無実の罪で追放された底辺社畜オッサン教師、世界最高峰の魔法学園で大魔導士と慕われる〜迫害された問題児たちを導いたら懐かれたんだが〜
一森 一輝
オッサンと帝学院
第1話 学校を追放されるオッサン
朝の歯磨きでえずく日は、ツイてない。
だから今日は、何となく悪い日になりそうだ、というのは覚悟していた。
「ですので、クローリー先生は即刻荷物をまとめて、学校を辞めていただきたいんです」
「はい……?」
さっきまで若手の教師の栄転に沸いていた職員室は、今や水を打ったように静かだった。
俺、メイザス・クローリーは、厳しい顔をした校長に退職勧告を受けて、ポカンと目を丸くしていた。
「えっと、す、すいません。話の流れを少し聞き逃してしまったようで。もう一度、詳しい経緯をお聞かせ願えませんでしょうか……」
自分の机に置いてある小さなスタンドミラーには、痩せぎすの中年男が顔を青くしているのが映っている。
こんな大人にはなりたくない、と少年に指さされる覇気のない中年。その通りの姿をしているのがこの俺だと思うと、いつ見ても気が沈む。
「ですからね」
校長は、うんざりした様子でため息を落とし、こう続けた。
「今日栄転でこの学校を去るボルト先生が、とある女生徒の密告を受けたんですよ。つまり『クローリー先生に体を触られた』というね」
「は……?」
まったく心当たりがない。というか、そういうのは一番気にしているので、女生徒と二人っきりになるシチュエーションそのものが、この数年ほとんどないはずだ。
「あっ、ありえないです! 私から女子に近づくようなことはないように努めていますし、二人きりになる状況そのものも避けています!」
「ですが! 実際に証言が上がっているんですよ! ボルト先生が言っているんですよ!?」
ピシャリと言われて、俺はたじろぐ。
それから、証言をしたというボルトを見た。
ラミエル・ボルト。若手のホープ。エリート感のあるサラサラの金髪をもったイケメン教師だ。雷系統の詠唱魔法に長けていて、今日をもって都心部の学校に栄転する。
以前から、妙に俺を敵視する教師だった。理由は分からないが、度々俺を『無能』だの『太鼓持ちの風見鶏』だのとバカにしていたのを知っている。
そんなボルトだが、奴は俺をあざ笑うような目で見つめていた。
それに俺は、妙な思惑を感じて言葉を紡ぐ。
「ボルト先生、その証言は誰から受けたんですか? まさか」
嘘を吐いているわけではありませんよね、と続く言葉は、激しく反応したボルトによってかき消された。
「言うワケがないでしょう! 立場にものを言わせて女生徒をいやらしく触るような、グズで無能なあなたに女生徒の名を教えたら、報復に走りかねません!」
猛烈な勢いで言われて、俺はたじろぐ。
「い、いや、そもそもですね」
「というか、誰かを特定しようとするなんて、まさかあの子一人ではないんですか!? 私が知らないだけで、複数の女生徒にそういった真似を!?」
「ちっ、ちがっ! 私は本当に、心当たりがなくて」
周囲の雰囲気が、一気に劣勢に傾くのが分かった。今まで仲良くしていた先生たちも、揃って俺に冷たい視線を向けている。
「クローリー先生」
校長が、眉根を寄せて首を横に振る。
「今この場で荷物をまとめて出ていくのなら、自己都合退職という事で、大事にはしません。長年勤めた我が校でも、この状況ではもう難しいでしょう?」
いっそ親身になって諭すように、校長は言った。
俺はどうにか疑いを晴らす策はないかと考えたが、パニックになった頭では何も思いつかない。
ボルトを見る。ボルトは俺にだけわかるようにニヤニヤと笑い、俺の破滅を楽しんでいる。
若さ、人気、信用。俺の持ち合わせないすべてを持っている若者が、何故俺からすべてを奪うような真似をするのか。
怒りも湧くが、世の中は怒りに任せて動いても、そう上手く行かないことは分かっている。それは、前世から変わらない。
「……はい」
代わり俺を包んだのは絶望。俺は項垂れて、退職勧告を受け入れた。
追い出されて寒空を歩いていた俺は、不意に酒場を見つけて中に入った。
今日は中年でなくとも寒いらしくて、暖炉に火が灯っている。俺はほっと息を吐いて、カウンターに腰掛けた。
「ウィスキーをロックで」
「あいよ」
銅貨を出しながら注文し、ほっと一息つく。注がれたウィスキーをちびちび舐めていると、アルコールで少しずつ体が温かくなってくる。
「冒険者時代を思い出すな……」
当時はよく、こういう場所で飲んでいた。最近はほとんど来なかったが、注文の作法は体が覚えてくれていたようだ。
―――俺、メイザス・クローリーは転生者だ。
前世は日本人。過労で死に、この世界に転生した。
今世では、若い頃は魔法に明け暮れ、冒険者として色々と経験を積んだものだが……ああいった荒くれ生活は、肌に合わないと悟ったのは30過ぎの頃。
転身して街の魔法学校の教師を始めて、更に十年。出来上がったのは、寂しい中年男だったわけだ。
「……どうしたもんかな……」
カラン、と手元のコップの中で、氷が回る。
今や俺は、職も家も失った。あの魔法学校は教師寮があって、独身というのにも甘えてずっとそこで過ごしていたから、退職に合わせて引き払うこととなったのだ。
新年度が始まってまだ一週間も経たない、春先の寒い日だった。
去年ちょうど担任をしていたクラスが卒業したばかりで、今年は担当クラスもなく、ある意味では後腐れがなかったのだけが幸いだった。
酒が少しずつ回ってきて、やっと体が温まる。だが、酒場を出ればまた寒風が骨身に染みるのだろう。
……せっかく自由になったのだ。暖かい場所に移動するのも、いいかもしれない。
「はは……自由、ね……。今更、また冒険者に戻るつもりか? 俺は……」
カバンの奥に冒険者証が入っているはずだが、自信がない。紛失していたら、この年で最低ランクの鉄等級から出直しになるか。
そう考えると、ふつふつとやるせない怒りが湧いてくる。抑えきれなくて、「クソ……」と呟く。
すると、外でゴロゴロと嵐の気配がやってきて、俺は口をつぐんだ。
「うお、何だ。いきなり空模様が変わったな」
「マジかよ、雨が降る前にさっさと帰るか?」
客が口々に慌てだす。窓から時折、ピカッと雷の輝きが入ってくる。
一方俺は一人だけ、久しぶりの大失態に冷や汗をかいていた。
「……いや、違います。詠唱じゃないんで。気にしてないので、すいません、ホント」
俺が必死に誤魔化すと、嵐の気配が去った。
客が「お? 元の曇り空に戻ったな」「何だったんだ今の」とボヤく。俺の独り言を聞いて、バーのマスターが奇妙な目を俺に向けている。
「はぁああ……」
ひとまずのごまかしに成功した俺は、思わず重いため息を落としてしまう。得意の魔法ですらこの始末か、と。
思い返せば、上手く行かないことばかりの人生だった。
冒険者時代は魔法の訓練に没頭していて、本当に大切なものが分かっていなかった。得た力に驕って反感を買い、手元に残ったものは僅かばかりだった。
教師時代は、冒険者時代の反省を生かして、波風を立てないように振る舞った。上に逆らわず、無用な力は隠して過ごしてきたが、今度は無能扱いが遠因で、追放の始末だ。
何だこの人生。結局俺は、どうすればよかったんだ。
「転生してもうら寂しいオッサン、か……」
何だか涙のちょちょぎれるような気持になっていると、入り口の方で「ふぅー、今日は冷えますねぇ」と若い女性の声が聞こえた。
そういう客も来るんだな、なんて思いながら、俺は見もせず酒を舐める。
「長旅になっちゃいました。まだこの辺りに住んでると良いんですけど、クローリー先生」
「……ん?」
自分の名前が呼ばれた気がして、俺はぴくりと反応する。
けど、自意識過剰というものだろう。若い女性に訪ねられる覚えがないのだし、と俺は振り返らなかった。
が、そんな取り繕いは意味がないようだった。
何せ、近づいてきた女性が「あー!」と俺を指さし、声を上げたのだから。
「クローリー先生! クローリー先生じゃないですか!」
「っ!? えっ、な、何? 俺?」
「はい! メイザス・クローリー先生ですよね? 私のこと覚えてますか?」
そこに立っていたのは、茶色の髪を肩口まで伸ばした、眼鏡をかけた若い女性だった。
その姿に、俺は既視感を覚える。同時に、違和感を。
「ううん……。その、あと少し、あと少しなんだけど」
俺が唸っていると、女性は悪戯っぽく笑った。
「……ふふっ、これでどうですか?」
女性は眼鏡を上げる。すると眼鏡越しにはありふれた碧眼に見えた瞳が、虹色に変わった。
それで俺は、ハッキリと思い出す。
「ミディア? ミディアじゃないか!」
「はいっ、先生! 十年前に先生に魔法を教えてもらった、ミディアですっ」
若い女性―――ミディアは、ニコッと笑った。それに俺は、堪らなく懐かしくなる。
「そっか、あれから十年かぁ。俺も老けるわけだなぁ……」
ミディアは、俺が新米教師だった頃に受け持った生徒の一人だ。特別な才能があって色々と苦労していたから、できる範囲で世話をしていた。
俺が在籍していた魔法学校は、年齢的には中学生くらいを教えていたから、あれから十年となると……25歳か。成長したなぁ、と涙ぐんでしまう。
「あ、あれ? クローリー先生?」
戸惑いながら、ミディアは俺の隣に腰掛けた。俺は笑いながら取り繕う。
「はは、最近涙腺が弱くってね……。いやでも、立派になったものだよ。今は何を?」
「帝都の方で教師をしてます。クローリー先生の教えは今でも生きてますよ」
力こぶを作って言うミディアに「そっか……! 本当に立派になって」と滲んだ涙を拭う。追放されてから教師の醍醐味を味わうとは、人生分からないものだ。
……ん?
「……今一瞬聞き逃しそうになったけど、帝都の方って言った? 帝学院ってこと?」
「あ、はい。そうですね、あそこですよ」
「……すごいね……」
俺は静かに圧倒される。
帝学院。この国で一番の学校だ。世界最高峰とも名高い魔法学院でもある。
学生として合格するだけでもすごいのに、教師と来た。元々優秀なのは知っていたが……。
「アレ? でも、もう新学期だよね。帝都はここから遠いし、こんなところまで何を」
「そういえば、クローリー先生ってお酒を飲むイメージなかったですよね。どうして酒場に?」
「え? ああ、うん。ちょっとむしゃくしゃした気分でね」
俺が質問しきる前に質問をかぶせられてしまい、俺は受け答えに回る。
「むしゃくしゃした気分……? 珍しいですね。いつも穏やかなクローリー先生が」
「はは……。恥ずかしながら、学校を追い出されてしまってね」
「えっ!? な、何で? 何でクローリー先生ほどの人が?」
「……その、笑い話として受け取って欲しいんだけど」
どこまで話すか、という葛藤をしつつも、ミディアなら変な勘違いはしないでくれるだろう、と判断して、俺は全部話すことにした。
「その、冤罪なんだけどね。女生徒にその、よろしくない行為を働いた、という密告があったらしくて。……誰をどこまで疑ったものかは、分からないんだけどね」
「は?」
「っ?」
いきなりドスの利いた声が返ってきて、俺は慌てて隣を見る。
そこには、眉間にしわを寄せ、ミディアがとても怖い顔をしていた。
「クローリー先生がそんなことするワケなくないですか? 私があれだけアプローチしたのに全部躱した先生が」
「あ、う、うん。そう、なんだけどね。うん」
そういえば、昔はよく懐かれていて、色々と際どいこともされたなぁ、なんてことを思い出す。
「……でも、怒ってくれてありがとう。お礼じゃないけど、ここは奢らせてよ」
「えっ、いやでも、追い出されたってことは先生今お金に余裕がないんじゃ」
「立派になった生徒に、酒の一杯も奢れないほど落ちぶれたワケじゃないさ。何が飲みたい?」
「そうですか……? じゃ、じゃあ、ウィスキーのショットを一つ」
「強いねミディア……」
マスターに出されたショットグラスを、くいっ、と呷るミディアだ。俺もつられて、多めに飲んでしまう。
するとミディアは、小声で言った。
「……でも、かえって良いタイミングだったかもしれません。強制的に連れて行っても、後腐れがないってことですし」
「ミディア? ごめん、何て言ったの?」
「独り言ですっ。じゃあ、今日は嫌なことは飲んで忘れましょう!」
「……ははっ。ああ、そうしよう。カンパイ」
「カンパイ!」
ミディアがぐいぐい飲むから、俺も一緒にドンドンと飲んでしまう。
俺は酒の味が好きなタイプで度数の高い酒をよく飲むのだが、あまり酒に強いというわけではない。
だからミディアのハイペースについていけず、ベロベロに酔ってしまう。
「う、う~ん……。もう、降参……」
俺が突っ伏して、右も左も分からない状態になると、不意に隣から、こんな声が聞こえた。
「そもそも、先生ほどの人が、こんな辺境の魔法学校なんかで燻ってるのが間違いなんです。だから一緒に、相応しいところに行きましょうね」
俺は酔いつぶれていて、何も分からないままに意識を落とした。
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