔によって得られた、初めての報酬だった。
失意の底で見た、アンティークショップの記憶。あの時の店主の言葉が、今ならはっきりとわかる。価値とは、値段や希少性じゃない。誰かの心に寄り添い、笑顔にできること。それこそが、何物にも代えがたい価値なのだ。
雨上がりの空には、淡い虹がかかっていた。路地裏で拾ったこの小さな希望を、大切に育てていこう。
フィオの新しい人生が、今、静かに時を刻み始めた。
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