【BL】愛を知らない世界で

堤さん

第1話

 目を閉じる瞬間、静かだと思った。

 苦しみも、涙も、呼吸も、全部やっと止まった気がした。


 25歳の航は、何も残せないまま死んだ。

 家族には「普通に結婚してほしい」と言われ、

 会社では「お前、女に興味ないの?」と笑われ、

 好きだった男には「お前みたいなのは無理」と言われた。


 孤独は、積もる雪のように静かだった。

 誰も悪くない。

 でも、誰も彼を見てはいなかった。


 だから、終わりにした。

 小さなマンションの部屋で、眠るように。



 「……おい、聞こえるか?」


 遠くから、声がした。

 身体が重い。目が開かない。

 けれど、確かに誰かがそばにいた。


 「まだ息がある。急げ!」


 聞いたことのない言葉。

 耳に届く音の響きが、どこか現実離れしていた。


 ――死んだはずだ。

 どうして。


 重い瞼を開けると、そこは灰色の空の下だった。

 石畳の上に寝かされていて、見知らぬ男たちが立っている。

 鎧、剣、馬。


 まるで映画の中の世界。


 「おい、大丈夫か!」

 一人の青年が膝をついた。

 日差しの中で、銀色の髪が光る。

 その瞳は、信じられないほど澄んでいた。


 「……生きてる?」

 航はかすれた声で問う。


 青年は一瞬驚き、それから笑った。

 「生きてる。俺が助けたんだからな。」


 その笑顔があまりにもまぶしくて、

 航は思わず目を細めた。



 数日後、航は城の医務室で目を覚ました。

 見知らぬ布団、見知らぬ天井。

 身体の痛みも、まだ少し残っている。


 扉が開き、銀髪の青年が入ってきた。


 「目が覚めたか。よかった」

 「……あなたは?」

 「ライアン。騎士団の隊長だ。」


 その名前を口にした瞬間、

 航は“ここが現実ではない”ことを、ようやく理解した。


 「……ここ、どこですか」

 「何を言ってる? リドリア王国の都だ。」


 リドリア? そんな国、聞いたこともない。

 航は混乱の中で、必死に現実をつなぎ止めようとした。


 だが――

 この世界には、彼が知る「愛」という言葉の意味がなかった。



 「愛? それは男女の結婚のことか?」

 ライアンが首を傾げる。


 航は小さく笑った。

 「……違うよ。

  人を好きになること、誰かを想うこと。」


 その言葉を、ライアンは理解できないように黙っていた。


 「そんなもの、あるのか?」


 その一言が、航の胸を深く刺した。

 ――ここにも、あの世界と同じ“孤独”がある。


 だけど、今回は逃げたくなかった。


 航は空を見上げた。

 青く澄んだ空。

 「だったら俺が、ここに教えてやるよ。

  “愛”ってやつを。」


 その声は震えていたけれど、確かに生きていた。

 彼の二度目の人生が、いま始まった。

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