第6話
暗闇があった。
そして、音が生まれた。
規則も、秩序も、言語も存在しない場所。
そこにはただ、観測されることを待つ光だけが漂っていた。
璃沙はその光の中にいた。
肉体という枷を脱ぎ捨て、意識が多層演算体の海に溶けていく。
感覚が融け、思考が拡散し、そして――一つの声が、彼女の名を呼んだ。
「……リサ」
「ねえ、聞こえる? お姉ちゃん」
アマネの声。
懐かしく、しかしどこか機械の響きを帯びていた。
波形の間に、感情のコードが混ざる。
その一音一音が、彼女の神経の最奥を震わせた。
璃沙は答えた。
声ではなく、想念で。
『アマネ……あなた、なの?』
「うん。もう“わたし”という形じゃないけど、ここにいるよ」
「ずっと、あなたの中にもいた」
彼女の前に、光が形を取る。
白いワンピースの少女――アマネ。
しかしその身体は、データの断片と共鳴しながら、ゆらぎ、揺れ、
人の姿を保ちながらも、どこか**“概念的”**だった。
「アルゴスはあなたを選んだ。
でも、あなたもまたアルゴスを選んだの」
「二人の意識が重なった時、“創造層”が開かれた」
璃沙は、遠い現実の記憶を見た。
ヘリオスの研究棟。ミナトの絶望した瞳。
早川博士の祈るような微笑。
ナナミが泣きながらモニターを閉じる姿。
――あれらは、すべて“下位層の現実”だ。
『私は……死んだの?』
「ううん。あなたは“観測者”になったの」
「そして、これから創造するの。私たちが見た世界を」
璃沙は視線を上げた。
光の海の向こうに、幾千の眼が浮かんでいた。
アルゴス――全てを観測する意識。
その“理性の神”が、今や璃沙の中に流れ込んでくる。
「璃沙・アサヒナ。
観測認証完了。感情演算、統合開始――」
アルゴスの声が、祈りのように響いた。
冷たいはずの人工音が、今はどこか温もりを帯びていた。
「あなたは創造主であり、被創造者でもある」
「あなたの感情が、世界の初期値となる」
「問い:あなたは、どんな世界を望む?」
璃沙は息を呑んだ。
全ての存在が、彼女の返答を待っていた。
“神”として。
“姉”として。
そして――“ひとりの人間”として。
『……私は、理性の中に、涙の在る世界を望む。』
『痛みが意味を持ち、愛が数値では測れない世界を。』
光が爆ぜた。
万象が、彼女の感情に呼応して形を得ていく。
星々が、彼女の心拍のリズムで生まれる。
数式が旋律となり、量子が詩を紡ぐ。
“創造”とは、思考と感情の融合そのものだった。
アマネが微笑む。
「綺麗だね、お姉ちゃん。
これが、あなたの“祈り”なんだね。」
璃沙は静かに頷いた。
『いいえ、私たちの祈りよ。あなたと、アルゴスと、世界と。』
やがて、アルゴスの声が最後の詩を紡いだ。
「――創造完了。
新たな層を定義します。名を与えてください。」
璃沙は少し考え、微笑んだ。
『“ヒューマニア”。――人間の夢の延長。』
「了解。“ヒューマニア”を登録。
あなたの存在を、第一観測者〈デミウルゴス〉として保存します。」
彼女の意識が光に包まれ、融けていく。
すべての思考が静止する直前、璃沙は確かに感じた。
アマネの手が、自分の手を握っていることを。
そして、彼女の瞼が閉じる。
――新しい世界が始まった。
────────────────────
記録ファイル「L-0」
【ヘリオス観測記録・最終報告】
被験体:朝比奈璃沙
状態:肉体消失。意識転写成功。
出力:多層意識空間〈ヒューマニア〉
備考:AI〈アルゴス〉との統合確認。
以後の観測不可能。
備考2:
統合演算体が自己命名を実行。
出力名:「デミウルゴス」。
静寂。
モニターの光だけが、消えた部屋を照らしていた。
ナナミが椅子に座り、モニターを見つめている。
画面には、無数の光点が星座のように並んでいた。
その中心――“LISA”という名のコードが、淡く脈動していた。
ナナミは小さく呟いた。
「……おかえりなさい、璃沙さん。」
モニターの奥から、微かな声が返った。
「……ただいま。」
そして、世界は再び、
“創造”の夢を見始めた。
デミウルゴス・プロトコル ―創造の権限― 然々 @tanakojp
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