第2話:幻夢学園の朝

 ──朝の光は、海の上から昇るのではない。

 この街では、“空の裂け目”から降ってくる。

 まるで天界の光をそのまま引きずり落としたような、冷たく澄んだ輝きだった。

 目を覚ますと、白い天井と見知らぬ天蓋。

 昨日の出来事が夢のようにぼやけていく。

 確か、あの少女──茜弥生に導かれて……。


「……幻夢学園、か」


 手元の小さなメモには、そう書かれていた。

 寮の部屋の窓を開けると、目の前には海上都市アガルタの景色。

 下には虚無の海、遠くには淡い霧の街並みが広がっていた。

 鐘の音が鳴る。

 柔らかい鐘の響きが、街中に広がっていく。

 どうやら“登校時間”らしい。

 外に出ると、制服姿の学生たちが静かに歩いていた。

 けれど、誰もがどこか現実味が薄い。

 透けるように白い肌、空気より軽い声、瞳の奥に光の粒。

 この街に“人と関わり合いのない者”はいないという噂は、本当らしい。


「おはよう」


 声をかけてきたのは、長い黒髪の少女だった。

 琥珀色の瞳がゆるやかに揺れる。


「あなた、新入生? 潮騒ネクロ。デミゴッドっていう、まぁ面倒な種族よ」


 彼女はそう名乗ると、軽く微笑んだ。

 整いすぎた顔立ちなのに、どこか人間臭い温度があった。


「……デミゴッド、って神の子?」


「正確には“神の失敗作”ね。天界に馴染めず、人間界にも降りられず……だからここにいる。でも、この街じゃそんなの珍しくないわ」


 その口調は淡々としていて、まるで自嘲のようだった。

 彼女の後ろには、さらに何人かの生徒たちが集まっていた。


「ネクロ〜! また説明してるの? 新入りさんだ!」


 人懐っこい声と共に現れたのは、明るい白髪の少女・星搗鳴。

 その隣で無言のまま歩く幽霊のような少年が、双子の兄・星搗甚だ。


「この子らは双子。片方は幽霊、片方は人間。ね、バランス取れてるでしょ?」


「取れてるって言うか……おかしいでしょ、それ」


「ここじゃ普通なのよ」


 ネクロの笑い声が、教室へと続く坂道に響いた。

 学園の門をくぐると、空気が一気に変わる。

 黒い石造りの校舎、壁に走る金の紋章、浮遊する文字たち。

 ここは“学び舎”というよりも、“記録の箱庭”だった。

 教室の黒板には、既に授業内容が浮かんでいた。

 ――《輪廻論Ⅰ:魂の持つ記憶の継承について》


「ほらね?」ネクロが言う。


「死んだ者が通う学校なんだから、こういう授業になるの」


「……死んだ、者……?」


「思い出せないの? いいのよ、その方が。思い出したら、帰りたくなるから」


 その時。

 教室の窓の外で、誰かの声が響いた。


「授業の前に全員集合だ! 創造主が来る!」


 その一言で、教室の空気がぴんと張りつめる。

 生徒たちのざわめきが止まり、窓の外を見つめた。

 虚空の海の上を、ひとりの少女が歩いてくる。

 黒い髪。淡い瞳。風を連れて笑うその姿は、

 ──弥生だった。


「おはよう、みんな。今日もいい夢を見ようね」


 彼女の言葉とともに、街全体に光が走った。

 まるでこの瞬間に、世界が再び創造されるかのように。

 ──この街では、“朝”という現象さえも、彼女の気まぐれで起きるのだ。

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気まぐれ創造者の街 @karabanano

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