灰眼の王と、仮初めの花嫁
たぬ基地
第1話 黒き婚礼
──これは、僕がまだ幼かった頃に見た、一番上の姉の婚礼の記憶。
いつもは荘厳な大広間が、その日ばかりは光と祝福に満ちていた。
黄金の燭台に百の炎が揺らめき、差し込む陽光と溶け合って、床には無数の花を散りばめたかのような輝きが広がる。
中央を進むのは、最年長の姉──ユネム。
ステンドグラスを思わせる羽模様の裳裾を翻し、ゆるやかに、気高く歩む。
ヴェールの隙間からのぞく清らかな微笑に、人々は息を呑んだ。
姉の前で大きな羽を広げたのは、蝶の羽を背に持つ異国の王──陽を統べる蝶王。
待ちわびた光を受けて羽はきらめき、場は絢爛そのものだった。
──なんて、美しいのだろう。
胸の奥が熱く震え、幼い僕はその瞬間、婚礼に強い憧れを抱いた。
二番目の姉・ヒニアの婚礼はまた違う。
鬣を揺らす獅子王が幾多の馬車を従え、地鳴りのように堂々と現れた。
百の炎は砂埃の金を照り返し、喝采は地を揺るがす。
ヒニア姉は「台地を統べる獅子王」へと嫁ぎ、その威厳に包まれて消えていった。
三番目の姉・リーリエの婚礼では、蒼穹を切り裂くように鷲王が舞い降り、花弁が空から散る。
宝石をふんだんにあしらった衣装を纏った姉は、光を浴びて燦然と輝き、その優雅さに人々は再び息をのんだ。
リーリエ姉は「空を支配する鷲王」と契りを交わした。
三つの婚礼はそれぞれに異なる色彩を放っていた。
比べようもなく違うのに──どれも憧れそのものだった。
種族を越えて結ばれる愛。
なんて尊く、なんて美しいのだろう。
いつか僕も、あんな婚礼を挙げたい。
幼い胸はひたすら早鐘を打っていた。
だからこそ。
僕のすぐ上の四番目の姉──カミュラの婚礼も、誇らしいものになるはずだと信じていた。
……だが。
蓋を開ければどうだ。
大広間はいつまで経っても飾られず、花嫁衣装すら送られて来ない。
父・アルムが急ぎ与えたのは、かつて母のために用意された古いドレスだけ。
(──本当に、妻を迎える気があるのか?)
まるで姉を侮辱するかのような無関心に、腸が煮えくり返る。
蝶王も、獅子王も、鷲王も、皆こぞって眩い衣を贈った。
姉たちは宝物のように抱き、笑い、嫁ぎ先を夢見た。
なのに、その「幸せの時間」すらカミュラには与えられなかった。
不安は消えぬまま、婚礼を目前にした夜──カミュラは高熱を発し、立ち上がることすらできなくなった。
「無理だよ、そんな体じゃ……」
蒼白に息を乱す姉を見て、心臓が凍りつく。
王である父はまだ知らない。式は刻一刻と迫り、延期も中止も許されない。
(どうする……? 代わりがいなければ破談だ。国交だって──!)
気づけば、僕は花嫁衣装に手を伸ばしていた。
「僕が、カミュラ姉様の代わりに式に出る」
「ソレル……正気なの? あなたはお父様の次に、この国の王になる立場よ」
「顔さえ隠れれば分からない。式が終わって“体調を崩した”と言えば済む」
必死に止める姉を宥め、僕は衣を纏った。
伸びた襟足は編み込むにちょうどよく、侍女が見事に結い上げてくれた。
この国の人間は華奢ゆえ、僕と姉の体格差も少ない。
ドレスは難なく収まり、ヴェールで顔を覆えば、きっと気づかれない。
父や周囲には「弟のソレルは体調不良で休んでいる」と伝えた。
事情を知るのは一部のみ。
婚礼が終われば何事もなかったかのように、カミュラと交代する──はず、だった。
そうして迎えた当日。
大広間は国中の民で鮨詰め。新婦側の参列者で埋まり、新郎側は誰一人いない。
祭壇の前に立つ僕の前には、神父が一人。
新郎は扉から“演出”として入場するという。
(ここまで無関心とは、馬鹿にしてるのか……!)
どんな男が現れるのか。顔を見てやる。僕はブーケを握り締めた。
その時、重い扉がゆっくりと開く。
静まり返った大広間に、一つの「影」が現れた。
黒い塊。ほかに言いようがない。
頭から足先まで光を拒む厚布に覆われ、輪郭さえ見えない。
ただ、その奥に“何かが生きている”気配だけ。
足音を立てず、ぬるりと滑るように進むその姿は──明らかに人のものではなかった。
「……あれは、人間なのか?」
「あれが婚礼の衣装……?」
「まるで、ナメクジの悪魔だ……」
恐怖と同情の囁きが波紋のように広がる。
華やかな婚礼の記憶が粉々に砕け散った。
(……僕の目の前にいるのは、いったい何だ……?)
黒衣の影は布をずるずると引きずり、器用に階段を登ってくる。
一歩近づくたび、血の気が引いていく。
神父でさえ瞬きを忘れ、その黒を見つめた。
だが、逃げることは許されない。
これは国王が定めた婚姻、国を繋ぐ縁。
誇りを胸に異国へ嫁いだ姉たちを思えば、僕も背を向けられない。
(どれほど怖くても……逃げるな、ソレル!)
震える足を踏み出し、影の隣に並ぶ。
布の奥がどこを見ているのか、まるで分からない。
だが確かに──「生きている」。
その事実が、恐怖に油を注いだ。
(……本当に、カミュラ姉はこんな“もの”の嫁に……?)
戸惑いの拍手が無理やり重ねられ、ぎこちない音が大広間を満たす。
冷たいざわめきが心臓に刺さる。
この日の婚礼は異常だった。
誓いの言葉も、視線の交わりも、腕を組むことすらない。
白衣の花嫁の隣に、黒衣の影。
神父の言葉だけが淡々と流れ、式は沈黙のまま終わった。
姉の代わりとして一瞬だけ立つはずの役目。
なのに、背筋は嫌な予感でぞわりと震えた。
──これは。
僕・ソレルが、姉・カミュラの身代わりとして、
地底を統べる
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