第8話『女教皇、沈黙の既読(The High Priestess)』

スマホの画面を何度も開いては閉じる。

既読はついたまま、返事がない。


——嫌われたのかもしれない。


けれど、それだけが答えじゃない。

返事がない夜は、拒絶の証じゃなく、

ただ言葉を選んでいる時間なのかもしれない。


沈黙の向こうに、想いはまだ生きている。



Ⅰ. 図書館、星屑のしおり


夕暮れの大学図書館。

閉館を告げるチャイムが遠くで鳴り、シオンが返却ボックスに本を滑らせた、その瞬間――。


カシャン。

乾いた音とともに、一枚のしおりがひらりと舞い落ちた。


それを拾い上げた澪が、目を丸くする。

「えっ……なつかしー! 星屑のしおりじゃん。これ、この本に挟まってたの?

……うわっ、絵……これ、あたしが描いたやつだ。金平糖みたい。へたっぴーだなぁ」


黄ばんだ紙には、幼い筆跡。

『まんげつのよる、またきかせち。』


「……あー、“て”が“ち”になってる。私の癖だったよね。何歳の時だろ、これ書いたの。

ねぇシオン、覚えてる?」


「……あぁ……」


不格好な星がいくつも並んでいた。

丸から突起を飛び出させただけの、子どもの落書きのような星。


胸の奥で、忘れていた記憶の扉がノックされる。

思い出そうとしても、何も浮かんでこない。

それでも確かに――呼ばれている気がした。


笑っている澪と、胸をざわつかせるオレ。

――この小さな紙切れが、過去と未来を結ぶ“鍵”になることを、

この時はまだ誰も知らなかった。



通路の端に海斗かいとがいる。二十歳、理工学部二年。


短めのダークブラウン、すっきりした一重。授業やPC作業のときだけ眼鏡。


無地のTシャツに薄手のパーカー、落ち着いた色のリュック。


ノートの角は直角、指先にはインクの跡。


メッセージは送信前に五回も考えて、送ったあとも通知を気にしてしまう。


「既読無視=拒絶」ではないとわかっていても、胸の奥の天秤は静かに揺れる。


——本当は、気持ちを伝えれたらそれでいいのに、返事を期待してしまう。どんな風に思ってくれるか、返事をしてくれるか?


(早く、早く、早く)


返事が欲しい!



シオンと澪が彼の横を通り過ぎながら、


「紙の匂いって、落ち着くよね」

澪の短いことばが、ページの余白みたいに静かに残った。



Ⅱ. 配信——


夜。自室のランプが灯り、配信の枠がひらく。コメント欄に海斗の相談が流れた。


海斗はベッドに沈み込み、スマホを手にしていた。

既読だけが残る画面を閉じるたび、胸の奥のモヤモヤして苦しい。


スクロールする指先が止まったのは――「占い師」という文字だった。

おすすめ欄にふいに浮かんだ配信。

気づけば、画面をタップしていた。


コメント欄に彼の言葉が流れる。


「既読はつくのに、三日も返事がない。嫌われたのかな?」



Ⅲ. 影の輪郭


画面端から、しおぽんがひょこり。

「既読はね、“観測”のサインなの〜。でも返信は“まだ見えない未来”。そこに焦りを流し込むとね、影がノイズになって心の光をかき消しちゃうの☆」


その名は——「ホワイト・ノイズ」。

未送信の焦りに寄生し、相手の沈黙を悪意へと変換する残響体。


海斗の輪郭がざらつき始めた。

コメント欄の文字が崩れ、白い砂嵐のようなノイズが画面を覆っていく。


「……やだ……返事……まだ……」

声は断片になり、雑音の中に飲み込まれていった。


「海斗!」

シオンは手を伸ばすも、その姿は映像のノイズと同化し、かき消される。


残されたのは耳鳴りと、白く渦を巻く残響だけ。


――ホワイト・ノイズ。

その名の通り、人をかき消す“影の残響”だった。



Ⅳ. タロット展開


「タロット展開!」

オレはカードを三枚、宙へ放つ。星光が走る。


コンパス枠|女教皇

「焦らずに待てば、沈黙の奥に答えはある。」


トリガー枠|星

「不安を追わず、希望に意識を向ければ心は整う。」


ルート枠|ソードの2

「すれ違わず、真正面から向き合えば信頼は始まる。」


三枚のカードが光を放ち、コメントの文字は星屑となる。


画面は門へと変わっていく。

「……星界ゲート、開いた」──光が拡がる。



Ⅴ. 星詠展開(召喚)


足を踏み入れた星界は、いつもの輝きを失っていた。

白い霧が地平を覆い、星屑は霞んで輪郭をなくす。

遠くでは、ノイズのようなざらついた音が絶え間なく響いていた。


海斗が不安げに辺りを見回す。

「ここ……どこなんだ……?」


オレはカードを握り直しながら答える。

「ここは“星界”。相談者の心が具現化される場所……俺も詳しくはわからない。けど、影は必ずここに現れる。」


その言葉に重なるように、海斗の身体がノイズに飲まれていった。

輪郭が崩れ、声も音もザザッとした残響に溶けていく。

「……俺……いるよな?ここに……」

必死の問いかけも、やがて霧に吸い込まれ、彼の居場所すら曖昧になっていく。


胸の奥にざわめきが広がる。

「……これが、ホワイト・ノイズの影響か」


実態のない影——見えぬ残響が、相談者の存在そのものをかき消そうとしていた。


オレはカードを掲げ、呼吸を一拍。

「言の葉は鍵、星の光は道しるべ。

ステラン、ステラン、ステラン――来臨せよ、汝――シオリエル!」


銀の奔流が霧を切り裂き、シオリエルが降臨する。

星霊眼が静かに瞬き、音なき影の核を見定めた。



Ⅵ. 実態のないホワイト・ノイズ


霧の奥でざらつく残響が渦を巻き、やがて海斗の姿をのみ込んだ。

声も影もノイズに歪み、実体を持たない虚ろな存在へと変わっていく。


オレは星界ゲートの前に立ち、カードを掲げた。

「沈黙の奥に眠る叡智よ、今こそ語れ——

《星秘叡智アストラル・オラクル》!」


星の文様が光を放ち、叡智の矢が一直線に放たれる。

だが次の瞬間、矢は虚空を裂いただけで霧に吸い込まれた。

まるで的そのものが存在しないかのように——。


「……当たらない!?」

シオリエルの星霊眼さえも、揺らめく残響を正確に捉えることができない。

ホワイト・ノイズは形を持たず、ただ相手の存在をかき消していく。


海斗の声が、微かにノイズの向こうから響いた。

「……俺は……ここに……いるのに……」



Ⅶ. ギア進化(女教皇+ソードの2)


デッキの奥で、二枚のカードがひとりでに浮かび上がった。


眩い光が脈動し、空気が震え、風鳴りが星屑を散らす。

「……女教皇……そして、ソードの2……!」


二枚のカードが再び強く光を放つ。

女教皇の紋様が広がり、そこにソードの二が重なった。


大アルカナが“運命の問い”を掲げ、小アルカナが“属性の力”を宿す。

それが揃ってはじめて、ギアは進化する。


旋風が巻き起こり、星屑の粒が渦へと舞い上がる。

星と風が交わり、巨大な環となって回転し始める。


シオリエルはその環へと歩み出る。

銀の髪に蒼風の光が差し込み、背に「星颯」のオーラが広がった。


オレの声が奔流のように星界を貫く。

「今ここに新たな生命の名を——

 ステラン、ステラン、ステラン——

 星翔を纏いし大いなる化身、

 汝の名は——ストーム・ギア:シオリエル!」


シオリエルの声が高らかに響く


「沈黙の奥に眠る叡智よ、今こそ語れ——

《星秘叡智・星翔Ⅱ/ストーム・ギア・セカンド》!」


瞬間、星紋が光を放ち、風が生まれる。

だがそれは荒れ狂う嵐ではない。

すべての音を吸い込み、ノイズを削ぎ落とす“静寂の風”だった。


空間を覆っていたホワイトノイズが、音もなく吹き飛んでいく。

剥き出しになった影は、なお実体を持たずに揺らめいていた。

攻撃が通じない相手——だが女教皇は知っている。

「答えは沈黙の奥にある」と。


風に包まれた沈黙の中で、かすかな囁きが聞こえた。


『……怖い。返信が無いのが……』


それは、ノイズに呑まれていた海斗の本音だった。


オレは一歩踏み出し、静かに言葉を返した。

「……返事がないのは、お前を嫌ってるからじゃない。

人は、大切な相手ほど言葉を選んで、黙ってしまうことがあるんだ。

その沈黙の中にだって、想いはちゃんと残ってる」


海斗の瞳が大きく揺れ、張り詰めていた心が崩れる。

「……じゃあ……まだ、嫌われたわけじゃ……ないのか……?」


声は震え、頬を伝って涙が零れ落ちた。

「三日も返事がなくて……俺なんて、もう必要ないんだって……ずっと……」


その叫びと共に、影がひび割れ、ノイズは霧のように消えていく。

泣き崩れる海斗の胸には、小さな光が戻っていた。


オレは肩に手を添え、優しく微笑む。

「大丈夫だよ。沈黙は終わりじゃない。想いが途切れたわけじゃないんだ」


光が彼を包み込む。

残っていた影は最後の一片まで消え去り、澄んだ静寂が訪れた。


その背後で、シオリエルが静かに宣言する。

「——封命完了」


星紋が夜空へと溶け、風が凪ぐ。

オレは深く息を吐き、カードを胸に戻した。


「タロットクローズ」


残ったのは、救われた魂と穏やかな余韻だけ。

そして——胸の奥に確かに響いていた。


「大丈夫」。

それだけで、未来へ進む力になる。



Ⅷ. 現実帰還——“期待しない”というやさしさ


光が収まり、星界の景色はすっと消えていった。

気づけばオレは、いつもの部屋に立っている。

隣ではしおぽんが、にこにこと耳を揺らしていた。


オレはカードを収め、海斗に言葉を送る。

「……忙しいと思うから、返事は落ち着いた時でいい。

そうやって信じて待つことも、大切なんだ」


沈黙は拒絶じゃない。

返信の速度を愛の尺度にしないこと——それが今夜の答えだった。


しおぽんがふわりと笑う。

「待つってね、“放置”じゃないの。

相手に“信頼”を置いてるってことなの〜☆」


海斗の瞳に、少しずつ希望の色が戻っていく。

オレは静かに微笑み、もう一度言葉を添えた。

「大丈夫だよ」


——その瞬間。

海斗のポケットで、スマホが小さく震えた。


画面には、一通のメッセージ。


『ごめんね、どう返したらいいか考えてて……

忙しいのもあって、なかなか送れなかった。

でも本当はずっと、会いたいって思ってたよ。

愛してる、海斗』


海斗の頬を涙がつたう。

「……黙ってただけで……想いは、残ってたんだ……」


静かな沈黙の向こうで、確かに愛は生きていた。



Ⅸ. 白月の余韻


配信を切る。

二階の自室に差し込む月光が、静かに机を照らしていた。

星界の余韻がまだ胸の奥に残る。


階下から母と澪の笑い声が聞こえてくる。

オレは深呼吸して部屋を出て、階段を降りた。


リビングには、澪が座っていた。

母と楽しそうに話していたが、オレに気づくと小さく手を振る。


「お邪魔してまーす。配信終わるまで、お母さんと話してた」


「……澪」

名前を呼んだ瞬間、母が「お茶のおかわり取ってくるわね」と立ち上がり、部屋を出ていく。


——残されたのは、オレと澪だけ。

一瞬の沈黙に、心臓が跳ねた。


「ねぇ、“満月の続き”、今度こそ聞かせてよ」


不意を突かれ、息が止まる。

「……っ」言葉が詰まるオレを見て、澪はそっと視線を逸らし、肩をすくめる。


「なにその顔。変なの」

ツンとした声音の奥に、わずかな照れがにじんでいた。


「自分でもよくわかんない。ただ、あれを見てからずっと残ってるの。……“満月の夜”って言葉が」


月光が窓から差し込み、澪の横顔を白く照らす。

その光に、幼い日の記憶が重なった。


「……そうだったんだ」

短く返した声は、自分でも驚くほど震えていた。


白月は静かに輝き、次のページを開こうとしていた。


——その時。

ポケットの中でスマホが小さく震えた。


取り出すと、画面に一行。


〈灯ランタンを持て。独りで来い。北塔。〉

送り主:KAGARI_Δ。


胸の奥で冷たいざわめきが広がる。

月は白く、影は長く伸びていた。

静寂が確かに告げていた——物語は、ここから闇の深部へ踏み込むのだと。



——次回、第9話『隠者(The Hermit)—灯の高さ』

静けさの先に揺らめく灯は、導きか、それとも罠か。孤独を裂く声が夜を照らす時、影の導師KAGARI_Δが動き出す——。

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