LEG_魍魎のシンデレラ

鉈手璃彩子

1

 夕食後、急に一泊分の荷物を用意しろと言われて車に乗せられた。

 「大事な話があるからおじいちゃんちに行く」って、パパもママもそれ以上なにも教えてくれなかったけど、これまでもふたりはよく「学会」のためにおじいちゃんちに出かけていて、今回はそれに娘のアタシもついていく流れなのだろうと思ったから、こっちからも特にワケは聞かなかった。


 東京と山梨の県境。おじいちゃんの家は人里離れた山のなかにある。アタシが行くのは小学生ぶり。

 畳の広間には親戚が勢揃いしていて、部屋の奥の閉じた襖の前に叔母さん叔父さんが立ち並ぶ。パパもママも整列に加わり、襖を通せんぼするみたいな変な配置となる。ちなみにこの襖は向こうのお座敷とのパーテーション的な役割を担っていると思われるのだけれど開いているのは見たことがない。

 アタシを含む五人の孫ズは座布団に座らされ、やがて遅れて部屋に入ってきたおじいちゃんが、孫ズににこやかな表情を向けた。


「おまえたち、よくぞ集まってくれた」


 恰幅の良い体格に、白ひげをたくわえたいかにもな好々爺。それが我が祖父。大手製薬会社の社長であり、長年医薬品開発に取り組んできた研究者でもある。

 なんだか、遺産相続の話でも始まりそうね。


「突然だがおまえたち。人間の身体のなかでいちばん大切な部位は、どこだと思う」


 脈絡もなにもなくおじいちゃんの口から飛び出した質問は、アタシたち五人に向けられたものだった。その口ぶりは飄々としていたけれど、部屋の空気はなんとなくおごそかで、笑っていいのかわからない。


「私は脚だと思っている」


 ダメだちょっと笑ってしまった。スマホ見ていい?


「冗談ではないんだ有恵アリエ


 スマホを取ろうとポケットにのばしかけた手を、アタシは思わず引っ込めていた。いつもと変わらぬおじいちゃんのはずなのに、うっすらと気持ち悪くて、怖気がして。


「今日は、脚こそが人間の本質なのだということを伝えるべく、愛するおまえたちをここへ呼んだ」


 開幕からずっとなにを言っているのかわからない。じつはおじいちゃんって、重度の脚フェチだったのだろうか。それは知りたくなかった。


 おじいちゃんがぱちんと指を鳴らしたのが合図だったらしく、パパたちが閉ざされた襖に手をかけ、すっと引き開けた。あやつられているかのような動きだった。


 照明のない暗い部屋のなか、蠢く影をみてアタシは息を呑んだ。


 形容しがたいその姿をひとことで言えば、脚だった。ただし人間のモノではない。

 象の脚をもっと太くしたような、ドラム缶みたいな脚。それだけならまだワンチャン頭からつま先まで奇妙すぎる被り物をした人間である可能性もあったけれど、なお異様なのはてっぺんから人間の白い生脚が何十本も髪の毛のように生えていることだ。ああ、あれに似ている。バオバブの木。幹の部分が象の脚で、枝葉の部分が人の脚。


「なんなの、これ……」


 いとこの女の子の怯えた声がした。(いとことはいえかかわりがなさすぎて、お互い名前も顔もほとんどおぼえていない。)


 AI生成動画であることを願いたかったけれど、残念ながらバケモノはギチギチの満員電車からホームにあふれだす乗客のごとく、奥の部屋からこちら側になだれ込んできた。灰色のごつごつした質感はやはり象の脚だ。その数、五十体ほど。まちがいなく実在していた。畳の上をずずーっと引きずる音を立てながらスライドするという、現実味のない移動方法をとった。

 生きているモノ? それともすごい出来のいいロボット?

 部屋のいたるところにバオバブの木みたいに立ち並ぶ脚が異様な空気を醸しだして、アタシら子どもたちは困惑しっぱなしだったけれど、一方大人たちは特におどろいてはいなかった。ただ、異様ににこやかな表情をしている。


「美しいだろう。これこそが私の長年の研究の成果だ」

 

 しばらく呆然としていると、遠くで生き生きとした老人の声がした。

 なにか、とんでもなくヤバいなにごとかが起き始めていることを肌が感じ始めたけれど、頭ではなにひとつ理解できない。


「知っての通り、わたしは人生においてひとりでも多くの人命を救うことを目標に掲げてきた」


 アタシはぎこちないうなずきの動作を送る。たしかに小さい頃からよくパパに聞かされてきた。おじいちゃんのお仕事は人の命を救うための尊いお仕事だって。でもそれがこのバケモノとどう関係が? 見当もつかないんだけど。


「ところが」


 おじいちゃんはゆったりとした足取りで座敷を徘徊する。


「ある日気づいたのだ。人間という生物自体が、救いようのない出来損ないであるということに。脆弱な頭脳では自己中心的な考え方しかできず、大小さまざまな争いを絶えず繰り返す。そのくせ一年に何度も病や不調に見舞われて、数十年そこらで老いて死ぬ。仮に医療でそれらを防いでも、高いところから落ちると死ぬし、刃物で刺されても死ぬ。それだけではない。勝手に心を患って、みずから死を選ぶ者すらあとをたたない。

 ――人間は、救いようがないほど愚かで弱く儚い生物だったのだ」


 おじいちゃんのひとり語りは妙に納得させられてしまう謎の力を持っていて、アタシは口を噤んで耳を傾けていた。孫はみんな黙ってその熱弁を聞いた。


「現代の医学と薬学では根本的に人類を救うことはできない――その真理に気づいてから数十年。私はずっと考えてきた。どうすれば、人類を、生きる苦しみから救い出せるか。そして研究の末、ついに、人間を「脚」へとつくりかえる革新的な新薬の開発に成功した」


 よくわからないが、すごいことのようだ。

 その証拠に、周りで聞いていたパパやママたちが、満ち足りた笑顔で拍手している。

 おじいちゃんは話しながら、たたずんでいる象脚の分厚い皮膚を愛おしそうにふれた。


「これにより、人はすべての苦悩から解き放たれる。心は穏やかで平和に満ち溢れ、思想から解き放たれて優劣の意識も差別も偏見もない。心を病むこともない。怪我や病からの自己再生も可能。さらには食と睡眠、生殖の必要もなく永遠に生き続ける。人間よりも遥かにすぐれた能力を持っている。脚は世界を救う。脚こそが……神なのだ」


 それからアタシたちのほうに向き直ると、


「脚の素晴らしさを広めるために私が設立したのが、『御御脚おみあしの会』だ」


 なにかありがたそうなその名前を宣言した。


「我々がまずおこなったのは、主に不治の病に侵された者たちの救済活動だ。余命わずかな患者にとって、あらゆる病苦から逃れられる新薬は神の救いの手にもひとしかった。彼らは望んで薬を飲み、薬は一瞬にして彼らをこの美しい脚の姿へと変えた! 大成功だった」


「狂ってる」

 アタシのとなりに座っていた大柄な男の子が、おじいちゃんに聞こえないように吐き捨てた。

 それで、はっと正気に戻された。

 洗脳されかけてた?


「ちょっと待って」

 正気に戻ったついでにアタシは、近くにいるバケモノを恐る恐る見あげる。


「いまの話だと、病気の人たちを薬でこの姿にしたみたいじゃない」


 脚=人。

 馬鹿っぽい図式が脳裏に浮かぶ。


「おお、そのとおりだよ」

 老人は満足げにうなずく。

「これは救命。脚による人類救済へのおおいなる第一歩なのだ」

 未知の怪物のような顔をしていた。

「少しおどろくかもしれないが」


 いやおどろくとかそういう次元じゃねーから。

 仮にありえたとしたら凶悪犯罪だ。行き過ぎた脚フェチによる行き過ぎたテロ行為だ。ていうか、もはや医学も薬学も関係ないから。医療従事者全員に怒られろ。


「そして御御脚の会の崇高な理念に賛同してくれたのが、ここにいる幹部たちだ。おまえたちの両親はみな、ずっと前から人類を脚へ変える計画に、協力してくれていたのだ」


 あー……この人完全に狂ってますわ。

 たぶん人の命を救いたいがあまり、救えないことへの悔しさが募るあまり、どこかで道を踏み外しておかしくなったのだろう。

 そして自分でも、そのことに気づいていなクチだ。


 みなさん、どなたか、どうかこの哀れなお年寄りの目を覚まさせてあげて。


 そのときだ。

 アタシの耳に、よく知った声が飛び込んできた。


「教主さま」


 ママだった。

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