第26話 相談の続き

 私がそう言って上野さんの頼みを断ると、彼女は少し残念そうな顔をした。


「……やっぱり、そうですよね」


 上野さんが小さな声で呟く。


「うん」


 私はそれに小さく頷いた後、彼女の頼みを断った理由を説明した。


「奥村さんは一週間も部屋に閉じ籠るくらい落ち込んでいるんでしょ? そこに赤の他人である私が、面白半分で介入するなんてこと、絶対にしてはいけないと思う。それに、私には奥村さんが抱えている問題を解決してあげられる能力なんてない。解決してあげられるのは、赤の他人である私じゃなくて、上野さんとか奥村さんの周りの人達だよ、きっと」


 私の説明を聞いた上野さんは暫くの間、俯いて黙り込んだ。


 だが、やがて私の意見を受け入れたのか、顔を上げて私の目を見て言った。


「杉浦さんの言う通りです。奥村さんを助けたいあまり、私は彼女の気持ちを考えられていませんでした。……変な相談を持ち掛けてごめんなさい、杉浦さん」


「いや、全然大丈夫だよ、私は」


 私は胸の前で小さく手を振りながら、別に迷惑だと思っていないと伝えた。

 

 上野さんは私の言葉を聞いて安心したのか、少し微笑んで小さく首を傾けた。


「では、私はこの辺で。お話を聞いてくださりありがとうございました」


 上野さんはそう言ってぺこりとお辞儀をした後、私達の右手側にある横断歩道の方へと向きを変えた。


「うん。またね、上野さん」


 私も立ち止まって彼女にお別れの挨拶をする。


「バイバイデース、ミス上野! 」


 夜輝も大きく腕を振りながら彼女へ言う。


 上野さんはこちらを振り返り私達に微笑みかけた後、車道を挟んだ反対側へと歩いて行った。


 私と夜輝は遠ざかっていく上野さんの後ろ姿を静かに見送った。


 上野さんがある程度進んだところで、私は再び自身の家の方向に向かって歩き出す。私が動き出したのを見て、夜輝も同じく歩き出した。


「……どうしてミス上野の相談を受けなかったデスカ、綾? 」


 唐突に、夜輝が質問を投げかけてきた。


 私は彼女の方を振り返りもせず、その質問に答える。


「どうしてって、さっき上野さんに言った通りだけど? 」


 私の言葉は確実に夜輝に聞こえていたはずだ。だが暫くの間、彼女から言葉が返ってくることはなかった。


 繁華街の歩道を無言で歩き続ける。


 後ろからは夜輝の足音が聞こえてくる。


 やがて、その足音が不意に聞こえなくなった。不思議に思った私は足を止めて後ろを振り返った。


 そこには笑みを浮かべながら私を見つめている夜輝がいた。


 少し間を置いた後、彼女は私に言った。


「綾、ちょっと付き合って欲しいデース! 」







「やはりミックのバーガーは最高デースネ! 」 


 真正面から夜輝の元気な声が聞こえてくる。


「あんた、太るわよ? 」


 私は呆れながら悪態をつく。すると、夜輝は元気な声でこう返した。


「大丈夫デース! 今日はハンバーガー一個で我慢するデスヨ! 」


 私達は今、学校から十分程歩いた所にあるファーストフード店にいる。


 そう、ここはミス研の四人で訪れたあの店だ。


 ミス研にとってすっかり馴染みの店となったこのファーストフード店は、主に話し合いや駄弁ることを目的として使われている。


 夕飯の時間にしては早過ぎる時刻のせいか、店内の半分程は空席となっていた。


 私は白色のテーブルに頬杖をつきながら、ぼーっと店内を眺め、手元にあるアイスウーロン茶が入ったカップを手に取った。


「で? 話って何? 」


 夜輝の方へと視線をやって彼女に尋ねる。


 すると、夜輝は「Oh! そうデシタ! 」と呟いてから、手に持っていたハンバーガーをトレイの上に置いた。


 そして、私のことを真っ直ぐと見据えながら、いつも通りの口調で言った。


「綾はミス上野の相談を受けた方がいいと思うデース! 」


「……はぁ」


 私は彼女の言葉を聞いた瞬間、自然と溜め息を漏らしてしまった。


 なんとなく予想はしていたが、やはりその話だったか。


 私はうんざりした顔をしながら、夜輝に向き直った。


「あのねぇ。さっきも言ったけど、私は力になんてなれない。奥村さんが何で悩んでいるかなんて私には見当もつかないし、もしわかってもそれを解決なんてしてあげられない。それに……」


 私は少し間を置いた後、言葉を続けた。


「奥村さんも、赤の他人である私の助けなんて求めてないよ」


「そんなのわかんないデース。ミス奥村が助けを求めてないってなんでわかるデースカ? 」


 夜輝のその言葉を聞いた瞬間、私は彼女に対して少し怒りを覚えた。


 そうか。


 夜輝には落ち込んでいる人間の気持ちがわからないのか。


 そういえば、この子は私と真反対の人間だった。


 悩みなんかないような、根明な人間だった。


 最近、ずっと一緒にいたせいか忘れていた。


「……あんたにはわからないかもしれないけど、他人がズケズケと心の中に踏み入ってくるのって、凄く嫌なことなんだよ。あんたが言ってるのはそういうこと。もし、私が面白半分で介入して、奥村さんが更に傷ついちゃったらどうするの? 奥村さんがどれくらい思い詰めてるかはわからないけど、最悪自ら命を絶つことだってあり得るんだよ? ……あんた、そういうこと考えてる? 」


「……」


 私の言葉を聞いた後も、夜輝は黙ったままであった。


 私の説明に納得したのか、それとも納得出来ずにどう反論しようと考えているのか。


 どちらにせよ、沈黙が暫く続いた。


「……この相談を受けないと、綾は後悔するかもしれないデスヨ」


 思いの外、沈黙は早く破られた。


 夜輝は、私の予想を大きく外れた文言を口にした。


「私が……後悔? どういうことよ? 」


 夜輝が発した言葉の意味が理解出来ず、思わず聞き返してしまう。


「助けられたかもしれないのに、何もしなかった時が一番後悔するデース。綾にはミス奥村を救う能力があるのに、それを使わないのは宝の持ち腐れデース」


「だから、私にはそんな力無いんだって」


「ワターシはそうは思わないデース」


 夜輝は、いつものように明るい口調で、だがいつもよりも力強くそう言い切った。


 彼女の言葉に、今度は私が黙り込んでしまう。


 呆気に取られている私を他所に、夜輝はその考えの根拠を示す。


「綾には、ミス奥村の悩みが何かを推理する能力も、それを解決してあげられる能力もあると思うデース。お釣りの謎を解く推理力も、ミス研を創る行動力も、普通の人が持ってるものじゃないと思ったデース」


「……そんなことないから」


 夜輝から視線を外し、俯きながら言う。


 私は彼女の言葉を強く否定できなかった。


 何故なら、探偵に憧れている私は、自らの推理力と行動力にとても期待していたから。


 探偵にとって重要となる、この二つの能力。


 私はこれらが秀でていて欲しいと願っていたし、実際に人よりも秀でていると心のどこかで思っていた。

 

 そして今、友人から実際にその二つの能力を評価された。


 この状況じゃなければ手放しに喜んでいたかもしれない。


 でも、今はそうすることができない。


「私が他の人より秀でてることなんてないから。私より頭いい人なんて山ほどいる。奥村さんの周りにも。その人達が奥村さんを助けるべきでしょ? 」


「そんな人いないデース。ミス奥村の周りの人達は、彼女が何で悩んでいるかすらわかっていないデスヨ。ミス奥村の親も、担任の先生も、ミス上野も。誰も助けになんてなれてないデース」


「だとしても……例え、私が周りの人より優れていたとしても……奥村さんは、知り合いでもない私の助けなんて求めてないでしょ」


「人は、親しい人ばかりを頼って生きてるわけじゃないデスヨ。赤の他人が希望を与えてくれることもあるデース」


 再び、沈黙が訪れた。


 何か、反論の言葉を口にしようと思ったが、それらしいものを思い浮かべることができなかった。


「綾がミス奥村を助けようとしないのは、今以上に彼女を傷つけたくないからデスカ? 」


 沈黙は、再び夜輝によって破られた。


 彼女は少し間を置いてから、こう続けた。


「それとも……自分の"青春"を壊したくないから? 」


「……えっ? 」


 何故か。

 

 何故か、夜輝の言葉に私は酷く動揺してしまった。


 ……いいや、何故かではない。


 理由は自分でもよくわかっていた。


 夜輝の発言が、私の心の奥底を言い当てていたからだ。


 もちろん、奥村さんを傷つけたくないという気持ちもある。


 でも、それと同じか……若しくはそれ以上に。


 私は、自分が悪者になるのが恐い。


 もし、私が下手に手を出して、奥村さんが学校を辞めてしまったりでもしたら……。


 命を絶ってしまったりでもしたら……。


 私はもう、輝かしい学生生活を送ることができなくなるだろう。


 他人の人生を大きく変えてしまうのだ。


 下手をすれば、この悪評は一生私の後ろをついて回るだろう。

 

 きっと周りの人達の、私を見る目は変わる。


 そして何より、私が私を許せなくなってしまう。


「……そんなに奥村さんのことを助けたいなら、あんたがやればいいでしょ? 」


 私はなんとか言葉を振り絞った。


「私に綾みたいな優れた能力はない。これは綾にしかできないことだよ」


 夜輝が言う。


 いつもの片言な日本語ではなかった。


「……なんで。私には関係ないじゃん」


 私は俯きながらそう呟いた。


 そんな私を見た夜輝は、またいつもの明るい口調で言った。


「まぁ、受けるか受けないかは綾が自分で決めるデース! もし受けるのなら、その時はワターシも協力するデスヨ! 」

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