第5話

 夜は、風のない静けさに包まれていた。

 城の高い塔の上、月がまるで見張りのように二人を照らしている。


 航は、塔の縁に座って夜空を見上げていた。

 「ねえ、ライアン。君の世界では、星に願いをかけることってある?」


 ライアンは隣に立ち、腕を組んだまま答えた。

 「願い……? 子どものすることだろう。」

 「違うよ。大人だって、叶わないことがある時は願うんだ。」


 航の言葉に、ライアンは少しだけ笑った。

 「お前の言葉は、時々よくわからない。」

 「そうだろうね。この世界には“恋”も“願い”もないから。」


 風が吹いた。

 その風の中で、航の髪が揺れた。

 その一瞬、ライアンは胸の奥が締めつけられるのを感じた。



 「……ライアン」

 航が、少し寂しげに笑った。

 「この世界って、完璧に作られてるんだね。

  秩序も、役割も、誰が誰を愛すかまで決められてる。」


 「それが、この国の平和だ。」

 「でも、その平和って……心が死んでるじゃないか。」


 ライアンが振り向いた。

 「心が死ぬ……?」

 「愛を知らないって、そういうことだよ。

  痛いことも、嬉しいことも、全部なくして、

  ただ生きるだけの毎日。」


 航の目が、夜の光を映していた。

 「そんな世界、俺はもう嫌なんだ。」



 沈黙の中で、ライアンが一歩、近づいた。

 距離はわずか。

 けれど、その一歩が、この世界のすべての禁を破る一歩だった。


 「……お前は、俺を変えた。」

 「え?」

 「誰も踏み込まなかった俺の中に、足跡をつけた。」


 航は、息を飲んだ。

 ライアンの瞳は、夜よりも深かった。


 「触れてもいいか?」

 航は、小さく頷いた。


 その瞬間、二人の影が重なった。

 唇が触れ合う。

 世界が、音を失った。



 だが、静寂は長く続かなかった。


 バンッ――

 扉が開く音が、塔の中に響いた。


 「ライアン隊長!」

 兵士の声が震えていた。

 「評議会の使者が……あなたたちの関係を!」


 ライアンは航を庇うように抱き寄せた。

 「誰が報告した?」

 「……王都の神官が。

  “愛の行為”を禁じた法に背いたと……」


 航の顔から血の気が引いた。

 ――見られていた。

 “愛”が、罪として告げられた。



 兵士たちが塔を包囲する気配がする。

 ライアンは航の手を掴み、低く呟いた。


 「逃げるぞ。」

 「でも、君は……!」

 「俺が誰を愛そうと、誰の命令にも従わない。」


 その言葉には、騎士の誇りよりも、ひとりの人間としての強さがあった。


 「……愛は罪じゃない。」

 航が震える声で言った。

 「だったら、俺たちがこの世界に証明してやる。」


 ライアンは頷き、航の手を強く握った。

 塔の下、夜の街へと二人は駆け出した。



 鐘が鳴る。

 愛を持つ者たちを裁く“聖鐘”。

 その音が街に響く中、航は振り返らなかった。


 ――たとえこの命を失っても、

  この世界に“恋”という言葉を残してやる。

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