第6話 二度目の結婚式

 岩肌を削って築かれた城は、外から見るよりもずっと広大で、静謐な光に包まれていた。

 壁に埋め込まれた鉱石がほのかに輝き、荘厳さの中に、どこか温もりを感じさせる。


 案内された広間の奥には、地の国ドルナーグの王と妃が並んで座していた。

 僕が深く頭を下げると、二人は穏やかに頷いた。

 その瞳には敵意も不信もなく──ただ、静かな誇りと受け入れの意志が宿っていた。

 胸を撫で下ろした瞬間、王の隣に立っていた男の声が低く響く。


「そちらの国での婚儀は済んだと伺っておりますが、ドルナーグでも婚礼を行います。地の民へ見せるため、どうか式に臨んでいただきたい」


 侍女が衣装を持って現れる。差し出された婚礼衣装に、思わず息を呑んだ。

 白を基調に、幾何学模様が細やかに編まれている。

 金糸の中に光る鉱石が散りばめられ、淡い輝きを放っていた。

 地上の豪奢な衣装に比べれば華やかさは少ないのに──糸の一筋一筋から伝わる丁寧さに胸が熱くなる。


 その時、ダランが言っていた「あなたの住む国の人々に“美しい”と思ってもらえるような婚礼衣装には程遠い」という言葉の意味が分かった気がした。

 ──これは、光の届かない地の国だからこそ輝いて見える衣装だ。

 強い光が溢れるナランサスでは、淡い宝石の色は消え、ただの白い簡素なドレスにしか見えなかっただろう。


 けれど、僕の目にはとても美しいものに見えた。

 それこそ、触れるのに躊躇してしまうほどに──。


(……僕が着ていいのだろうか。姉様の代わりに立っている、この僕が……)


 そう思いながらも、不思議と目が離せなかった。

 破断にするために来たはずなのに、少しでも長く続けばと願ってしまっている。


 だから、ドレスに手を伸ばすのは当然のこと。

 ──カミュラのため、ナランサスの未来のため。

 ……そう言い訳を繰り返しながら。


 侍女に促され部屋へ案内され、着替えを手伝うという侍女に、咄嗟に嘘をついた。


「私の国では着替えは一人で行うものです。もし分からなければ声をかけますから、それまで出てもらえますか?」


 ここで、僕が女性じゃない──カミュラ姫でないことがバレてしまったら、全てが終わってしまう。

 ──この幸せな夢から覚めてしまう。


 果たして僕は今どちらの気持ちで嘘をついたのだろう。

 国の責務を果たすため?

 それとも──ただ、ダランのそばにいたいため?


 その疑問に答えが出る前に、僕は花嫁衣装に袖を通していた。


 支度を終え広間に戻ると、花婿の衣装に着替えたダランが既に待っていた。

 昨日、黒い布で覆われた「影」とは別人のようだ。

 銀糸の髪は美しく結われ、灰色の瞳は深く澄んでいる。

 正装に身を包んだその姿に、胸がどくん、と大きく跳ねた。


(……地上の人々が見たら卒倒するに違いない。

 だけど僕だけの秘密にしておきたい……)


 これほど美しいと思える人に出会ったことがない。

 見せてやりたいという思いと、僕だけの秘密にしたいという二つの気持ちの間に揺れて、小さく苦笑いをした。


 そして、たくさんの地の民ドルナーグが集まる前で、儀式が始まった。

 神官による問いかけが投げられる。


「花嫁を伴侶とし、生涯を支え合うことを誓いますか?」


 この場所には音を吸収する岩はないのだろう。

 神官の声が良く響く。


「──誓います」

 迷いなく返したダランの低い声が、胸に沁みた。


「花婿を伴侶とし、生涯を支え合うことを誓いますか?」


  声に出した瞬間、胸の奥で何かが決定的に変わった。

  姉の代わりだと繰り返してきたはずなのに。


  視線を交わし、小さく微笑む。

  溢れる幸福に満たされながら、口が自然に動いた。

 

「……はい。誓います」


 それは、嘘ではなかった。


(……僕は、この人を……本当に、愛していきたい)


 神官が静かに頷くと、広間に集まった民がざわめき、祝福の声が重なっていった。

 響き渡るその声は、岩に吸い込まれず、まるで空へ解き放たれるようだった。


「では──契りを結びなさい」


 神官の言葉に、ダランが一歩、僕の前へ進み出る。

 灰色の瞳がまっすぐに僕を射抜き、視線が絡まった瞬間、息が詰まった。


 白い手袋の指が、そっと僕の頬へ触れる。

 冷たさよりも、優しい体温の方が鮮やかに伝わる。


 そして、静かに顔が近づいてきて──。


 触れ合った唇は、驚くほど柔らかかった。

 冷たい岩の城に生まれた、ただ一つの熱。

 

 誰の目にも誓いを交わした夫婦。

 けれど僕にとっては──初めて心から望んだ「花嫁の口付け」だった。


(……僕は、もう……戻れない)

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