歩き旅のススメ
蓬葉 yomoginoha
Day1 相模湖 歩く
すみかから町田、八王子を経由して相模湖駅へ。駅は木の香りがした。昔住んでいた那須の家もこんなだったな。
郷愁とともに私は坂を下った。下町の呉服店、車屋、目を疑う0.02mmの自販機に驚愕赤面しつつ、下っていくと、静かな湖が現れた。
【相模湖】。
神奈川県相模原市にある湖。広くはないけれど人もまばらで静かだ。月曜日だからだろうか。スワンボートが浮いていて、遠くに橋が見える。
「さて、一周しますかね」
謎の巨岩を祀った鳥居の前でお茶を一口飲んだ私は、湖を見晴らす。そして気付く。
「……道ない?」
湖の周りを、本でも読みながらゆっくり歩く予定だった。
しかし、湖の周囲を囲うような道は見られない。
どうやら近くの道路を伝っていくしかないようだ。この時点でもう私は半分萎えていたが、ここで帰っても面白くない。
相模湖駅の隣は高尾山で有名な高尾駅と、知らない藤野駅。
高尾から相模湖までは9分もかかったし、途中トンネルも通っていた。さすがに山越えをする勇気は無い。私はあくまで散歩がしたいんだ!
藤野までは1時間と少し。これくらいなら余裕だ。旅が始まる。
セブンイレブンで飲み物とアーモンドチョコレートを買って歩き始める。標高が高いのか頭がさっきから痛いけれど、じきに慣れるだろう。
車通りの多い道をゆく。私は、ふだん散歩する時はなるべく大通りは通らないようにしている。
なるべく人のいない所を歩きたいのと、耳がよくない私にとって車の音は頭に響く。だから避けているのだけれど、今回はそうはいかない。何せ知らない土地だ。勝手気ままに歩いていたらたちまち迷子になってしまうだろう。こういう時はありがたくGoogleに頼らせてもらおうではないか。
どこかでお昼ご飯も食べようか。いいお店あるかな。湖に途中で合流できたらいいなあ。そう楽天的に思いをめぐらせていた矢先。さあああっと血の気が引いていく。都会ではまず起きないこと。
歩道が消えた。
「命……大切な命……」
足元の緑色の線だけが私の命を示してくれている。
対向車が少なくなった隙に進む! なるべく壁に背を預けて、進む!
ふだん漠然と死を考えてしまう私だけれども、人様に迷惑をかけて死にたくは無い。
「早く、安全な道に……」
マップを開く。どうやら少し先に回避ルートがあるらしい。旧甲州街道を通るルート。
綱渡りのように命の危険を感じながら進んで行くと希望が見えた。
「ガードレール……!」
飛びつくようにその中へ逃げる。ここは安全地帯。安心してルートを見ることが出来る。
もう少し先に行けばこの地獄みたいな、というより地獄へ直行してしまうような道を抜けることが出来る。
中央自動車道を潜り抜け、「ラーセン餃子」というお店を通り過ぎ、ついに、魔の甲州街道を抜けるときが来た。
「あぶねぇぇぇ……」
坂を上っていく。
「えっ」
今日二回目の絶望。
「工事、してる」
警備員のおじさんがこちらに気づく。気の弱い私はすぐに踵を返した。
さっきのお店の近くにまで下る。
「もう少しだけ進めば……」
ここからあと少しだけ甲州街道を進めば、工事中の区間を迂回していける……。
そこからドライブインとカフェを通り過ぎ、五分ほどあるいて、上り道。
隣を郵便配達のバイクが追い越していく。そのあとを私は祈るような気持ちでついていく。
Googleに従うなら、ここを右……。
「あれ……ここまっすぐ、で、え、どこ、どこ通るの?」
三度目の絶望。
マップで表示されている道が、ない。いや、それっぽいものはあるけれど、明らかに人の家を経由する。いいのだろうか。いやだめだろ……。
じゃあ、どうしよう。またあの甲州街道を進む? いや、だめだ。ここから先ガードレールもなくなるらしい。そんな中、歩き続けるのは危険すぎる。
かといって、相模湖駅まで戻るのも……。
「うう」
こうなったら、もう一つだけ。
三度目のラーセン餃子。
私はさっき引き返した道をもう一度上る。
もうここしかないんだ。
「あ、あの、ここって進めます、か?」
「進めますよー」
さっきこちらを見ていた警備員が軽い調子で言った。
(助かった……。これで進める)
私は会釈して工事現場の横を通りすぎた。
中央自動車道をもう一度潜り抜けて、坂を上っていく。
「あっ」
左側の景色に、私は立ち止まる。
「すご」
相模湖だ。
上から見ると、こんな感じなんだ。
さっき見えた、湖に架かる橋もさっきよりも大きく見える。
「いいな。周遊するより、こっちのほうがいいかも」
印象派の絵画のようだ。
遠くから見るほうが、美しさがわかるような気がする。
少し歩くと、子どもたちが見えた。民家に目を移すと、おばあちゃんたちが会話している。工場では、休憩時間なのか、缶コーヒーをかたむけながらスマホ画面を見ている男性。
初めての場所に来るたび、いつも思う。
私が知らない場所にもたくさんの人がいて、それぞれが自分の仕事をしている。
この世界で、私が知ることができるのは私のことだけだ。けれど、私が目を閉じても世界はそこにあるように、私がいなくても世界は続いていくし、そこにある。でもそれは、逆に言えば、大切な人がいなくなっても、会えなくなっても、私はここにあるということでもある。
「悲しいな」
上った分、今度は下っていく。
山道。十五分に一度くらい、口の中で「ここ通るの?」と問わざるを得ない道が出てくる。
山の斜面に沿うように燃えるような赤色の花。
「ヒガンバナ……」
曼珠沙華とも死人花ともいうこの花。縁起でもないことだけれど、私はその鮮やかさが好きだ。あまりの美しさに嫉妬した人が、あえて縁起の悪い意味を持たせたのではないか。古文の世界では美しさと縁起の悪さはよく結びつく。「ゆゆし」という単語に「不吉だ」という意味と「すばらしい」という意味が持たせられていることが好例だ。
ヒガンバナの花言葉は、「悲しき思い出」だったな。白いヒガンバナの花言葉は……なんだったっけ。
道を進むと、橋が出てきた。さっきくぐった中央自動車道を今度は見下ろす形だ。相模湖料金所への案内。那須に住んでいたころ、よくお母さんと来たな。それを家に帰ってトミカで再現したりしたっけ。
「……」
そこからさらに進むと、また橋が出てきた。眼下には、一時間前に苦しめられた甲州街道だ。
それから少し経って、下界に帰ってきた。交番のライトが回っている。しかも、さっき上からみた、相模湖を渡る大橋も目前だ。
「ここからどうするんだ……」
藤野駅まで、ここから二つのルートがあるみたいだ。
「橋を渡るルートと、甲州街道ルート……」
前者は後者よりも二十分くらい時間がかかるらしい。が、この道をゆくよりも安全だろう。
「ていうか……」
ここまで来て、こんな存在感のある橋を渡らずに帰ったら、きっと後悔する。今後もし渡りたくなってもまたあの道を来なきゃいけないなら、道はふたつといいながら、ひとつだけだろう。
もうここには二度と来ないかもしれない。それなら、いくしかないじゃない。
「よしっ」
ここから後半戦だ。
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