30.ジェレミーの晩餐
ジェレミーが選んだのは、肉か、魚か。
そんな思考実験があるらしい。そう聞いた私は、友人から聞いた内容を手帳に書き留め、いつもの喫茶店に向かった。
「お、来たな。遅いぞ」
喫茶店の奥、照明が届きにくいボックス席で青年が手を振る。東条怜音。私と同じ大学に通う同級生であり、リーダー達がいなくなってしまった今のチームを束ねる存在でもある。私達の世界の消滅を回避した結果、いなくなってしまったリーダーとサブリーダー。二人を奪還するべく、今この世界で私達は動いている。
「優輝先輩と夏波先輩は来れないって」
眼鏡をかけた少女が、携帯電話を見ながら呟く。彼女は丹花彩愛。元の世界では分析と実況を担当していた高校生の後輩であり、今はリーダー奪還の急先鋒として頑張ってくれている。
「史料を探してるんだっけ。仕方ないよね」
彩愛の横に座る一つ縛りの少女が首を振る。彼女は紫月魔夜。嘗て暗殺者として暗躍していた少女であり、最初は私達を殺める目的で襲ってきた敵であった。しかし、紆余曲折を経て仲間入りを果たし、今は一緒にリーダー奪還のために動いている。
「二人ともありがとう。進捗はどう?」
怜音の横に座りながら、三人の顔を見渡す。しかし、三人の顔色は芳しくなかった。どうやら話し合いは進んでいないようである。欠員も多いし、無理もない。こういう時は。
「少し息抜き、しようか」
休むに限る。
* * *
「みんなは『ジェレミーの晩餐』って知ってる?」
私がそう言うと、三人とも首を振った。それを確認してから、手帳を取り出して思考実験の内容を伝える。ジェレミーの晩餐とは、こんな内容のものである。
昔、ある国にジェレミーという重篤な病人がいた。彼の病は非常に重く、余命が見えている状態であった。ある日、そんな彼に二つの食事が出された。
一つは、魚料理であった。魚料理には、病を軽減する成分は多く含まれているが、完治する成分は含まれていない。つまり、病を軽減させることは出来るが、治すには至らない。余命が少し延びる程度である。
もう一つは、肉料理であった。肉料理には、なんと病を完治させる成分が含まれている可能性があった。その一方、逆に病を悪化させる成分が含まれている可能性もあり、その場合、最悪死に至る。完治するか、死亡するか。究極の二択を天運に任せることになる。
食べられるのは、どちらか一つだけ。さて、ジェレミーは魚料理を食べるべきか、肉料理を食べるべきか。こういう思考実験であった。囚人のジレンマに似た思考実験であるが、みんなはどちらを選ぶだろうか。
「私は、魚料理かな」
最初にそう答えたのは、彩愛であった。その心は。
「だって、お肉料理の方は死んじゃう可能性があるんでしょ? 治る可能性があるとはいえ、そんな大博打に出て死んじゃったら元も子もないよ」
彼女の答えは、いわゆる『慎重派』の答えであった。大きなメリットもあるが、運が悪ければ全てが水の泡となる。ならば、端から大きなリスクなんか取らなければいい。相応のリスクのもとで、相応の結果を得る。日本人に多い答えとも言われている。
「そうか? 俺は断然、肉料理だな。魚料理食ったって治らねぇんだろ? だったら、一か八かでも治る方を選ばなきゃ意味ねぇよな」
怜音がそう言って頷く。彼の答えは、いわゆる『大胆派』の答えであった。大きなメリットに、大きなリスクはつきもの。端からそう腹を括り、一か八かの賭けに出る。慎重派とは真逆の答えであった。慎重派と、大胆派。こうも綺麗に分かれてくれると、思考実験を持ち込んだ甲斐がある。
「魔夜はどう?」
窓の外を見て黙りこくっている魔夜にも尋ねてみる。すると、彼女はため息をつきながら答えた。
「……どっちも食べない」
「あ?」
予想外の答えに、怜音が眉をひそめる。それを見て、魔夜がこちらに向き直って口を開いた。
「魚料理を食べても効果は薄い、肉料理を食べたら死ぬかもしれない。そんなことに頭を悩ませるだけバカらしいって思うの。人間、どうせ死ぬ時は死ぬんだから、私はそんなことに神経すり減らしたくない」
その答えに、私を含め全員が黙ってしまった。彼女は、いくつもの命を潰してした人間である。命について語る資格が無いのは分かっているが、だからこそ、彼女の言葉には妙な重さがあった。
リスクを負ってでもメリットを取りに行くか、リスクは背負わないかを問う、ジェレミーの晩餐。選択次第では最後の晩餐にもなりかねないものであり、志を同じくする仲間でも意見が分かれる。本当はそれを元に意見を交わす思考実験だったのだが、思わぬ一面を垣間見ることができた。
「ほえー……やっぱ魔夜、達観してるね」
ジェレミーが選んだのは、肉か、魚か。
「アンタ達が子供なだけ」
意見が違ったって、私達は志を一つにする仲間である。
END
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