第3話 彼岸の根にて
目を開けると──
世界は再び赤い波に呑まれておりました。
ひとひらの風が吹くたび
花弁は焔のように揺れ
そのたびに音もなく息をするかのような熱が
頬を撫でてゆきます。
先ほど目を開けた時よりも──
なぜか、はるかに数が増えている。
足元まで押し寄せる真紅の波が
まるで僕の脈動や記憶を
そのまま映しているかのようでした。
中央に、小さな影。
少しだけ縮んだように見える
彼女の背中がそこにありました。
「今年も綺麗に咲いた。
誰にも穢されず、誰にも邪魔されず……」
その声が──花のざわめきに溶けて聞こえる。
僕は笑みを浮かべ
ゆっくりと歩み寄りました。
「ふふ。
さっきも仰っていましたね。
愛しい貴女──
そろそろ僕に
貴女の美しい瞳を見せていただけませんか?」
けれど、彼女は応えない。
振り向かない。
代わりに膝を折り
彼岸花の根元に白い指先を伸ばす。
祈るように、掘り返すように。
その所作は
まるで生と死の境を撫でているかのようでした。
僕は、その背を見つめる。
早くこちらを振り向いて
白い彼岸花のような指で
僕に縋り付いてくれるのを──
胸の奥が焼けるように焦がれている。
だが、その指先が瑞々しさを失い
枯れかけた花のように見えたのは……
気のせいでしょうか。
そして
土の中から彼女の指先が掬い上げたもの──
それは、頭蓋骨でした。
思い出した。
彼女の白い彼岸花のような指は
かつて僕の胸にしがみついて──
そして、首へと伸びていったのだ。
首を絞められながら
見上げたあの瞬間──
彼女の瞳には
僕と同じ〝妄執〟の炎が宿っていた。
真っ赤な彼岸花のように揺らめく焔が
その奥で僕だけを求めていた。
「貴方は……私だけのもの。
私にだけ、永遠に花のように──微笑んで」
嗚呼──⋯
なんて、美しい瞳なのでしょう。
息苦しささえ、恍惚としてしまった。
その瞳の焔が
僕だけを映している証だったから。
僕はその焔に手を伸ばした。
自分の手が
秋の太陽に向かう彼岸花の茎のように見えた。
──思い出した。
僕は、彼女のものになったのだ。
彼女だけのものになったのだ。
彼女のためだけに咲く〝彼岸花〟になったのだ。
目を開ける。
風の音が変わっていた。
花の色も、陽の角度も、匂いも、少し違う。
彼女の背中は
さらに小さく、細くなっていた。
それが〝老い〟という名の変化だと気づくまで
どれほどの歳月が過ぎたのか
僕には分からなかった。
時間の流れは、死者には届かない。
けれど──
生き続ける者には、確かに牙を立てるのだ。
「今年も、綺麗に咲いた。
でも、見るのはもう最後。
私も──来年には此処で咲くでしょう」
その声は
もう風に混じらなかった。
掠れ、震え
けれど確かに微笑んでいた。
彼女の手が再び地面に触れる。
僕の〝頭蓋〟を撫でる。
その瞬間──
根の奥で何かが脈打った。
僕の指は彼岸花となって
彼女を求め、赤い空へと伸びていく。
永遠に離さない。
貴女が僕を
貴女のものにしてくれたように。
今度は僕が──
貴女を僕の中へ〝還す〟番だ。
──次に目を開けたとき
世界は
紅と白の花で埋め尽くされているのだろう。
彼女も、僕も、同じ根を持つ。
同じ血を吸い
同じ風に揺れ
誰の名も知らぬまま咲き続ける──⋯
花弁の奥で声がする。
「彼岸を越えた先で──
ようやくあなたは、わたしのものになる」
その声を飲み込み、僕は笑った。
もう、怖くはない。
彼女の瞳が──
もう、僕以外に誰も映さないから。
赤と白の境で
僕らはひとつの根に繋がり
狂気のままに永遠を謳歌していた。
風が吹くたび
花弁のざわめきが
まるで祈りのように響く。
「綺麗ですね」
そう呟いた声に
次こそ愛しい貴女は──
振り返ってくださるのでしょうね。
✿*❀٭✿*❀٭✿*❀٭✿*❀٭✿*❀٭✿*❀٭✿*❀٭
彼岸花は
モグラやネズミから
遺体やお供え物を守るために
毒性の強い彼岸花を植えたことが
墓地で多く見かける理由とされています。
彼岸花の花言葉
赤は
「情熱」「独立」「再会」
「あきらめ」「悲しい思い出」
「想うはあなたひとり」
「また会う日を楽しみに」です。
これらの花言葉は
故人を偲ぶ思いが由来とされています。
白は
「また会う日を楽しみに」
「想うはあなたひとり」です。
「想うはあなたひとり」は
花が落ちた後に葉が出る様子から
つけられたとされています。
赤も白も
その二つは同じ想いの言葉なのです。
あなたは、この想いの言葉を
愛と読みますか?
呪いと読みますか?
そして、この作品は
短編集 『夢喰らう花の睡りに』にて
掲載しております。
https://kakuyomu.jp/works/822139837051193218
お気に召していただけたら
こちらにて他の短編も載せていきますので
併せてご覧いただけたら幸いです。
改めて、お読みくださりまして
心から、感謝申し上げます。
──佐倉井 鱓(ウツボ)
(*´︶`*)ノ🌸
彼岸花 佐倉井 鱓 @Tail_of_Moray
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