第21話 トモキのトラウマと公爵家の未来
<sideクリス>
「トモキ、私の寝室に行こう。少し身体を休めた方がいい」
腕の中のトモキは嬉しそうに頷いて、私の胸元に顔を擦り寄せた。
まるで私の存在を確認しているようなそんな仕草に胸が熱くなる。
やっとだ。
やっとこの腕にトモキが帰ってきた。
私はもう決してこの手を離さない!
タツオミのことも気にはなるがジョバンニに任せておけば大丈夫だろう。
今は、久しぶりに腕に抱けたトモキのことだけ考えていたい。
それにしても……私の知っているトモキより随分と痩せてしまっている。
元々から栄養状態があまり良さそうではなかったというのに……
それもこれも私がトモキを置き去りにしてしまったからだろう。
突然一人にして、随分と辛い思いをしたに違いない。
申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、トモキをギュッと抱きしめる。
「クリス、さんの匂いがする……」
嬉しそうな声が聞こえてきた。
「トモキ……寂しがらせてすまなかった」
「ううん……今、会えたから、僕はそれだけで……」
ずっと泣いて暮らしていたのがわかるほど、目を腫らしているというのに健気にもそんなふうに言ってくれるトモキに胸が痛くなる。
寝室に入り、ベッドに寝かせようとすると
「いやっ! クリスさん、離れないでっ」
と必死にしがみついてくる。
よほどトラウマを与えてしまっているようだ。
これ以上トモキの心を傷つけたくない。
「わかった。離れないからな。安心してくれ」
私もともにベッドに横たわった。
そしてベッド脇のベルを鳴らし、執事のマイルズを呼びつけた。
寝室からの合図だと気づいたマイルズは、寝室の扉の前で一度声をかけてきた。
「マイルズでございます。扉をお開けしてもよろしゅうございますか?」
「マイルズ、父上はいないだろうな?」
一緒にいるのなら中に入れるわけにはいかない。
「旦那さまはただいま外出をなさっております」
「そうか。よし、中に入れ」
失礼致しますと頭を下げ、寝室に入ってきたマイルズは、顔をあげた途端ベッドに横たわるトモキの存在に気づいた。
その瞬間、今まで見たこともないような驚きの表情を浮かべ、そのまま床に崩れ落ちた。
「マイルズ、どうした? 大丈夫か?」
「は、はい。あの……そちらのお方は、もしや……」
「私の伴侶・トモキだ」
「で、では、クリスティアーノさまがずっとお待ちになっていたお方でございますか?」
信じられないと言いたげに声が上擦っているが、それは仕方のないことだろう。
「そうだ。神が私とトモキの願いを叶えてトモキをこちらの世界に連れてきてくださったんだ」
「おおっ! なんということでございましょう!!」
いつも冷静で穏やかなマイルズがこんなにも感情を露わにするとは……驚いたな。
「トモキ、彼はこの家の執事のマイルズだ。何か要望があればなんでも頼むといい」
「はい。マイルズさん、僕……七瀬智己と言います。ご迷惑をおかけしないようにしますのでよろしくお願いします」
「なんと素晴らしいご挨拶でございましょう。迷惑だなんて仰らずに、このマイルズに何なりとお申し付けください」
「えっ、でも……」
今までずっとなんでも一人でやってきたトモキは、あまり甘えることが得意ではないということはわかっている。
現に今もマイルズの言葉にかなり困っているようだが、私が少しずつ甘えるように変えて見せよう。
「トモキ……無理はせずとも良い。だが、この世界はトモキはまだ不慣れだろう? 私があちらでトモキに甘えたようにトモキも甘えてくれたら私も、そしてマイルズも嬉しいのだぞ」
「あっ……はい。わかりました。あの、マイルズさん。よろしくお願いします」
「はい。お任せくださいませ」
今まで見たことがないような笑みを見せるマイルズを見て、もうすっかりトモキを気に入ったのだなとすぐにわかった。
「マイルズ、まずはトモキに医師の診察を受けさせたい。ニコラスを呼んできてくれないか?」
「承知いたしました」
マイルズもトモキの顔色の悪さには気づいていたのだろう。
私が医師を呼ぶようにというと素直にそれに従ってすぐにニコラス医師を連れてきてくれた。
「クリスティアーノさま。お帰りになっていらっしゃったのですね。行方がわからなくなっていらっしゃると伺っておりましたので、案じていたのですよ」
「ああ、心配かけたな。だが、私はこの通り元気だ。今日診察してもらいたいのは、このトモキだ」
トモキの顔を見せると、すぐにニコラスの顔が曇った。
我々が見てもわかるほどの顔色の悪さだからな。
「トモキ、さまでございますか。お初にお目にかかります。公爵家専属医師を務めさせていただいておりますニコラスと申します。以後、お見知りおきください」
ニコラスが挨拶すると、突然トモキは私に強くしがみついてきた。
可愛いが、一体どうしたのだろう?
「は、はい。ニコラス先生。あの、僕……特に悪いところはないと思うんです……」
トモキらしからぬ発言に驚いていると、ニコラスは子どもをあやすような優しい声でトモキに話しかけた。
「ご心配なさらずとも大丈夫ですよ。クリスティアーノさまと離すようなことは致しません」
それを見て、トモキが少し手の力を弱めた。
そうか。トモキは自分に医術の心得がある分、自分の体調が思わしくないことをわかっていて、治療のために私と引き離されるとでも思ったのだろう。
それほどまでに私と離れることに怯えているのだ。
そうさせてしまったのは私のせいだ。
「トモキ……私はずっとトモキと一緒にいるからな」
そう声をかけると、ようやく安心したように笑顔を見せてくれた。
<sideマイルズ>
行方不明になられていたクリスティアーノさまが、突然ジョバンニさまとともに屋敷に戻られたのは数日前。ただ事ではない様子に戸惑いながらも、とりあえずは無事に戻ってこられたことに安堵していた。
しかし、それからしばらく経って旦那さまがお帰りになり、クリスティアーノさまとお話がしたいと旦那さま自らお部屋に出向かれたものの、クリスティアーノさまは一向に出てくる気配がない。
代わりにジョバンニさまが出てこられて、クリスティアーノさまの今の状況をお話しくださった。
まさか行方不明の間、異世界に行かれていたとは……
私の中で想像の範疇を超えているが、異世界で最愛の方と出会い、それが突然クリスティアーノさまだけこの世界に戻ってこられたとなれば、あのただ事でない様子も納得がいく。
旦那さまはジョバンニさまのお話にひどくショックを受けられた様子だった。
それもそのはず。
ご自分がなさったことでクリスティアーノさまの幸せを奪ってしまったのだから……
「私は、クリスティアーノのために良かれと思って……っ」
「存じております。バーンスタイン公爵さまがクリスティアーノ団長のために神殿長にお頼みになられたことは決して間違いではございませんが、ただタイミングが悪かったのです。今、団長は最愛のお方と引き裂かれて失意のどん底に落ちておられます。今はこれ以上、団長を刺激なさらないように私からもお願い申し上げます」
「ああ……っ、私はなんということを……。ジョバンニ、クリスティアーノの運命の相手とやらがこちらにくる可能性はどのくらいあるんだ?」
「正直なところを申しますと、かなり低いと思われます。ですが、団長はほんの少しの可能性にかけてでも、最愛のお方との再会を待ち望んでいらっしゃいます。その思いだけで生きていらっしゃるようなものでございます」
「それではクリスティアーノは死んでしまうのではないか?」
ご心配なさるのも無理はない。
クリスティアーノさまはこの公爵家の唯一の後継。
そのお方が命を落とされるようなことがあれば、公爵家はここで終わってしまうかもしれない。だが、それ以上にクリスティアーノさまのお命も心配なのだろう。
「おそらくその覚悟もなさっていることでしょう。それほどまでにそのお方を愛していらっしゃるのです。誰も代わりにはなれませぬ。ですから、公爵さま……もし、奇跡が起きて団長の元にそのお方が現れたら、心から歓迎して差し上げてください。そのお方は我が国の救世主となられるお方ですから……」
「それはもちろん! そうするつもりでいるが、可能性は低いのだろう? もう一度神殿長に頼んでくるか?」
「公爵さま! 団長と運命のお方のことをお考えになるなら、どうかもう何もなさらないで下さい! お願いいたします」
ジョバンニさまが必死に頭をおさげになると、ようやく旦那さまも納得されたようだ。
「それでは私はクリスティアーノを刺激しないように屋敷から出て、兄上の元に身を寄せておくとしよう」
重い腰を上げてくださり、お屋敷から離れる決意をしてくださった。
「救世主さまとわかるまで、陛下にはくれぐれもお話にはならないようにお願い申し上げます。余計な混乱を引き起こしかねませんから」
「分かっておる、ジョバンニ、マイルズ……後のことは頼むぞ」
「承知いたしました。どうぞお任せください」
何かあったらすぐに連絡をよこすように…そう仰って旦那さまは屋敷を出て行かれた。
クリスティアーノさまは、ジョバンニさまだけはお部屋に入ることをお許しになったが、私の含めて他の者の入室は一切お許しにはならなかったから、ただひたすらに出てこられる日を待つ日々が続いた。
すると、突然クリスティアーノさまの寝室のベルが鳴った。
書斎に篭りっきりになっていらっしゃるはずのクリスティアーノさまの寝室からベルが鳴ったことに私は一抹の不安を覚えた。
もしかしたら、無理がたたってお倒れになったのではないかと。
慌てて部屋にいき、寝室の扉の前で声をかけると思ったよりも元気そうなクリスティアーノさまの声が耳に入ってきた。
許可をいただき、足を踏み入れクリスティアーノさまが寝ていらっしゃるベッドに顔を向けると、そこには見たこともないほど可愛らしい人がクリスティアーノさまとピッタリと寄り添って横たわっていらっしゃった。
まさか、奇跡が起きたのか?
あまりの驚きに床に崩れ落ちながら、クリスティアーノさまにお尋ねすると今までに拝見したことがないほど嬉しそうな表情をなさりながら、
「私の伴侶トモキだ」
と仰った。
クリスティアーノさまのご伴侶さまをこの目で拝見する日が来ようとは……夢にも思わなかった。しかもこんなにも美しく、素晴らしい挨拶をなさるお方がお相手とは……
なんでもお申し付けくださいと頭を下げた私に遠慮なさろうとしたが、クリスティアーノさまから甘えるようにとの言葉にトモキさまは素直に頷かれた。
どうやらクリスティアーノさまのことは心から信頼なさっているようだ。
お二人が相思相愛でいらっしゃることに嬉しさが止まらない。
だが、心配なところが一つ。
トモキさまの顔色が悪すぎるのだ。
もしかしたらこの世界がトモキさまに合わないのか……心配でたまらない。
クリスティアーノさまもそれがご心配なのか、ニコラス医師の診察を受けさせたいと仰った。
何もなければ良い……そう思いながら、私は急いでニコラス医師をお連れすると、ニコラス医師はトモキさまの顔色の悪さにはすぐにお気づきになった。
けれど、トモキさまは何も悪いところなどないと言って診察を拒もうとなさる。
どうしたのだろう?
「ご心配なさらずとも大丈夫ですよ。クリスティアーノさまと離すようなことは致しません」
ニコラス医師のそのお言葉でトモキさまに安堵の表情が見えて私はわかった。
トモキさまはクリスティアーノさまと離れるのが嫌でそう仰ったのだ。
それほどまでにクリスティアーノさまとのお別れはトモキさまの心に傷をつけてしまったのだろう。
あんなにも可愛らしいお方の心を傷つけてしまったことに胸を痛めながら、ニコラス医師の診察を見守っていると、トモキさまは極度の疲労と栄養失調だと診断された。
「お薬はお出ししますが、この病気の一番のお薬はしっかりと休養をとり、お食事をなさることです。クリスティアーノさま、どうかお近くで支えて差し上げてくださいませ」
「ああ、わかった。マイルズ。何か栄養のつく消化に良いものを作ってくれ」
「承知いたしました」
私は急いで厨房へ向かい、シェフのルディにすぐにトモキさまの食事を作るように指示を出した。
ルディは突然のことで驚いているようだったけれど、クリスティアーノさまのご伴侶さまのためのお食事だと話すと嬉しそうに食事を作り始めた。
この国のシェフの中でもルディは五本の指に入るほどの実力の持ち主だ。
ルディの食事をしっかりと召し上がって、ゆっくり休養をとられたらきっとすぐに元気なお姿を見せてくださるに違いない。
ああ、この公爵家にも楽しい未来がやってきそうだ。
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