ブラック企業勤めで過労死した元社畜、インプに転生して無限体力で魔王軍をブラック企業からホワイト企業に大改革!

藤宮かすみ

第01話「社畜、異世界でインプになるも職場環境が気になりすぎる」

『ああ、ダメだ。もう、まぶたが……』


 鳴り響くサーバーのエラー音。モニターを埋め尽くす赤い警告表示と、おびただしい数の未処理タスク。

 それが、柏木健人(かしわぎけんと)、二十九歳の最後の記憶だった。

 激しい胸の痛みに意識が途切れる寸前、彼は思う。


『来世があるなら、もう二度と働きたくない……』


 そして次に目を開けた時、健人は光に満ちた空間にいた。

 目の前には、自らを「調停者」と名乗る輪郭の曖昧な存在が浮かんでいる。


「貴方の魂は、労働によりひどく摩耗していますね。次の人生では二度と過労で命を落とさぬよう、特別な力を授けましょう」


 健人が心の底から望んだのは「安らかな休息」だった。

 しかし調停者が授けてくれたのは「無限の体力」と、あらゆる物事を課題としてリスト化し進捗を管理できる「タスク管理」の能力。


『いや、そうじゃない。俺が欲しかったのは何もしなくても生きていける能力であって、無限に働けるスキルじゃないんだが!?』


 ツッコミは届かない。

 意識は再び遠のき、健人は人間と魔族が長きにわたり争う異世界へと、その魂を送り込まれた。


 気がつくと、薄暗くカビ臭い石造りの部屋にいた。

 小さな寝床がいくつも並んでおり、自分の手足を見れば、それは緑がかった肌の貧相で小さな子供のような体だった。


「おい、新入り! いつまで寝てる! さっさと仕事に行くぞ!」


 乱暴に蹴り起こされ、よろよろと立ち上がる。

 壁にかかったひび割れた鏡に映ったのは、尖った耳に小さな角、みすぼらしい布をまとった、まさしく物語で読んだ小鬼――ゴブリンよりもさらに下っ端の「インプ」の姿であった。


 なぜか名前は「ケント」として魔王軍に登録されており、彼に与えられた仕事は魔王城の巨大な倉庫の、誰もやりたがらない雑用係だった。


『マジかよ……転生しても労働とか、聞いてないぞ……』


 絶望に打ちひしがれるケント。

 しかし彼には前世と決定的に違う点が二つあった。

 一つは、どれだけ働いても全く疲れない「無限の体力」。

 そしてもう一つは、目の前の光景が勝手に脳内でタスクリスト化されてしまう「タスク管理」能力だった。


 案内された魔王城の倉庫は途方もなく広大だったが、その内部は混沌を極めていた。

 うず高く積まれた木箱、通路にはみ出した武具、そして鼻を突く何かが腐敗したような匂い。

 その瞬間、ケントの脳内に半透明のウィンドウが展開された。


【倉庫管理業務における課題リスト】

 ・【緊急】通路確保の不徹底による荷崩れリスク(危険度:高)

 ・【重要】食料品の在庫管理不備による大規模な腐敗の発生(損失額:甚大)

 ・【要改善】備品の重複発注による予算の圧迫(無駄コスト:月額金貨30枚以上)

 ・【要改善】武器、防具のずさんな管理による品質劣化(戦力低下リスク:中)

 ・【提案】棚卸しシステムの未導入による在庫差異の発生


 次から次へと表示される問題点の数々。

 それは、中間管理職として数々のトラブルを処理してきたケントにとって、あまりにも見慣れた光景だった。


『落ち着け、俺。俺はもう社畜じゃない。ここは異世界で、俺はインプだ。こんなもの見て見ぬふりをして、適当に言われたことだけやっていればいい。俺の目標はスローライフなんだから……』


 ケントは自分に強く言い聞かせる。

 しかし、長年染みついた社畜根性はそう簡単には消えてくれない。


「おい、ケント! そこの腐った野菜を裏の崖から捨ててこい!」


 先輩インプに顎で使われ、ケントは腐敗した野菜が詰め込まれた麻袋を軽々と担いだ。

 無限の体力のおかげで、その重さは全く気にならない。

 だが、問題はそこではなかった。


『なんでこんなになるまで放置するんだよ! 先入れ先出しの徹底ができていないのか! ああもう、イライラする!』


 腐った野菜を捨てながら、ケントの頭の中では改善案が次々と自動生成されていく。

 崖から戻ると、今度は別の魔族の兵士が倉庫番に怒鳴りつけていた。


「おい! 頼んでおいた槍はまだか! 数が足りないと報告しただろう!」

「うるせえな! どこにあるかなんて、いちいち覚えてられるか! 自分で探せ!」

『うわあ……在庫管理が破綻している典型的なパターンだ……。どこに何がいくつあるか、誰も把握していないんだな。これじゃ横流しとかあっても気づかないぞ』


 もうダメだった。一度気になり始めると、気になって仕方がない。

 この非効率な状況、無駄のオンパレード。

 前世であれば、徹夜してでも改善計画書を作成しているレベルだ。


「スローライフ……スローライフのためだ……」


 ケントはぶつぶつとつぶやきながら、まずは自分の持ち場である倉庫の一角の掃除から始めた。

 どうせ無限に体力があるのだ。暇つぶしだと思えばいい。

 彼はまず、乱雑に置かれた木箱を種類別に分け、通路を確保するように積み直した。


『まずは5Sの基本、整理・整頓からだな』


 前世で新入社員に叩き込んだ言葉が、自分の口からこぼれる。

 ケントは黙々と作業を続けた。

 一日、二日と経つうちに、彼が担当する一角だけが、まるで別の倉庫のように綺麗に片付いていった。

 他のインプたちは「あいつ、何をマジになってるんだ?」と遠巻きに見ていたが、ケントは気にしない。

 いや、気にならないほど没頭していた。


 数週間後、ケントは倉庫の隅で大量の羊皮紙と、なぜか使われずに放置されていた色とりどりの魔法のインクを見つけた。


『これだ!』


 彼は、倉庫内の全ての物品をリストアップし始めた。

 無限の体力を活かし、何日もかけて巨大な倉庫の全ての在庫を調べ上げ、羊皮紙に書き出していく。

 食料品は赤、武具は青、薬品は緑、といった具合にインクを使い分け、誰が見ても一目でわかる在庫管理表を作成したのだ。

 それは、この魔王軍の数百年以上の歴史の中で、誰も成し遂げたことのない偉業だった。


『ふう……。これで少しはスッキリした。俺は悪くない。あまりに職場環境が悪すぎるのが悪いんだ』


 自己満足に浸るケント。

 しかし、彼が作り上げたその完璧な在庫管理表が、この魔王軍全体を揺るがす大きな変化の第一歩になることを、この時の彼はまだ知る由もなかった。

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