21.空は飛べなくても

箒に跨り、空を飛び回る。

そんなシーンを、アニメなどで時々見かける。自由に空を飛べたら。そんな風に言われることがある。

「カボチャのランプ、綺麗だね」

支部の受付に置かれた、クラウンコンビが作ったパンプキンのランプを見ながら、みそらが呟く。葡萄染みそら、本名は文姫みそら。僕の双子の姉であり、一緒に和楽パフォーマーとしてこのシプソフィラで活動している日本舞踊家である。ハロウィンが近く涼しいこの夜に、炎が揺れるカボチャのランプを見ていると、何となく心が安らぐ。炎は時に人に牙を剥くものなのに、不思議なものである。

「ファウ達が作ってくれたんだよね。器用だなぁ」

シプソフィラ日本支部でクラウンとして活動するコンビ、エルネストとファウスト。二人はとても器用であり、時折飾りやお菓子などを作ってくれる。そうして、二人でカボチャのランプを眺めていると、あることに気がついた。

「あれ、これって……」

ランプの傍に、紙を切り抜いて作られた何かが貼ってあった。よく見ると、それはホウキで空を飛ぶ魔女を模したものであった。なるほどハロウィンらしい切り紙だが、よくこんな細かいものを作ったものである。誰が作ったのかは分からないが、ハロウィンらしくてかわいらしい。そんな風に思った、その時であった。

「ねぇ、時羽」

ふと、隣にいたみそらがこちらを向いた。姉弟で共通の、紫の瞳が僕をしっかりと捉える。

「空を飛べたら、なんて思ったことある?」


* * *


唐突な質問に、黙り込んでしまう。もし、空を飛べたら。昔から人間が抱いてきた夢の一つだが、僕はというと。

「思ったことは、無いかな。叶いっこないって、どうしても思っちゃう。高望みも、したくないし」

そんな風に思ったことはなかった。空を飛ぶことだけではない。叶わないと分かっているような夢も、叶いそうな夢も、何一つ期待しないようになってしまった。期待するだけ、高望みするだけ、落ちて痛い目を見ると分かっているから。冷めていると言われれば否定は出来ないが、落ちると分かっていながら高いところに登る気にはなれなかった。

「そっか……私は、ある。嫌なこと全部忘れて、思いっきり空を飛べたら、なんて思ったこと、あるんだ」

そう呟くみそらの目は、少し虚ろに見えた。

「嫌なことって、僕のこと?」

そう言った瞬間、みそらの肘が脇腹に入った。

「そうじゃないよ。昔のこととか、ちょっとしたこととか、そういうものの積み重ね。たまに、しんどくなるんだ」

遠くを見つめるみそらの瞳は、やはり空虚であった。幼い頃から共に過ごしてきたのだ。みそらが疲れていることくらい分かる。ならば、こんな僕に何が言えるだろうか。

「空は……飛べなくても、いいんじゃないかな」

そんな貧相な言葉しか出てこなかった。何とか続きの言葉を胸の中で探す。僕が言いたいこと、伝えたいことは。

「今あるもので『そんなものか』って思えたら、少しは楽になれる気がする。ある意味、諦めに近いのかも。期待せずに『そんなもの』って考える。そうしたら、今いるこの世界も、少しは違って見えるかなって、思うよ」

高望みせず、期待せず、そんなものと思って流していく。心に留めることなく、川に流すかのように見送る。この病を抱え、感情を制御できなくなってしまった僕だが、そんな考え方をカウンセリングで教わった。受け流すというと、端から聞かずにスルーする、というイメージで聞こえるのだが、そうではない。そんなもの。その一言に集約される。

空は飛べなくても、今いるこの世界を変えることは出来る。世界そのものを変えるのではなく、自分なりの『色』で塗って、その『色』で見ていく。見たくないものの前で目を瞑っても消えることはないが、白だったものを赤く塗ったり、青く塗ったりすることは出来る。そうすれば、今僕達が生きるこの世界だって、違って見えるはずである。

「時羽、元気になってきたね。嬉しいよ」

箒に跨り、空を飛び回る。

「そ、そうかな……」

空は飛べなくても。

「うん。大丈夫、これからも、変わっていけるよ」

見えるこの世界を変えることは、できるはず。


END

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