第二十五幕
「痛てて。」
起き上がった時、目の前に見えたのは巨大な月だった。その月は異様に大きく、低い空に浮かんでいた。そしてなによりその月は不気味なほどに紅かった。鮮血のように紅く、売れた果実のように妖艶であった。
晴樹は立ち上がる。次に目に入ったのは月の明かりに照らされた紅い桜だった。月の色に負けず劣らず、紅い花弁は淡く、桃色にも見える。しかし幹さえも紅く、枝に至るまで赤黒く伸びるそれは現の物とは思えなかった。
「ここは……?」
「神籬の中さ。本来僕だけの世界のはずが、君と同時に発動してしまった故に君の因子が混ざってしまったようだ。」
志郎が応える。彼の目は本気のようだ。志郎は匕首を捨て、新しい得物を取り出す。白いさやに包まれた日本刀だ。
「ここからが最終ラウンドか。」
二人はにらみ合う。お互いの距離は10メートルを切ったとき、両者は動き出した。志郎は腰に差した日本刀を抜刀。逆袈裟に引き抜かれた白い剣が晴樹の剣とぶつかる。甲高い金属音と火花が散る。
葉を滑らせるように切り捨て、返し刀で再び相打つ。連続して切り結び、その剣捌きの見事さに感嘆の声が出る。互いに鍔をぶつけ合い、視線が合う。
「お前、俺にどうしてこの村を壊すか聞いたよな?なら俺も問う。どうしてお前はこの村を守る?」
「それは……僕がこの村の住人だから……」
「違うな。」
さえぎるように晴樹は被せる。
「お前の神籬であるせいか知らんが、お前の意志が嫌ほどに俺の脳内へ流し込まれる。お前は村の責務なんかよりもっと大切なことを隠している。そしてそれこそがお前を突き動かす衝動であることもな!!!」
晴樹の前蹴りが突き刺さる。晴樹はその時志郎の目に動きがあるのを見た。
「お前には関係ない!!!」
虚しいほど力ない声が世界のなかで微かに空気を揺らした。
吉永家は本来一つの家であった。しかし、双子の兄弟が生まれたとき家督争いが発生した。そこで一方は分家として陰ながら吉永家を支える存在として確立された。そうして分家としての吉永家が生まれたのだった。
分家は基本的には「祭り」に参加せず、裏方に徹する。神事のための神輿担ぎや巫女の用意、それらは裏方の吉永家が担当していた。
そして18代目分家吉永家の当主となるのが吉永昌志、志郎の父にあたる人だった。
彼には分家として支える役目が与えられていた。そして投手として必要なものとして『跡取り』を残すことであった。
しかしそこで問題があった。彼は子供には恵まれたが息子には恵まれなかった。過去3回の子供はすべて娘であった。
そして来たる4回目。最初にして最後の息子、吉永志郎は生まれた。しかしその代償は大きく、母は出産と同時死亡。最初で最後の息子となった。
結果的に志郎を母の代わりに育てたのは少し年の離れた姉たちであった。そのため志郎は母の顔を知らない。ただ姉の存在がいればそれでよかったのだ。
「雪姉、綾姉、春姉。」
雪姉は自分から数えて7歳離れていた。誰よりも自分に厳しく、最も母親として接してくれた。
「あんた!!また勝手にお菓子食って!!!」
些細なことでも不正を許さない雪姉にはいつも怒られてばかりだった。ただ怒るときは頭ごなしに怒るのではなく理由を聞いてくれた。
「はぁ?綾に盗られた!?あなたも男なんだから言い返しなさい!!!」
姉の誰よりも男勝りで、勇ましささえ感じる姿。しかし誰よりも優しく、強かった。
「呼んだぁ?」
けだるそうに顔を出すのは次女の綾姉だ。重めの瞼をこすり、下着姿で出てきた。
「綾。あんたさっさと着替えなさいよ。あとあんた、志郎のお菓子食ったでしょう!!」
「ごめんごめん。小腹が空いててさ。あとで一緒に駄菓子屋言ってやるからさ。」
自分に誰よりも新味に接してくれたのは綾姉だった。
「駄菓子屋行くの?なら私も行きたい!!!」
綾姉のさらに背後から明瞭活発な声が廊下に響いた。
自分と3歳さの三女、春姉が廊下を歩いてきた。夏の時期に似合った淡い水色のワンピースはいつの日か綾姉から譲り受けたものだろう。
「分かった分かった。春も一緒に行こうな。てことで私は少し着替えてくる。」
近所の駄菓子屋までは歩いて10分もない。そこで自分はソーダ味のアイスをかじっていた。
春姉は小豆のアイスをなめている。麦わら帽子の隙間を通った太陽光が彼女の表情を明るく照らす。
「おばちゃん、私これ。」
駄賃と交換で綾姉が手にしたのは少し高めのアイスだった。
「綾姉、ズルい!!!」
「へへん、私の貯金だもんね。何を買おうが私の自由さ。」
綾姉と春姉の言い争いを自分は眺めていた。こんな日がずっと続けばいい。夏は自分が好きな季節だった。あの時までは。
「父さん、どういうことだよ!!!」
中学2年の夏。突然告げられた。
「姉さんたちが生贄ってどういうことだよ!!!」
「もう決まったことだ。異論は認められない。」
「どうしてだよ。巫女はあの蔵から呼ばれる子供たちだろ!!!姉さんたちは関係ないだろ!!」
「違う。彼女たちは元々、この村のものだ。」
その時自分は初めて村の真相を知った。この村の『祭り』の始まり、巫女の正体。そして現代になって巫女の数を増やす必要があるということ。そして姉さんたちがその生贄であること。
「大丈夫。もとからこうなることは知っていたの。」
「そうそう。この村じゃ女たちってのはこういう≪≪物≫≫なのよ。」
「うん。分かっていたことだから。だから……。」
「「「泣かないで。あなたの中に私たちはいるから。」」」
白い和服に身を包んだ姉さんたちは最後まで笑みを崩さなかった。それは恐らく自分を心配させないために作り続けたものだろう。だからこそ振り返る直前に見せた悲しげな瞳と一滴の涙。それを見逃すことはなかった。
「姉さん!!!姉さん!!!」
自分は喉が痛くなるほど叫んだ。いや、喉がつぶれてもなお叫び続けた。蔵の中へ進んでいく姿を最後まで、その扉が閉ざされるまで手を伸ばし続けた。声を上げ続けた。しかし力無き者にそれを止める術は持たない。
固く閉ざされた蔵の扉は少年の言葉の一切を防ぎ、少年の無力さを慈悲無く打ち据えた。
「くそっ……。くそっ……。」
地面にぶつける握り拳は血が滲むほど強く握りしめている。流した涙と潰れた喉から垂れる涎が地面を濡らし、その怒りを大地へぶつける。
「こんな村、こんな村、俺が潰してやる!!!!」
中学2年の夏、少年。吉永志郎は決めた。この村を潰す。その覚悟は過去への決別には十分なものだった。愛という物は脆く弱いものだ。簡単に裏返り、怨嗟としてそれは牙を剥く。
あの日から自分はいくつもの古文書を読み漁った。古いものは平安時代の日記、新しい物は祖父の手帳。すべての『祭り』に関する記録を読み耽った。
そしてとある方法を見つけた。それは古き書物ではなかった。80年前、行われた『儀式』
と呼ばれるものだった。
願いをかなえるための『儀式』。本来『儀式』として行われるはずのものを器のいない状態で行い、少女同士を殺し合わせ最後に生き残った少女が1年の村の平穏を願いとして叶えるのが『祭り』。
ただし、吉永家の家督を決定するときは例外的に『祭り』ではなく『儀式』として行われる。
『儀式』を行えばその勝者の器と巫女の願いをかなえることができる。80年前から始まった比較的新しい方法のようだ。今までに2回しか行われなかったがそのいずれも願いをかなえられている。
「これだ……。これなら姉さん達を蘇らせることができる。」
やっと見つけられた手段。これを利用しない手はない。これも運命の巡り会わせか、『儀式』が行われるのは2年後。となればここで勝者となるしかない。しかしそれは本家吉永家の子供を殺しつくすことが最低条件だ。その間に本家からのいくつもの妨害の可能性もある。頭が凝り固まったこの村の者もそれを許さないだろう。障害は幾つもある。しかしそんなもの些細なことでしかなかった。
志郎の目には覚悟があった。それを間違いなく達成するという覚悟が。
2年間、志郎はすべてを欺いた。『儀式』を行なう裏方として、分家吉永家当主跡取として決して悟られないように自分の枠を作り出し、触媒を準備し、巫女召喚のための方法も用意した。
来たる当日、様々な策を順調にたどっていたはずだが、2点の想定外に直面した。
一つはとある男の画策だった。門下正直の存在だった。
彼は現在の本家吉永家当主:吉永厳徳と密会を行い、様々な情報を与えていた。想定外の存在にこちらの行動はある程度制限されてしまった。
もう一つは、とある青年の存在だった。外部から来たまったく事情を知らない男。その青年は独自に巫女と契約し、戦っているということを知った。
そこで志郎は計画の一端をこの青年に担わせることにした。急いで準備した触媒で巫女を呼ぶ。そして、巫女を利用して、邪魔な本家の器たちを青年に差し向けた。そして奴らを殺させることでこちらの負担は大きく減った。そして漁夫の利を狙った。
それが吉永志郎が目指した夢への道筋だった。
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