第18話 労う

 完成した《ソレルレンズ》の噂は、瞬く間に城中を駆け巡った。


 翌日には、狭い研究室に国の重臣たちが次々と押し寄せ、部屋は息もできないほどの熱気に包まれていた。

 誰もがその光を見たがり、誰もがその場を離れようとしなかった。


 そして──ついに、ダランが父である地底の王を伴ってやってきた。


「これが……“ソレルレンズ”か」


 深い闇に包まれていた部屋が、やわらかな光で満たされる。

 王の瞳に、静かな驚きが宿った。

 長い沈黙ののち、彼はゆっくりと頷く。


「すばらしい。これほどのものが、知の国の者から生まれるとは……。

 四百年前の、どの功績にも勝る。──ダラン、お前は良い妻を娶ったな。」


 その言葉に、ソレルの胸がどくりと跳ねた。

 隣で、ダランがわずかに息を呑むのが分かる。

 だが次の瞬間、彼は静かに微笑んでいた。


「……はい。俺にはもったいないほどに、できた方です。」


 その声に宿る、痛みと誇り。

 ソレルは、どちらの意味なのか分からなかった。


 王はさらに言葉を重ねる。


「この成果は国にとって大きな恵みだ。

 光を取り戻した妻には、十分に報いてやらねばなるまい。

 ──労ってやるがいい、ダラン。」


 重い声が、静かな広間に響いた。


「……承知しました。」


 ダランは短くそう答え、深く頭を下げた。

 ただ、それきり何も言わず、表情も変えない。

 まるで、何かを必死に押し殺しているように見えた。


 ソレルは笑みを作りながらも、胸の奥がざらつくのを感じた。


(“妻”……)


 たしかに形式上はそうだ。

 けれど、あの人の隣に立つ資格が自分には、無い。

 光が届くほど、その影は深くなっていく。


◇◇


 王と重臣たちが去ったあと、

 ソレルは静まり返った部屋の片隅でレンズを見つめていた。


「……おめでとうございます、高妃殿下!」

 デステルが駆け寄ってくる。

「これであなたは地の国の恩人です! 皆があなたを称えています!」


「……ありがとう、デステル」


 笑顔を返しながらも、心は晴れなかった。


(──どうして、ダランはあんな顔をしていたんだろう)


 誇らしげでも、喜びでもない。

 あの灰色の瞳に宿っていたのは、どこか遠い“痛み”だった。

 その理由を考えるのが、怖かった。


◇◇


 その夜。

 ソレルは自室の机に広げた設計図を見つめていた。

 部屋には誰も来ない。

 ダランは政務があるとだけ告げ、帰ってこなかった。


 “妻を労ってやれ”という言葉が、何度も頭の中で反響する。


 (……そんなこと、言われなくても、無いことぐらいわかってる)

 そう思いたいのに、胸の奥が妙にざわついていた。


 夕食のあと、侍女がいつになく丁寧な仕草で言った。

「今夜は特別な夜ですから」と、やわらかな絹の夜着を差し出してきたのだ。

 淡い光を映す薄布は、指先で触れると冷たいのに、どこか熱を帯びているようにも感じた。


「……これ、本当に着るの?」

 思わず問い返すと、侍女は恥じらいを含んだ微笑みを返した。

「陛下から“奥方を労って差し上げろ”とのお達しがありましたので」


「……ありがとう…」

(……あるわけない…けど…、念の為…初夜とか神官が聞くような国だし…)

 顔が熱くなり、何も言えなくなった。


 湯を済ませて部屋に戻ると、静けさがやけに身に沁みた。

 淡い光が夜着の裾を透かしている。

 心臓が落ち着かない。


 ──でも、ダランは来ない。


 時が過ぎても、扉は開かれなかった。

 胸の奥で、期待と羞恥と寂しさが、ぐちゃぐちゃに絡まっていく。


 (やっぱり……会いたくないんだろうな)


 光をもたらした“功績”と引き換えに、

 ふたりの間に、見えない影が落ちていた。

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