異世界子供部屋おじさんはチートスキル【清掃】でこっそり世界を救っちゃってます。 ~家業を継ぎたくないから皆には内緒だよ~
蒼き流星ボトムズ
【清掃日誌01】 幽霊屋敷
「ポール坊ちゃん、ごはんですよー。
今日は坊ちゃんの好物の羊のハンバーグですよー。」
階下から乳母のマーサの声が聞こえる。
『はーい。 (ドタドタドタ)』
食卓には、父・母・妹・妹婿が揃っている。
「ポール、最近はどうだ?」
『いつも通りだよ父さん。』
「ポール、もうあんな女とは連絡を取ってはなりませんよ。
もうアレは嫁でもなんでもないんだから。」
『取ってないよ母さん。』
「兄さん、仕事もせずにいつまでゴロゴロしているんですか。
ワタクシ、今日も兄さんの話題で恥をかいてしまいましたわ!」
『ゴメンな、ポーラ。
明日から本気出すよ。』
「ポーラ、義兄さんには義兄さんの考えがあるんだよ。
申し訳ありません、義兄さん。」
『いや、ロベール君。
悪いのは俺だよ。
こちらこそ、会社を君に丸投げでごめんね。』
いつもと似たような会話が終わり、俺はマーサが切り分けてくれるハンバーグを堪能する。
「坊ちゃん、ケチャップをもう少しかけますか?」
『うん、お皿の端っこにプチュっとして。』
「畏まりました、坊ちゃん。」
『ありがと。』
「マーサ!
兄さんを甘やかすのはやめなさいっていつも言ってるでしょう!!」
「も、申し訳ありません、ポーラお嬢様。」
「まあまあ、義兄さんも自宅の中くらいはリラックスしたいんだよ。」
「いっつも兄さんはおうちに居るでしょ!!」
俺は急いで食事を平らげると、そのまま2階の自室に逃げ込んだ。
(ドタドタドタ)
==========================
俺の名前はポール・ポールソン。
39歳バツ1。
決まった仕事には就いていない。
ポールソン清掃会社の御曹司と言えば聞こえはいいが。
要は掃除屋の子供部屋おじさんである。
何だよー、その目は。
39歳が親元でゴロゴロしてるのが、そんなにおかしいかよ。
…色々、事情があるんだよ。
聞いて。
俺の言い訳聞いて。
この実家ってソドムタウンのど真ん中にあるんだ。
丁度、メインストリート沿いだからさあ。
実家からだと街のどこにでも気軽に行けるのね?
だから、この歳でも親元にいるんだよ。
いいじゃん、俺長男だし。
まあ会社はロベール君が継ぐと思うけどさ。
普段何をしてるかって?
窓から抜け出してbarに行ったりするな。
後、モンスターの模型を作るのが趣味。
ほら見て、ホーンラビットの模型!
結構リアリティあるだろ?
俺、子供の頃から模型作りで何度か賞を取ってるんだぜ。
次は何を作ろうかなぁ。
うーん、サンドワームは去年作ったしな。
ドラゴンは作り飽きたしな…
こうやって模型製作計画を立てている時が一番幸福を感じるね。
部屋に居る限り、俺の平穏は月の映る湖のように平穏だ。
「坊ちゃーん、お客様ですよー。
キーン社長が来られてます。」
…問題発生。
どうやら俺の平穏は破られたようだ。
「遅いぞポール。
キーン社長をお待たせするんじゃない!」
『ごめんよ父さん。
そしてこんばんは、ドニー。』
「まあまあポールソン社長。
こうやってポール君の顔を見れただけでも私は幸福ですよ。
やあ、我が友ポール。
今日も若々しいね。
羨ましいよ。」
『俺は幼稚なんだよ。
さっきも妹に説教されていたところさ。』
「ははは。
ポーラ嬢にはお兄様の真価がまだ見えていないようだ。
山は巨大であるが故に麓にいる者には全貌が見えない。
仕方のない事だよ。」
『…。』
「ポール、折角キーン社長が来てくださったんだ。
早くお酌をしなさい!」
俺は無言で、年長の幼馴染にワインを注ぐ。
この男との付き合いもいい加減長い。
==========================
一見、非常に人当たりの良いドナルド・キーンは俺の幼馴染である。
(俺と嫁以外の全人類に優しい。)
向こうの方が数年年長なので、昔から兄貴分として立てている。
そして彼はポールソン清掃会社の大口顧客であるキーン不動産のオーナー社長でもある。
故に、父もこの男には日頃から平身低頭している。
キーン不動産が定期的に回してくれている案件が無ければ、恐らく我が社の経営は成り立たない。
「ポールソン社長。
合衆国土産の葉巻です。
奥様にはブローチを買って参りました。
ポーラ嬢とロベール君はそろそろ結婚一周年だったと思うので、このペアチケットを。
ええお二人の好む演目だと良いのですが。」
「キーン社長!
いつもお気遣いありがとうございます!
社長程のセレブが自ら東奔西走するお姿。
弊社一同、常々感銘を受けさせて頂いております。」
「ははは。
大袈裟ですよ。
息抜きも兼ねてますから。」
「しばらくはソドムタウンに?」
「そうですね、来年王国に向かう事が決まっているので
それまでに地元の仕事を全て片付けるつもりです。」
「今度は王国!?
何やら不穏な情勢だとは聞いておりますが…」
「ははは、ご心配なく。
確かにデフォルトや魔界侵攻の噂もありますが、危なくなる前に脱出しますよ。
数日王都を見物して、お得意さん回りをするだけですから。」
「流石はキーン社長です。
有能な上に勇気もあるのですから、青年部の代表にも選ばれる訳だ。
ゆくゆくは商工会長ですか?」
「ははは。
素晴らしい諸先輩方が沢山おられますよ。
私などはとてもとても。」
「いえいえ、その諸先輩連中がこぞってキーン社長を褒めておられます。
人柄柔らかく勤勉にして大略あり!」
そう、この男は勤勉で戦略眼もある。
そして、人当たりは柔らかい。
「恐縮です。
今日は勤勉である為のお願いに上がりました。」
「はい、何なりと!」
「例によって息子さんをお借り出来ませんか?
勿論、いつもの発注同様、御社には正式に謝礼をお支払いします。」
「は、はい!
このような愚息でよければ、是非お使い下さい!
ポール!
キーン社長によくお仕えするのだぞ!
声を掛けて頂いている事に感謝の気持ちを持ってだな!」
「ははは、お願いしているのは私の方です。
息子さんには幼少の頃から大いに助けられております。
これからも懇意にして頂ければ幸いです。」
「いえ!
弊社こそ何卒!
何卒御贔屓に!!」
父が遜るのは仕方ない。
キーン不動産の顧客は世界中の富裕層なのだ。
取り扱っているのが全て豪邸で顧客は金持ち。
なので、かなりの清掃単価で請け負わせて貰っている。
他の清掃会社もキーン不動産にかなり熱心に営業を掛けているらしいが。
今のところ、我が社に殆どの案件を振ってくれている。
この男はきっと我が社を切らないだろう。
切るには、俺に利用価値があり過ぎるから。
==========================
「愛されてるじゃないか。」
門を出た所でドナルドが呟く。
皮肉で言っている訳ではない。
この男は打算の無い人間関係に心のどこかで憧れているのだ。
だから、ポールソン家の食卓を昔から好む。
『今日は何をすればいいんだい?』
「不動産屋が掃除屋に依頼する事はたったの一つだよ、ポール。」
『あまり使いたくないのだけれどなあ。
自分のスキル、好きじゃないんだよ。』
「でも世界はそれを求めている。」
ドナルド・キーンは昔から世界だの時代だの、大袈裟な物言いを好む。
天下国家を論じるのが好きなのだ。
問題は、昔からこの男は論じるだけで留まらなかったことである。
今、この男は世界を破壊しつつある。
それも独力で、だ。
最初にこの男の意図に気づいた時、俺は戦慄した。
この男は革命ごっこに俺を巻き込もうとしていたからである。
何度か固く断ったが、この男は俺が断れない事を知っている。
ポールソン清掃会社は、あまりにキーン不動産に依存させられ過ぎてしまった。
上手い手口である。
そこまでして俺を引き込みたいのだ。
「すまないな。
馬車はもう少しだけ掛かる。
ゆっくり想い出話にでも花を咲かそう。」
『想い出と言っても、俺とアンタは歳が微妙に離れているからね。』
そう、子供の頃は特に数歳の年齢差が大きい。
だから、俺とこの男の共通の知人はたったの1人しか居ないし。
俺はその話をしたくない。
「今日の触媒はミスリルだ。」
『ミスリル!?
掃除にそんなもの。』
「普通の掃除になら不要だね。
だが、今日の案件は特別でね。
ほら、渡しておこう。」
『いや、渡すって言われても!』
ドナルドが俺に渡したのはコイン。
それもミスリルの貨幣…
ということは…
『…10億ウェン。』
「これは内々の話だが、来月に帝国からミロシェビッチ侯爵が転居されて来られる。」
『…亡命か?』
「ははは、人聞きが悪いなぁ。
ただの転居だよ。
まあ侯爵閣下は今の皇帝とやや上手く行ってないようだけど。」
『その館を清掃するって話なんだな?』
「侯爵閣下は郊外の広い大邸宅が好みでね。
例の館の噂を聞きつけて、私に仲介を依頼してきた。」
『…例のって、あの屋敷のこと?』
「御名答。
私もあの物件には関わるつもりは無かったのだけどね。
…どうも帝国人はああいう作りを好むね。」
ソドムタウン東郊外の大邸宅。
今では幽霊屋敷と呼ばれているが、作りは非常に豪奢である。
かつて、クーデターで国を追われた帝国皇帝のウラジミール7世が晩年を過ごした邸宅。
帝国人にとっては政治的な意味合いも非常に大きい物件である。
そこにわざわざ入居を希望する時点で、侯爵とやらの現皇帝に対する感情は何となく察する事が出来るというものだ。
聞けば、侯爵は近隣の諸侯と共に対首長国強硬派閥を形成していたそうだ。
これは先の戦争で5諸侯が首長国に大幅に領土を奪われた事が原因とのこと。
反攻作戦が順調に進んでいたにも関わらず、現皇帝アレクセイは5諸侯に相談せず単独で和平条約を締結。
加えて5諸侯への領土補償は無し。
これが原因で5諸侯と皇帝の間に深刻な緊張関係が生まれた。
他の4諸侯と異なり、唯一帝都宮廷で勤務していた侯爵は身の危険を感じ自由都市への亡命を決断した。
という背景事情。
…大人は大変だね。
「ほら、見えて来た。
懐かしいか?」
『ああ、色々思い出して来たよ。』
幼少期の俺とドナルドは何度か、あの大邸宅を訪れた事がある。
共通の知人が居たからである。
そう、あそこのキーン商会の馬車から出て来た女。
「お久しぶりね。」
『ご無沙汰しております、奥様。』
エルデフリダ。
ドナルド・キーンの妻。
俺達の共通の幼馴染。
かつて、この大邸宅で暮らしていた女。
チェルネンコ皇帝家アチェコフ流の血を継承する者。
ご丁寧にも帝位継承資格まで持っている。
息子を帝国貴族と結婚させれば、継承資格を付与させる事が可能である。
俺にとってはあまり顔を見たくない相手。
「…フン。
ちゃんと役に立ちなさいよね。」
俺に悪態をついたエルデフリダであったが、ドナルドから短く叱責されると首をすくめておとなしくなった。
昔から女に厳しい男だ。
それがモテる秘訣であることは知っているものの、真似をする気にはなれない。
「この邸宅。
今は幽霊屋敷と呼ばれていることは知っているだろう?」
『噂にはなってるね。
ここ最近、幽霊騒ぎが起こったって。
肝試しの学生が大怪我をして…
確か市が封鎖したのだったかな?」
「ここを綺麗にしたくてね。」
『俺のスキルは幽霊退治には使えないよ?』
「使えるよ。
薄々自分でも気づいているんだろう?
【清掃】の本質について。」
『さあ、どうかな。
俺はただの掃除屋の出来の悪い息子だよ。』
何がおかしいのか、ドナルドは一人で笑いながら俺を館の入り口に誘う。
エルデフリダが同行したそうだったので、俺から頼んで降車を許可させた。
…懐かしい。
ウラジミール7世行宮。
かつては亡命帝国人達の牙城であった。
あの頃の俺は幼かったので理解出来なかったが、自由都市政府もかなり7世陛下の復帰に肩入れしていた。
後5年、陛下の寿命がもったなら…
きっとアチェコフ流が帝都に返り咲いていただろう。
そしてエルデフリダもインペリアルファミリーの一員として彼女が望む生涯を送れたことだろう。
「ポール、いつものアレを見せてくれ。
まずは門前から清めていきたい。
金貨は何枚必要?」
『人目が無いように見張っておいてくれよ。
銀貨1枚で十分さ。』
「流石だな。
了解、相棒♪」
調子のいい男だ。
営業マンとして優秀なことも理解出来る。
『エルデフリダ様、お下がり下さい。
スキルを展開します。』
「…フン! さっさとしなさいよ。」
俺のスキル名は【清掃】。
読んで字の如く、《清掃するだけ》の能力だ。
そのまんまだろう?
初等学校での一斉鑑定ではクラスメートから随分弄られたし、その頃はただ漠然と恥ずかしいとしか思っていなかった。
『ターゲット門前エリア、触媒は銀貨1枚。
行くぞ、スキル発動!
清掃(クリーンアップ)!』
シュイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!
見慣れた光が付近を覆う。
スキルって夜に使いたくないよな。
「おお!
またレベルが上がったんじゃないか!?」
『ここ最近アンタに酷使されてるからね。
この歳になっても経験値が増え続けているよ。』
「幾つになってもレベルアップは大切だよー。
私はゴメンだけど。」
まあそうだよねー。
所帯持った40過ぎの経営者がレベリングとかしてたら、頭がおかしくなったかと思われちゃうからね。
せいぜい30代前半までだよな、レベルだの経験値とか言っていいのは。
「なあポール。
今のオマエが本気出したら
この大邸宅の清掃にどれくらいのコストが掛かる?」
『金貨3枚。』
「おお、コスパいいねえ。」
『30分あれば十分だよ。』
「ふふっ、もはや奇跡の領域だ。
ポール1人居れば、会社が回っちゃうんじゃないか?」
そう。
それが俺が自分のスキルを嫌いな理由。
社員達の雇用を奪いたくない。
掃除夫なんて他に居場所が無い連中の集まりだからな。
『中も清めるのかい?』
「幽霊の正体を確認してからね。」
『一応確認しておくけど。
奥様は馬車で待機して頂くんだよね?』
「勿論、私もそうしたかった。
だが妻にとっても想い出の館だ。
エルデフリダ、オマエが決めなさい。
中を見てみたいか?」
「はい(コクコク)♪」
「私も女性を危険な場所に連れて行くのは本意ではないのだけれどね。
最愛の妻の望みだ。
叶えてやりたくもなるだろう?」
『…。』
よく舌の回る男だ。
世界中から貴族富豪を引き抜くだけの事はある。
『わかった。
でも、ちゃんと護ってやれよ?
アンタ強いんだからさ。』
「わかってる。
私は世界全てよりも妻を大事に想っている。
命を懸けて護るさ。」
「///(ポッ)。」
そんな大事な女を深夜の幽霊屋敷に連れてくるかね。
色々小型モンスターが棲みついているって噂だぜ?
…ほーら、おいでなさった。
『前方から7匹。
ポイズンラットだ。』
「おお、流石モンスター博士。
いい歳して模型遊びをしているだけの事はあるな♪」
褒めてるのかディスっているのか、そんな軽口を叩きながらドナルドは手早く剣を振るっていく。
ポイズンラットは本職の冒険者でも苦戦する筈のモンスターだが苦にする気配はない。
「屋敷全体は清掃出来るのか?」
『無生物なら清掃可能だよ。』
「今のレベルではまだ生物は掃除出来ない?」
『例えレベルが上がっても生物は無理だよ。』
「ふふふ、そういう事にしておこう。」
俺達3人は棲みついてる小動物をこまめに始末しながら屋敷をチェックしていく。
懐かしいな。
俺も数度だけここに遊びに来た。
7世陛下とも何度かお話したっけ。
あの頃は、帝国皇帝なんてよくわかっていなかった。
その人物が自由都市で雌伏している政治的意味も、政府が熱心に支援していた意味も、エルデフリダの涙の意味も。
俺は何も知らなかった。
「ああ、お母様の…」
エルデフリダが絶句する。
小ぶりの豪奢なソファー、きっと帝国皇女であった母親が腰かけていたのだろう。
愛おしそうに撫でている。
『…清掃(クリーンアップ)。』
「「?」」
『ドナルド、このソファー。
持って帰りなよ。
外に社員さん達、おられるんだろ?』
「あ、いや。
今、触媒無しで発動したのか?」
『この程度なら、別に。』
「いやあ、凄いねぇ。
オマエが居ればポールソン清掃会社は安泰だ。」
そうかな?
強すぎるスキルは組織を破綻させてしまうと思うけど?
ツンツン
ん?
何だ?
「…あ、ありがと。
褒めてあげてもよくってよ。」
何十年か前にもこんな光景があったな…
互いに進歩の無い人生だよな。
「…な、何よ。」
『どういたしまして。
エルが使ったら、お母様もきっと喜ばれるよ。』
コクン。
数分して、ソファーを運び出す為にキーン不動産の社員達が入って来る。
何人か現場で見知った顔もあり、軽く挨拶を交わした。
==========================
「さて、と。
枯れ尾花を見に行きますか。」
ドナルドのその言葉には、どことなく棘がある。
エルデフリダは気づかなかったようだが、彼の思想を知る俺には何となくニュアンスが伝わった。
その後もコウモリ系・ラット系のモンスターが出るが、ドナルドは事も無げに剣を振るって道を開いている。
『まるで、幽霊騒ぎの原因を知っているかの様な足取りだな。』
「ん?
いやいや、散策代わりに歩いているだけだよ。
妻にも想い出に浸らせてあげたいじゃないか。」
「///。」
『あっそ。
昔、この廊下を歩いた記憶…
蘇って来たよ。
なあドニー。
どうして帝国人でもない俺達が皇帝陛下の邸宅に遊びに行けたのだろう?』
「私の父が、ウラジミール陛下の亡命を手助けしたスタッフの1人だった。
元々帝国人だし、セレブ向け不動産の扱いに慣れていたからな。
その縁さ。」
ああ、思い出した。
老陛下は気丈な方だったが、孫娘の前途は相当心配していたな。
少しでも歳の近い友人を当てがっておきたかったのだろう。
俺なんかまで邸宅に入れたってことは、かなり精神的に参っていたのかも知れない。
そうだそうだ。
記憶が鮮明になってきた。
この廊下の先が…
帝国人達が《謁見の間》と読んでいた、単なる書斎だ。
「何か物音がするね。
ポール、ここに入ってみようか?」
白々しい男だ。
『ああ、確認だけしておこう。』
俺達3人は扉をゆっくりと押す。
==========================
帝国は召喚魔法の軍事利用に熱心な国だった。
神聖教団に莫大なお布施(傭兵料)を支払って戦闘用の召喚士をレンタルしていた。
ウラジミール7世陛下は特に召喚に熱心な方で、正規軍の軍縮を断行してまで召喚関連の部署に予算を割いていたそうだ。
なら、この結末も不思議ではない。
部屋の中央には巨大な魔法陣が禍々しい輝きを放っており、時折生暖かい突風を噴き出していた。
それが放置された室内の空本棚やチェストを転がして異音を鳴らしていたのだ。
「おや、驚いた(棒)
こんな魔法陣が設置されているなんて想像もしてなかった(棒)」
…茶番はやめろよ。
最初からコレが目当てだったんだろ?
「お、お爺様?」
エルデフリダが部屋に入るなり足を止める。
「わ、ワタクシ
今、どうしてお爺様と。」
そう。
あの魔法陣にへばりついた光はウラジミール7世の成れの果てなのだ。
7世は最期に死後の復活を目論んで魔法陣の術式を組んだ。
幾ら落剝したとは言え、それくらいの財力と知識は残っていた筈である。
で、死者を召喚(復活?)など出来る筈もなく、皇帝だったものの残滓だけが魔法陣の周辺に漂っているのだ。
「…エルデフリダ。
私も驚いているのだが、召喚陣が暴走しているようだ。
先程、お爺様と言ったように聞こえたが。
何か気になる事があるのか?」
「い、いえ。
何となく懐かしい気がしたものですから。」
「どうする?
オマエが嫌がるなら、侯爵へこの邸宅を譲るのは取りやめようか?」
「あ、いえ。」
「私はオマエの意志を最優先したい。
急かさないから、ゆっくりと考えなさい。」
「…その、お仕事を優先なさって下さい。」
「…そうか。
いつも心労を掛けるね。
じゃあ、ポール。
ミスリル触媒を試してみてくれるか?」
『…。』
茶番だ。
要はこの男は魔法陣の正体を確認し、かつ皇孫の言質を取っておきたかったのだ。
エルデフリダの利用価値は現在の皇帝に何かあった時に飛躍的に向上するからな。
『清掃ならお断りだよ。』
「ん?
オイオイ、ここまで来てそれは。」
『但し、供養という形でならスキルを発動しても構わない。』
「やる事は一緒だろう?」
『貴方に俺の心はわかるまいよ。
…清掃(クリーンアップ)。』
強い光が周囲を包む。
流石は触媒として最高の評価を得ているミスリルだな。
あんなコイン一枚で邸宅そのものを浄化してしまった。
もしも俺が億万長者と組めば、無限に世界を浄化出来てしまうかも知れない。
勿論、そんな事は望まない。
世の中の大半の人間は社会にとっての汚れに過ぎないのだから。
「まさしく奇跡だな!
いや、いつもながら驚かされる。
オマエこそがこの世界の救世主となるだろう!」
…なあ、ドナルドさんよ。
天下国家の話もいいけどさあ。
嫁さんのケアもちゃんとしてやれよ。
「エルデフリダ。
必要な物があれば言いなさい。
全て運び出してしまおう。」
「…いえ、あのソファーだけで。」
「そうか。
私にとっても掛け替えのない想い出だ。
2人で大切にしよう。」
「はい!
…あら、嬉しい筈ですのに。
どうして涙が。
止まらないのでしょう。」
たった今俺が7世陛下の復活の芽を… 殺したからだよ。
しばらくエルデフリダは窓際で放心していた。
「アレはオマエに頼む。」
ドナルドはそれだけ言うと手早く邸宅内をチェックしはじめた。
この男にとっては帝国切り崩しは生涯を懸けた一大イベントだ。
こなすべきタスクはあまりに多いのだろう。
昔からあの男は俺とエルデフリダをくっつけたがっていた。
(俺はそうは思わないが)人間的な組み合わせが良いらしい。
仮にそうだとしても、キーン家以上に身分差がありすぎて無理だろう。
『…エル。
落ち着いたら帰るぞ。』
「な、何よ!
ワタクシはいつでも落ち着いておりますわ!」
『そっか。』
「たかが掃除をしたくらいで偉そうな顔をしないで頂戴!」
『そうだな。』
エルデフリダはモジモジしながら俯いている。
さて、俺も帰るか。
「…でも、いつもアリガト。」
『ん?
なんか言った?』
「な、なんでもありませんわ!
馬鹿! 大嫌い!」
やれやれ。
子供の頃から延々と同じ遣り取りをしている気がするな。
==========================
翌日。
父さんから多額の小遣いを貰ったので、マーサの好物の蜜柑餅を買ってやる。
子供の頃は親の目を盗んでよく喰わせてくれたからな。
俺なりの御礼だ。
その後、清掃現場に行って作業員の皆にジュースを配る。
「ポール坊ちゃん、いつもありがとうございます。」
『これくらいさせてよ。
俺だけ手伝ってないんだしさ。』
「やっぱり会社は継がれないのですか?」
『俺にはこの仕事向いてないよ。
ロベール君は上手く馴染めてる?』
「ええ、ロベールさんは熱心に取り組んで下さってます。」
『そう。
じゃあ、色々親切にしてあげて。
彼も軍隊からの転職組で民間の慣習には馴染め切れてないみたいだから。
俺はもう帰るよ。
ベーカー達にも宜しく。』
現場にはジュースの差し入れ以上のことはしない。
これが一番無難であると最近気づいたからね。
==========================
結局、あの大邸宅のクリーンアップは無事完了。
当初の約束通り、侯爵が入居することになった。
帝国国庫から盗み取った多額の横領金と共に。
あのソファーはエルデフリダの寝室に据えられたそうだ。
退屈すると窓枠に腕を掛けてソファーにもたれているらしい。
そうか…
母親もそんなポーズで外を眺めていたか…
幼い日の俺は、それが皇女だともよくわからないまま、ただその憂いに満ちた姿に見惚れていた記憶がある。
昨日、キーン邸を通り掛かかった時に目線を感じたので見上げたら、まさしく窓からエルデフリダがこちらを不機嫌そうに見ていた。
軽く会釈だけして通り過ぎる。
あの女の名前はエルデフリダ。
チェルネンコ皇帝家アチェコフ流の血を継承する者。
幼馴染。
俺と同じく、世間知らずの愚か者。
昔、一度だけキスをした。
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