episódio.36 笑わぬ虎は、青瞳を愛する⑤(☆)

 なにゆえ、タイラント国王からの暗殺命令をことわれなかったのであろうか。

 なにがために、ひょうきん三銃士による揶揄を無視できなかったのであろうか。 


 舌を噛みちぎってでもアルコとのくさびを守るべきであったにもかかわらず、そうでなかったのはたぶん親睦の来歴がその程度でしかなかったのであろう。長年奉仕せし国家で肥やしたキャリアのほうがよほど価値があったのだ。

 いくら一目惚れした相手とはいえ、そこに心を焦がすほどキドンの愛国心は伊達ではない。啸風子とは名ばかり、本当のトラはキドンの心の中にあるのだった。


 今、知己ちきのかばねを、原型をとどめぬまでに刺咬しこうし続けている。


 後悔はない、良心の呵責もない。アルコの血汐ちしおで両手を穢すことへの背徳感もない。

 いかなれや、これでようやく、堂々として帰国できるからである。水面下で太った一番星よりも重い縁故に人目をはばかることもなく、公国のおおみたからとして胸を張って威風を吹かせるのだ。


 はたと気が付けば、キドンは、糞掃衣ふんぞうえ端切はしきれのように見る影もなくなってしまった無言のアルコを、しばらく自失茫然としながら俯瞰していた。

 さいわい、頭部だけは浅傷せんしょうのひとつもなく、きわだって良好な状態で残存している。


 白皙に映える青い目をした、鼻梁の通るバタくさいかんばせの、ただの青年だ。

 亜麻色のちぢれた寝乱れの長髪を、地表に染みる血溜まりひたらせている。


 ———この生首を、証左として持ち帰らむ。


 キドンの脳内には、もはやこの青年の面貌を、げに美麗なるぞと思う感性すらなかた。


 キドンは、サーベルの刃縁はぶちを青年のに当てがい、穂先に近い棟(むね)を片足で押し踏みながら、そのを斬り落とす。

 それから、かしらのブロンドヘアーを左手に持って垂れ下げながら、葦辺を通って帰路に立つのであった。



 一方そのころ、ルンブラン公国紫宸殿の裏庭では、落葉せし一隅の銀杏木の下にて、道化師さながらのたわむれた三銃士が、キドンの勝敗について賭博とばくに熱中していた。


 ただ、百戦にして百勝の将帥キドンが、対岸の原始人ごときに苦杯くはいを喫するはずがなかろう。さようとあらば、けだしシェメッシュ小邦と気脈を通じてルンブラン公国をあざむくやもしれぬ。いな、それもまた、タイラント国王からそこらくに贔屓にされているキドンであるゆえ、すこぶる飼い慣らされておいておそまきながら造反に走る確率はかなり低い。

 しからば、敵国と折衝を重ねて周到にも和平締結の吉報をとどろかせる可能性ならばなきにしもあらずではなかろうか。ドゥルキス大君が愛娘である美貌のカリーノ姫を所望するタイラント国王のために、遺漏いろうなき有益な交渉を遂げて便宜べんぎをはかり得るにも一理ある。


 このようにして三銃士が能天気な考察をしている時下こそ、キドンの左手にはとうに一人のスカルプがぶら下がっているのだから、まさしく推して知るべしのアイロニー的である。

 ひとまず三銃士は、今宵が明けるまで、将帥の帰投を待つことにするのだった。


 ややもせずして、肥大漢があくびをかみころしながら鼻孔をいじってキドンへの羨妬せんとうをうたう。


「まったく、国王さまの陰間かげま役もいいところよなぁ。見初められるなんて、心底うらやましいぜぇ……」


 ちょうどそのおりに、雑木林を通り抜けて裏庭の葛垣をまたぐに、紫宸殿の三銃士のもとへやおら示現せし者がいた。

 まごうことなき、キドンである。


「おお。なんだ、帰ってきたのか」


 三銃士が、キドンのしぶとく生き残って帰参せしさまに、べたなぎのようなしけた形相で舌を鳴らす。

 しかして、ふとキドンの左手を見やればまっさおな生首が吊るされているものだから、三銃士の表情は一変して固唾を呑んだ。よもや本当に鬼のこうべを狩りにいたるとは、予想していたことであろうとも慄然として血の気が引く。


 三銃士のうすら笑ってゆるんだ口元が一気にしぼむに、キドンの炯々けいけいとした眼光がよりいっそう睥睨へいげいを帯びて燃ゆる。

 キドンは、これみよがしに「お求めの粗品だ」とほのめかすかのごとく、生首を三銃士の足元へ投げ転がしてみせた。


 されば三銃士はおのおの、「ひえっ」とささやかな悲鳴を上げて顔面蒼白となる。

 その様子が滑稽で面白味を感じたのか、キドンはそこへたたみかけんとした。三銃士にイヤと言うほど吠えづらをかかせてやろうと、鮮血にまみれたサーベルを生首の脳天に突き立ててそのグロテスク性を顕示したのである。


 すると三銃士は、いよいよこの紅血の腐敗臭に吐き気をもよおして青ざめる。

 たかだか国内の憲兵ゆえに、しょせん生首の拝見なんぞ未経験であろう。ともすれば、血飛沫すら一面識もないのではなかろうか。

 普段潔癖のキドンが今晩ばかりは血糊ちのりにずぶぬれで、戦士の本気を見せつけられた三銃士はさすがにたまりかねただろうて。


 ゆえに三銃士は一言「もう勘弁」と言い残すと、あたかも悪魔にでも追われているような背格好で逃げていくのであった。

 ありあけ、やまあいから差す御来光ごらいこうが照るに、銀杏木の根元でうつろにたたずむキドンの哀愁が、みずみずしい柳色の芝生にその影絵を落とした。


 その日、シェメッシュ小邦カリーノ姫の愛人とおぼしき青年のしるしを御高覧なさったタイラント国王は、自分の命ずるがままに行動したキドンの忠誠心の確固たるを高く評価することとなる。

 その対価にあずかったキドンは、タイラント国王から借りて殺人に使用したサーベルを、そのまま褒美として授かるのだった。


 それゆえなれども、無事に忠義を遂行し恩賞までたまわったキドンの内心は幸福の絶頂たるはずであったが、その両瞳は灯火の消え失せたように喜色に輝くことはなかったという。


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