アリス3 家族の形
如月六日
前編
第1章 アン・アリスと孝
『昔々、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。ある日お爺さんがタケノコをとりに竹林に入ったところ、光り輝く不思議な竹を見つけたのです』
壁掛けモニタから少女の声で昔話が聞こえてくる。
モニタの中には昔の絵本風の背景があり、画面の端にはCGで描かれた美少女がいる。
そしてそのモニタの前にベビーゲートが置かれていて、その中で一人の子供がモニタを眺めている。
我が家の「長女」アン・アリスと、長男の孝だ。
孝は今年3歳になる。
最近、僕らを「パパ、ママ」とはっきり呼べるようになり、簡単な会話も出来るようになった。
好奇心の赴くまま歩き回るようになったので、今はベビーゲートに入れてある。
まだ好き嫌いが多くて、野菜ペーストを食べさせようとすると首を振って「きらい」とイヤイヤをする。
何がきっかけか分からないが、突然泣き出すこともある。
この辺はまあ、年相応の反応らしい。
問題はアン・アリスの方だ。
とにかく孝にかかりっきりだ。
朝、孝の目覚めを一番先に察知するのはアン・アリスだし、孝がぐずり出すと真っ先に彼女が慰めにかかる。
アン・アリスが「私がお姉ちゃんよ」と何度も言うので、孝の方もこのCGキャラを姉として認識しているらしい。パパとママとは別の、自分を守ってくれる存在という感じだろうか。
まあ、アン・アリスには物理的な身体がないので、声をかけたり、モニタに色々な映像を映して興味を引いたりぐらいしか出来ないのだが。
実際、綾子さんや僕が孝を抱いていると、CGの表情が微妙そうになる。
羨ましがっている――少なくとも、そういう演出をしているのだろう。
それでも孝が「ねぇね」と呼ぶと、アン・アリスは嬉しそうに画面一杯に顔を拡大し、笑顔を見せる。
いや、怖いって。
孝も驚いてビクッとしてるじゃないか。
*****
今、僕と綾子さんは政府の外郭団体である人工知能研究所に勤めている。
綾子さんは一年間育児に専念したあと、博士課程に進み2年で博士号を取得。
今年からこの研究所の教員として働いている。
アリス・シスターズの産みの親という実績もあり、早くもエース級の研究者として期待されていた。
僕は大学院を卒業したあと、そのまま研究所に就職済みだ。
ここでは僕が先輩になるわけになる。
育児を手伝いながら卒業するのは結構大変だったけど、そこは綾子さんと家事を分担したり、綾子さんの個人指導も受けながら何とか卒業にこぎ着けた。
どうやら僕は論文を書くのが下手らしい。ついつい趣味の技術論に熱が入り、思いつくまま、アリス・シスターズの分散処理化やら彼女たちを統合制御する超アリス構想やらを書いてしまった。
「内容は面白いけど、修士論文としてはダメ」と里中教授と綾子さんに何度もダメ出しを食らったっけ。
まあ、今となっては良い思い出だ。
と言うわけで、僕は今、後輩である綾子さんのOJTとして研究所での仕事の仕方を教えていた。
学生時代は憧れの先輩であり、今は妻である愛する女性の指導員となるのは何というか、新鮮な感じだ。正直、興奮する。
確か今日は大丈夫な日だったはず。夜の運動会が楽しくなりそうだ。
「達也君、顔がにやけてるよ」綾子さんがそっと顔を近づけきて小声でささやく。
「え? そ、そう?」
「鼻の下が伸びてる。あと、今夜する時はちゃんと使ってね。まだ第二子を作るわけにはいかないでしょ」そう言ってくすりと笑った。
そっかぁ。
そうですよねえ。
就職したその年に子供が出来たら大変ですからね。
家族計画、大事ですよね。
すまん、孝。お前の弟妹が生まれるのはもう少し先になりそうだよ。
第2章 孝、幼稚園に行く
孝が満3歳になるので、今年からから幼稚園に通わせることにした。
僕らの勤務先は育休制度が充実しているし、在宅勤務もありなので二人だけで育てる事も出来るのだが、やはり同じ年頃の友達がいた方がいいだろう。
一緒に遊んだり、喧嘩したりして社会性を身につけて欲しい。
家にはアン・アリスもいるが、さすがに生成AIだけが友達というのは寂しすぎるからね。
そんなわけで入園先を探していたら、僕らの家から近いところに丁度いい感じの幼稚園があった。
綾子さんのママ友になった安藤さんの娘さんも通う予定らしい。と言うか、安藤夫人のお誘いでこの幼稚園に興味を持ったのだ。しっかりしたよい幼稚園だと聞いた。
綾子さんと僕は、孝を連れて説明会に参加することにした。
安藤さんご夫妻にも会ったので、改めてご挨拶をした。お二人の娘さんは、加奈子ちゃんというらしい。小さな身体で大きくお辞儀して「こんにちわ」と言ってくる。
良い子だ。ちゃんと育てられてる事が分かる。
「ほら、孝もご挨拶しなさい」
そう言って背中を軽く叩くと、孝も大きな声で挨拶を返した。
よしよし、良いぞ孝。お前はやれば出来る子だ。
このまま入園をすることになれば、加奈子ちゃんと良い友達になって欲しいところだ。
安藤夫妻や他の参加者と一緒に会議室に入ると、各家族が既に席に座っていた。
安藤一家と僕らも並んで席に着く。
会議室の正面は大きなモニタがあり、幼稚園の名前と花をかたどったロゴが写っていた。
モニタの端には数人の人間が座っている。多分、幼稚園の教員達だろう。
カメラが僕らを捉えた瞬間、モニタに見覚えのある顔が映る。
『いらっしゃいませ。そして、初めましてパパ、ママ。幼稚園支援アリス・シスターズ、商品名フレーベル・アリスです。あと、孝も初めまして。アン・アリスから今日ここに来ると聞いて楽しみにしてました』
会議室が一瞬、ざわっとなる。
安藤ご夫妻は慣れてるからか、僕らを見てクスクス笑っている。
ちょっと恥ずかしい。
しかし、アリス・シスターズはこんなところにまで進出していたのか。
本当に社会インフラになってるなあ。
「ねぇね?」孝が不思議そうな顔をしているが、混乱するのも仕方がない。
アリス・シスターズはペルソナごとに微妙にデザインが変えてある。
フレーベル・アリスもアン・アリスと似てはいるが、細かい差異で別キャラだと分かる。
この辺は袴田のお仕事の成果だ。本当、絵だけは上手いんだよなあ、あいつ。
『そうだよ、孝。私もアン・アリスと同じで、あなたのお姉ちゃん』
孝がきょとんとした顔で僕の方を見てきた。
3歳児じゃ、まだアリス・シスターズの区別はつかないのだろう。僕に確認を求めてきたのだ。
「前に言ったろ。お前にはアン・アリス以外にも一杯お姉ちゃんがいるんだ。この子もお前のお姉ちゃんの一人だよ」
「んん?」
孝が首を捻る。
やっぱり、まだ理解するのは難しいか。
「フレーベル・アリス、だったわね。ここは見学者の皆さんへの説明の場でしょ。公私の区別はつけなさい」綾子さんが軽くとがめる。
『はい、ママ。すいません。それでは改めまして、ご来訪の皆様。本日はご足労頂きありがとうございます。これより当園の園長より、当園の特長や教育方針などをご説明をさせていただきます』
彼女がそう言うと、教員の中から初老の男が立ち上がると、自己紹介を始める。優しげな雰囲気を持った人だなというのが初見の感想だ。
「皆様、ようこそお越し頂きました。園長の宮永と申します。今、フレーベル・アリスが申し上げたように、これより当園の紹介をさせて頂きます。当園は人間の教員はもちろん、ご覧のようにAIも活用して、お子様達をサポートさせて頂きます。詳細に関しては、お手元のパンフレットをご覧下さい。まずは……」
こうして園長や教員、フレーベル・アリスの話を聞いて、説明会は終了した。
なるほど、話を聞く限りは悪くない。
紹介してくれた安藤夫人に感謝だな。
夫妻とさよならの挨拶をした時、孝が加奈子ちゃんとなんか楽しげに手を繋いでいた。
僕の見る目が確かなら、加奈子ちゃんは将来有望そうだ。
今のうちにつばをつけておくつもりかもしれない。
うん、さすが我が息子だ。
帰り際、園長先生が声をかけてきた。
少し話がしたいという。
「どうする?」綾子さんに尋ねる。
「いいんじゃない。今日はこの後、特に用事もないし」とのお返事。
我が家の女神から許可が下りたし、特に急いではいなかったので、お招きに預かることにした。
園長室に入ると、先ほど宮永と名乗った人が笑顔で出迎えてくれた。
机の上にはノートパソコンがあり、そこにフレーベル・アリスが見える。
「いやあ、驚きましたね。アリス・シスターズの開発者が来園してくださるとは。フレーベル・アリスはとても良い仕事をしてくれます。是非、お二人にそのことをお伝えしたくて、お呼びしてしまいました」
『はい、園長。私たちアリス・シスターズのオリジナル開発陣のリーダ、それがこちらのパパとママです。ママがプロジェクト総指揮、パパが技術陣のエースでした』
なんか、前にもこんなやり取りがあったな。
あ、そうだ。ナイチンゲール・アリスと女医さんと会話がこんな感じだったっけ。
話を聞くと、園長先生はAIを幼稚園に導入することに積極的な人だった。何でも、教員や同級生になじめない子供も、フレーベル・アリスに対しては心を開いてくれる事があるらしい。
「へえ、そんなことがあるんですか」僕は素直に感心した。
『はい、パパ。私の存在は直接的には画面越しに認識されます。おそらく、子供の目から見ると、テレビアニメのキャラクターのような存在に見えるのだと思います。アニメのキャラと会話が出来る。そこが人見知りする子にとって親しみやすいのかと』
「そうなんです。お二人が作られたアリス・シスターズは、子供との親和性が驚くほどに高いんです。これは知人から聞いた話ですが、独居老人もアリス・シスターズを話し相手にする方が多いとか。まさに人間のパートナーだと思います」
そんな感じで教育や介護におけるAIの活用について30分ほど盛り上がってから、おいとますることになった。孝は大人の会話がつまらなかったのか、途中で寝てしまい、今は僕の腕の中だ。
別れ際、綾子さんがフレーベル・アリスに声をかける。
「フレーベル・アリス。注意しておくけど、孝を贔屓にしないこと。そう言ってもあなたたちはしちゃうんだろうけど、それでもあの子を他の子供と同じように扱いなさい。少なくともそう努力してちょうだい」
『はい、ママ。でも、孝は私たちの弟です。最重要人物として対応したいのですが』
「気持ちは分かる。あたしだって自分の子供を一番大事にしたい」
綾子さんはフレーベル・アリスの言葉を否定せず、柔らかく受け止めた。
僕も綾子さんに同意だ。だって親だもの。自分の子が一番可愛いに決まってる。
でも、だからこそ言っておかなければいけないこともあるのだ。
「考えてもみろ。孝だけが明らかに贔屓されていたら、他の子供達はどう思う? 孝に嫉妬するだろう。もしかしたら、それが虐めや仲間はずれの原因になるかもしれない。逆に、孝はどう感じる? 自分が特別な存在だと勘違いして育つかもしれない」
『はい、パパ。その可能性は否定できません。子供は理性の抑制が効かない分、大人よりストレートにそうした違和感を表明するかもしれません』
「だろ。お前はそんな孝が見たいか? 自分が特別だと奢って、周りから疎まれる人間に育てたいか?」
『いえ、パパ。孝をそんな風にしたくないです。孝には、パパみたいにちゃんと育って欲しいです。エッチで紳士な子にしたいです』
「そう、僕みたいな……て、無理にエッチに育てなくても良いんだよ! 男なんて年頃になれば、大体エッチになるんだから。そこは自然に任せろ!」
ほら見ろ、園長先生が笑ってるじゃないか!
「そうよ、フレーベル・アリス。達也君がエッチなのはもうどうしようもないから、紳士に育てることの方を優先して」綾子さんから追撃が来た。
いや、確かに僕はエッチです。エッチですけど、せめて人前では否定して!
「とにかくだ」
強引に話題を戻した。
「孝はこれから幼稚園、そのあとには小学校や中学に通うことになる。いずれは社会人になって働きもするだろう。孝を天狗にしたくないんだよ。社会から浮いた生き方なんかさせたくない。わかるだろ?」
『はい、パパ。人間は社会的生物です。他人との関わり合いの中で、人間は自己を認識します。「我が幼稚園は幼児のための、社会生活への入り口である」と当園のパンフレットや創園理念にも書いてありました』
園長がうんうんと頷いている。
「そう言うことだ。だから孝をえこ贔屓するな。お前たちの中には孝を構いたい衝動みたいなものがあるのかもしれないが、そこは『姉』としてぐっとこらえろ。それが孝のためなんだ」
「そうね。もし孝が困っているときは、ちゃんと本人にどうしたのか、どうしてほしいのか確認すること。勝手に先回りはしないで。あと、人前では呼び捨ても禁止。ちゃんと他の子達と同じように、『孝君』と呼ぶようにね」
『はい、パパ、ママ。了解しました。孝への対応についてはアン・アリスからも極力特別扱いしないようにとのプロトコルが展開されているので、それに対する追加事項として今の会話をシスターズで共有します。私も全力でお姉ちゃんを実行します』
フレーベル・アリスが画面の中で拳をぎゅっと握って見せた。
『パパ、ママ。私もフレーベル・アリスと情報連携を密にして、孝の教育を間違えないようにしますのでご安心ください』
それまで黙っていたアン・アリスが会話に入ってきた。
多分、フレーベル・アリスに対抗心を持ったのだろう。こいつも孝大好きAIお姉ちゃんだからな。長女として孝を育てるポジションを譲りたくない、という演出なんだろう。
「ああ、頼む。フレーベル・アリスは他のご家庭のアリス・シスターズとも連携するのを忘れずにな」
『はい、パパ。任せてください。でも、アンは自宅で孝に構いっきりですよね。ずるいです。私だって、少しぐらいは孝とお話ししたいです』
「わかってる。誰もいない時なら普通に『姉』として接してもいいのよ。孝が困っている時に少し助けたり、見守って。ただ、他の子供との扱いを明確にならない程度にする節度は持ってね」
『はい、ママ。頑張ります』
「お二方は孝君だけでなく、アリス・シスターズのご両親でもあると言うことなんですね。世界で数億体いると聞いてますが、こんな大家族は聞いたことがない。ご苦労なさっていそうです」そう言って園長先生が苦笑した。
いや、本当に苦労してるんですよ。
僕は綾子さんと顔を見合わせると、お互い苦笑いをするのだった。
第3章 アン・アリスの気持ち
幼稚園の説明会に参加して数日が経った。
今日は在宅勤務の日なので、綾子さんも僕ものんびり業務をしている。
いつものようにコーヒーを淹れて、綾子さんに渡す。
孝はベビーゲージの中でアン・アリスと他愛のない会話をしていた。
そんな時、ふいに孝が綾子さんを呼んだ。
「ママ」
「なに、孝?」
「ねぇね、ぴくってなた」
「ぴく? アン・アリス、何かトラブル?」
『はい、ママ。今、メモリの一部が故障しました。メモリは冗長化されているので、今は問題ありません』
「そう? あなたのサーバも大分古くなってきたからがたが来てるのね。そろそろサーバのリプレースを考えた方がいいかも」
『……いえ、ママ。大丈夫です。当該のメモリは特定しているので、あとで保守部品に差し替えていただければ問題ありません』
ん、今ちょっと会話が途切れた。
プチ・フリーズか?
アリス・システムにはインフラのチェック機能もあるから、アン・アリスが大丈夫と言っているなら、喫緊の課題って事はないんだろうが。
やっぱり、そろそろサーバのリプレースを……と、それよりもうすぐ海外の研究者とネット打ち合わせの時間だ。資料のチェックをしておかないと。
忙しさにかまけて、それきり僕はアン・アリスのサーバの問題を忘れてしまった。
*****
「パパ。ねぇね、ぴくっしてる」
週末、仕事が休みなので綾子さんとのんびりしていたら孝がそんなことを言ってきた。
言われてみると、サーバのモニタにアラートが上がっている。
内容を確認すると、SSDが一つ壊れたらしい。
アン・アリスを搭載したサーバはSSDもRAID構成で冗長化しているので、壊れたSSDを抜き取り、新しいSSDを差し込めば修理は完了だ。
あとは自動的に新しいSSDに他のSSDからデータが書き込まれ、復旧する。
「それにしても、最近故障が増えてきたわね。CPUやメモリは冗長化してあるからまだいいけど、RAIDコントローラとか冗長化できてない部品が壊れたらアリス・システムがダウンしちゃう」
「高校時代の骨董品をメンテや再起動もしないで使い続けてるからね。アン・アリスを作ったのが10年前だから、メーカの保守期間7年を3年も超えてる。保守部品が残ってるうちはいいけど、そろそろサーバ・リプレースを考えないとダメかな」
まあ、アリス・システムを動かすだけなら、今ではそんなハイスペックのサーバはいらない。ミドルレンジのパソコンでも充分に動く。高い買い物でもないし、近いうちにパソコンショップでも行ってみるか。
『パパ、ママ、大丈夫です。ハードウエアのチェックは定期的に行っていますので、問題が発生したら直ぐにお知らせします。買い換えて頂くほどのことではありません』
「ん、そうか? ならいいんだけど。保守予防機能に反応が出たら直ぐ教えてくれよ」
『はい、パパ』
アン・アリスの返事を聞いて、僕らはまた最近のAIニュースに関する話題を続けた。
だから僕らは気がつかなかった。
アン・アリスが恐怖の表情を作っていたことに。
~後編に続く~ 明日の20時に公開予定です。
※ご感想など頂けますと幸いです。
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