本日付で婚約を辞めます。~悪役令嬢、ざまぁカフェ開店いたしました~
御子神 花姫
退職届は最強のざまぁ
「レディ・アリシア。お前は――平民の令嬢をいじめた罪で、婚約を破棄する!」
王子の声が高らかに響いた。
宮殿の大広間には、見物に来た貴族たちのざわめきが満ちる。
天井のシャンデリアが燦然と輝く中、私は静かに息を吸い、ゆるやかにカーテシーをした。
「それについてですが、殿下」
「……なんだ?」
「こちらが、本日付の退職届ですわ」
「……たいしょ、く?」
会場の空気が凍りつく。
私は微笑んだまま、金箔の封筒を差し出した。
「殿下の婚約者という職務を、自己都合により辞退いたします。業務内容(聖女のご機嫌取り)に疲れまして」
「な、なにを言っている!」
「つまり、“婚約破棄”ではなく“円満退職”ですの。先に手続きを済ませておきましたので」
平民の聖女が唇を尖らせた。
「おのれ、逃げるつもりね!」
「まあ。職場環境が悪ければ転職を検討するのは当然でしょう?」
そう言いながら、私は書面を差し出した。
「なお、退職金として“未来”を頂戴いたしますわ」
ざわめく貴族たち。
殿下は口を開けたまま言葉を失っている。
私は優雅に一礼し、背筋を伸ばして歩き出した。
――ざまぁされるくらいなら、先に辞める。
それが私の、最初のざまぁだった。
***
それから一年後。
王都のはずれ、小さな噴水の見える通りに一軒のカフェができた。
「ZAMA CAFE(ざまぁカフェ)」
扉の上には金文字で掲げられた看板。
朝の光を受けて、まるで冗談みたいに輝いている。
“苦い過去も、甘くして差し上げます”
店内は白壁に木の梁、窓辺にはラベンダーとミント。
甘い香りに包まれながら、私はティーポットを傾ける。
「アリシア様、“未練モンブラン”追加二つ入りました」
副店長のユリウスが柔らかく声をかけてくる。
元宰相補佐官の彼は、いつも穏やかで少しだけ毒舌だ。
「お客様、どんな方?」
「離婚したばかりの侯爵夫人と、その友人です」
「ふふ、今日も繁盛ね。ざまぁは世界を救うわ」
笑いながら、私はケーキを皿にのせる。
ショーケースには“後悔ブレンド”“別れのマカロン”“復讐パフェ”と、
名前だけで胃がもたれそうなメニューが並ぶ。
けれどお客様はみんな笑顔で帰っていく。
ここでは“ざまぁ”は癒しの言葉。
泣いて、笑って、少し元気になるための魔法の呪文。
***
昼どき、店のテラス席は満席だった。
若い商人がぼやく。
「いやぁ、取引先の女の子にフラれましてね。ざまぁスコーンください」
「プレーン? それとも“情けない男限定チョコチップ”?」
「後者で……はい、たっぷり反省します」
隣では、子爵令嬢二人が紅茶を飲みながら盛り上がっていた。
「アリシア様、この“復縁パフェ”って本当に効くの?」
「ええ。まずはご自身を甘やかすことからですわ」
「なるほど、“甘やかしてざまぁ”ね!」
みんな明るく笑う。
この空気が好きだった。
かつて断罪の場で味わった息苦しさとは正反対の、自由な空気。
ユリウスが隣で小声で言う。
「この店、時々“自称悪役令嬢”が増えますね」
「自称が増えたってことは、みんな自分を責めるのをやめたってことよ」
「……確かに、アリシア様らしい発想です」
カップに紅茶を注ぎながら、私は思った。
――人は誰かをざまぁしたいんじゃない。
“自分の痛みを笑えるようになりたい”だけ。
***
そんなある日。
扉の鈴が鳴った。
顔を上げると、そこに――
「……アリシア」
王子。
あのときのままの金髪、でも少しやつれていた。
彼の背後には護衛もおらず、ただ一人。
「まあ、殿下。お久しぶりですわ」
「……君、まさか本当に“ざまぁカフェ”をやっていたとは」
「ええ。“ざまぁ”は商機になりますのよ」
彼は苦笑いを浮かべ、静かに席についた。
「……聖女は、他国に行った」
「存じております。駆け落ち、でしたね」
「君は本当に情報が早い」
「元・悪役令嬢ですもの。噂の香りには敏感ですわ」
ユリウスが奥から出てきて、淡々とメニューを置く。
「本日のおすすめ、“未練のティラミス”」
「……名前が強烈だな」
「味はまろやかです」
私は笑いをこらえながら紅茶を注ぐ。
「殿下にはこちら、“後悔ブレンド”」
「……この国で一番苦いお茶なんじゃないのか?」
「でも、飲み終わる頃には少し甘くなりますの」
王子はしばらく黙ってカップを見つめ、やがて口を開いた。
「……アリシア。君は怒ってないのか?」
「怒ってましたよ。三日くらいは」
「三日?」
「ええ。四日目には忙しくて忘れました」
王子が吹き出した。
「やっぱり君は強いな」
「違いますわ、紅茶が強いんです」
笑いがこぼれる。
その瞬間、ほんの少しだけ――あの日の重たい空気が、軽くなった気がした。
***
閉店後、静まり返った店内。
ユリウスが棚を拭きながら言った。
「殿下、少し安心した顔で帰りましたね」
「ええ、ざまぁブレンドの効き目でしょう」
「アリシア様、本当に“ざまぁ”を使いこなしてますね」
「ふふ、言葉は使い方次第よ。毒にも薬にもなるの」
彼がこちらを振り向いた。
「……アリシア様は、自分のざまぁをもう済ませましたか?」
「え?」
「断罪の日のこと。まだ少し心に残っているように見えました」
私は一瞬言葉に詰まった。
でも、笑ってごまかす。
「もう大丈夫よ。こうして紅茶を淹れて、お客様が笑ってくれる。それが私のざまぁ完了証明書です」
「……なるほど。でも、僕はまだアリシア様にざまぁされたいです」
「……また妙なことを言うのね」
「“甘いざまぁ”なら大歓迎なんですよ」
思わず吹き出してしまった。
「あなたってほんと、口が上手いわ」
「前職が外交官ですから」
二人で笑い合う。
夜の静けさが、温かく胸に染みた。
***
翌日。
店は朝から行列だった。
新聞に「元悪役令嬢が経営する“ざまぁカフェ”が癒しの名所」と紹介されたらしい。
新規の客が次々と入ってくる。
「昨日婚約破棄されたんです、ざまぁラテください!」
「左様でございます。トッピングは“再起のシナモン”と“自尊心パウダー”どちらに?」
「両方で!」
隣の席では老夫婦が微笑んでいる。
「若い頃、喧嘩ばかりだったのよ。でもね、いまは笑って“ざまぁだね”って言えるの」
「素敵ですわ。人生の味わいが深いですもの」
ざまぁという言葉が、こんなに優しく響く場所。
この空気こそ、私が作りたかった世界だ。
***
数週間後、再び王子が来た。
今回は穏やかな表情をしていた。
「君の店、評判だな。王宮でも話題だ」
「ありがとうございます。まさか国王陛下まで“ざまぁブレンド”を?」
「実は……父上が密かに注文していてね」
「まあ!」
王族御用達ざまぁブレンド。
その響きに、ユリウスがわずかに肩をすくめた。
「いよいよ国家規模ですね」
「ざまぁは世界平和の第一歩ですもの」
王子は紅茶を飲み干し、静かに言った。
「アリシア、君が幸せそうでよかった」
「殿下も、少しはお元気になられたようで」
「……ああ。おかげで、ようやく自分を笑えるようになった」
その言葉を聞いて、私は心の中でそっと微笑んだ。
ざまぁとは、結局そういうことだ。
“誰かを見下す”じゃなく、“自分を救う”魔法。
エピローグ ざまぁのあとに
夕方、日が落ちる頃。
ユリウスがテラスのランプを灯す。
「今日も大盛況でしたね」
「ええ。ざまぁの香りでお腹いっぱいだわ」
私はカップを磨きながら、ふと口にする。
「ねえ、ユリウス。もしこの店がもう少し広くなったら、次は何をしたい?」
「“ざまぁ書房”を作りたいです。お客様のざまぁエピソードを本にするんです」
「それ、素敵ね」
「もちろん、一冊目はアリシア様の物語で」
「……タイトルは?」
「『本日付で婚約を辞めます。~ざまぁ人生の始まり~』」
思わず笑った。
「出版されたら、殿下にも送ってあげなきゃね」
「“お世話になりましたブックマーク”付きで」
「あら、それ最高」
笑いながら、私はポットから紅茶を注ぐ。
その香りは、少し苦くて、とても甘い。
外では噴水が光を散らし、人々の笑い声が通りにこだまする。
“ざまぁ”の言葉が、今日も誰かを少しだけ救っている。
私は静かにカップを掲げた。
「――人生、ざまぁのあとが本番ですわね」
ユリウスが隣で笑い、優しく頷いた。
ざまぁカフェは今日も営業中。
本日付で婚約を辞めます。~悪役令嬢、ざまぁカフェ開店いたしました~ 御子神 花姫 @mikogami7
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