神楽ていの(非)日常
@metako
第1話
朝の陽穏高校は、いつも通りざわめいていた。
生徒たちの笑い声、靴音、校門前での立ち話―どこにでもある穏やかな風景。
だがその中で”神楽てい”だけは、ひとり異質だった。
紫色の長い髪を赤いリボンでまとめ、淡い色のカーディガンを羽織った姿。
その落ち着いた紫の眼の眼差しと、少し背筋の伸びた立ち方が、
まるで周囲の喧騒をひとつ上の視点から見つめているように見えた。
ていは校門をくぐる前に、ふと立ち止まった。
視線の先、通学路の向こうの暗い路地裏。
黒いセーラー服を着た少女が、静かにこちらを見ていた。
「…」
ていの通う陽穏高校ではない、むしろ対照的な真っ黒なセーラー服は
黒く、光を反射し、不気味さを目立たせていた。
セーラー服の少女の金髪が風に揺れる。その手には、古めかしい刀の柄。
だが通りすがる生徒たちは、誰一人として彼女の存在に気づかない。
ていが何か声をかけようと近づこうとしたが
「神楽先輩!なに立ち止まってるんすか!!」
ていの後輩、月島ほのかが声をかけてきた。
柔らかい栗色の髪、屈託のない笑顔。
後輩としても人気の高い、誰もが“いい子”と認める少女だ。
「…何でもない。」
「神楽先輩ってたまにぼーっとしてるっすよねwそんなんだから
学校でも浮いてるんすよwあ、放課後なんすけど…また絵の描き方を
教えてほしいっす!」
ほのかは最近美術部に入部したばかりだ。美術部部長でもあり
先輩でもあるていによく絡むようになっていた。
「…ああ。かまわない。美術室で待っている。」
「あざっす!!放課後よろしくっす!じゃ!」
ほのかは手を振り、友人の元へと走り去り、ざわめきの中に消えていった。
ていが再び路地裏に目をやると…
セーラー服の少女は消えていた。
神楽ていはクラス内で浮いた存在であり、
まるで彼女だけがクラスにいないようなそんな様相すら見せていた。
しかしそれすらも神楽ていの中では日常であり、
彼女は一人、席に座り、本を読みふけっていた。
「よう。相変わらず本ばかり読んでいるな。…なんてタイトルだ?」
ただ一人、ていに積極的に絡むクラスメイトがいた。
ていの親友、高塚かなが彼女に声をかけたのだ。
茶髪を二つで結った髪形に元気な表情。口調は少し強めで、
よく言えば姉御肌、悪く言えばお節介焼き。
神楽ていはけげんな顔をしつつも、本を閉じ、高塚かなへと視線を移す。
「ああ、高塚か…なんだっていいだろう?図書室で面白い本を見つけたのだ。
”異界からの呼び声”という本だ。実に興味深いとは思わないか?」
「お前なぁ…そういう態度だから友達出来ないんだぞ?」
「…高塚には関係ないだろう。」
この二人は親友―とはいえ、ていの冷静沈着な性格と、
かなの直情的な性格はまるで正反対だった。
「昨日の部活でさ、また新しいスイーツ作ったんだ。試作品だけど」
「…またか? 先週も食べたが、あれは大した味じゃなかったな」
「そりゃていの舌が肥えてるんだって! こっちは必死なんだよ!」
「…しかし高塚の新作か。高塚のお菓子作りの才能は本物だ
今回も期待が持てるよ」
「そうか?ありがとな。じゃあ試作じゃなくて完成したら今度持っていくよ」
「ああ、期待して待っている。」
しかし、神楽ていは高塚かなを悪く思ってはいない。
それは態度に現れている。事実、神楽ていはほかの生徒には
冷たくあしらうこともある。だが高塚のことは特別だった。
そんな会話を交わしながら、ていは内心でふっと微笑んだ。
こうしたやりとり―
普通の高校生としての時間こそ、彼女が何よりも望んでいるものだ。
放課後。美術室にて
ていは淡々とキャンバスに向かい、絵の具のにおい、
筆の感触、そして静寂に包まれ、心穏やかに過ごしていた。
美術部は毎日の参加、非参加を問わないので日々の部員の数はまばらで、
特に今日は最近入部したばかりの後輩、ほのかと2人きりだった。
「あー…ここの描き方がよくわかんないんすよねー…
神楽先輩、わかります?」
ほのかは慣れない手つきで筆と絵具を持ち、水彩画に挑戦しているが、
その絵は上手、とは言えないような出来だった。
まるでペンキをぶちまけたかのような、何を描いているかも
はっきりとしない絵だ。
「芸術に正解はない。好きに描くといい。私は君の…直感的な絵は好きだ」
「え?そうすか?えへへ…ちょっとうれしいっす」
しかしていはそれを否定しようとしない。むしろほのかの人柄がよく
表されている、と評価していた。純粋でまっすぐな絵を。
ていは絵を描くことも、他人が描くのを見るのも好きだ。
彼女の日常は、そんな絵を描きながら部員と交流することだ。
ていもそんな穏やかな日常が続くことを望んでいる。
だが、平穏には必ず影が差す。
「そういえば…神楽先輩知ってます?”切り裂き魔”の噂…」
ほのかが急に真剣な面持ちで口を開く。ていは知らないといった表情で
「なんだそれは?物騒だな」
と聞き返す。ほのかは待ってましたとばかりに、話を続ける。
「えー!!神楽先輩知らないんすか!!この辺で刃物を持って
人を襲うっていう危ない奴の事っすよー!!しかも噂だと
おっさんとかじゃなくて、”少女”の姿をしているらしいっすよー!!
まじこわいっす…!!」
「ふ~ん…」
「ふ~んって…神楽先輩まじ絵を描くこと以外興味ないっすね…」
ほのかが絵を描く手を止め、ていに熱弁するが、
ていは対照的に、絵を描き続ける。まるで切り裂き魔の
正体が誰だか知っている、そんな風に…
夕暮れの中、下校のチャイムが鳴る。下校時刻まで
残っている生徒と言うのは多くはない。
「あ、もうこんな時間っすね。神楽先輩帰りましょ?」
「ああ」
ていとほのかは部活動を切り上げ、作品を片付け帰路につく。
放課後の校門を出ると、街全体がゆるやかと、朱に、溶けていく。
沈む陽がビルの隙間に沈みかけ、長く伸びた影が歩道を染めていた。
「それで神楽先輩…あ!あっちに新しいお店できたんすよー!
ほら!あれっす!先輩見ないんすかー!!」
などとほのかが他愛もない会話をしていると
ふと、ていの足が止まる。
背筋を伝う、わずかな異音―金属が風を切るような音。
夕焼けに照らされる歩道の先、誰かが立っていた。
黒いセーラー服。なびく金髪。
それはていが朝に見た、不気味な少女。
そしてその手に、細長い影が見える―それは刀の形をしていた。
「あ、あれってまさか…!?”切り裂き魔”!?」
ほのかの顔が青ざめていく。
ていの胸の奥がわずかにざわめく。
だが口調は変わらず、静かに落ち着いていた。
「…そうか。そう、なのだな…」
ていがつぶやくと黒いセーラー服の少女が
その手を、ゆっくりと刀の柄に触れた。
瞬間、黒いセーラー服の少女がていに近づき…!
黒いセーラー服の少女が刀を抜く。
金属のはじける音が響く。キィンと震える
黒いセーラー服の少女が抜いた刀。そして…
ほのかの握る、鋭く光るナイフ―!!
それは明らかにていの脇腹をめがけ、貫こうととしていた。
黒いセーラー服の少女はていを守ったのだ。
「…あーあ。あと一歩だったのになぁ…そいつ、先輩の付き人っすか?
物騒なもんもってますねぇ」
ほのかが、ナイフを慣れた手つきでくるくるとまわし、ていに向き直る。
その顔は…狂気に染まっていた。呆れたような、残念そうな、
それでいて少し…うれしそうな表情だった。
「…やはり君が”切り裂き魔”か…」
「そうっすよ?世間ではそう呼ばれてるみたいっすね。あたしとしては
ただ…”人間”じゃないやつを切り裂いてるだけっすけどねぇ!」
けらけらとほのかが笑う。それは…狂気に満ちていた。
「…なぜ、私を狙う?」
ていが少しだけ、寂しそうな声色でうかがう。
対照的にほのかは嬉しそうに、狂ったように笑う。
夕暮れも濃くなる中、ほのかの影も濃くそまっていく。
「なんで?んなことどうだっていいでしょ?ただあたしは…そう、
先輩が気に入らないだけ!先輩、あたしが学校で事件を起こさせないよう
見張ってましたよね?それが、うざいんすよ!!」
「…そうか…残念だ…君のことは…気に入っていた。特に君の描く絵は…」
ほのかがナイフをぎゅっと握りなおし、黒いセーラー服の少女は
ていを守るように抱き寄せ、警戒する。
「神楽先輩…この町のために…死んで!!」
音を立てて砕け散る光の欠片の中、夕焼けの赤が差し込む。
ほのかが笑い声をあげながら、ていに切りかかる。
それを黒いセーラー服の少女は刀でキィン!とはじきながら、牽制する。
ていは夕焼けがさらに赤く染まる中、暗い、深き路地裏へと身を隠す。
「邪魔をするなぁ!どこへ逃げるつもりっすかぁ!?先輩!!」
「…っ!!」
黒いセーラー服の少女は応戦するが、徐々にほのかに押されていく。
”切り裂き魔”と呼ばれるほど、ほのかのナイフさばきは手慣れていた。
ていとほのかと黒いセーラー服の少女
3人の影はどんどんと深い路地裏の闇の中に消えていく。
夕暮れのオレンジが完全に沈み、街灯がひとつ、またひとつと灯る。
細い路地裏には、人影も車の音もない。ただ、冷たい風がビルの隙間を抜けていく音だけが響いていた。
その奥で、神楽ていは肩で息をしていた。
ていの胸の鼓動が激しく、紫色の髪と赤いリボンが大きく揺れる。
その攻防は一瞬か、永遠かのように見えたが、終わりが見えてきた。
ほのかから逃げるていの足がぴたり止まる。
ここが路地裏の終点だ。もう逃げ場はない。
「…どうやら追いかけっこはここまで見たいっすね、先輩」
背後から、ほのかの嬉しそうで、少し残念そうな声が響く。
まるで楽しかった遊びが、終わってしまうかのように
ほのかがゆっくりと歩み寄ってくる。
黒いセーラー服の少女はほのかからの攻撃に防いできたが、
疲労からか、ていへの接触を許してしまう。
黒いセーラー服の少女が赤い瞳でじっとていを見つめる。
その瞳は信頼と期待が混じった眼だ。
「ありがとう、しぐれ。」
ていに”しぐれ”と呼ばれた黒いセーラー服の少女は無言で、
しかし嬉しそうに頷く。それが彼女の名前なのだろう。
「…そうだな。もう終わりにしよう。ほのか。月島ほのか…だったな」
ていは制服の裾を軽く整え、乱れた前髪を指で払う。
その仕草には、追い詰められた者の焦りなど微塵もない。
「…なんなんすか、神楽先輩…!なんで…そんな…余裕そうなんすか!!」
「逃げただと?違うな…誘いこんだのだ。人気のない場所にな。」
「なに…いってるんすか?こっちは武器をもってるんすよ!」
ほのかがナイフをキラリと光らせる。しかし表情はどんどん、
陰りと焦燥に包まれていく。ていはゆっくりと一歩前に出る。
靴音が、静まり返った夜に吸い込まれるように響いた。
ほのかと対照的にていの顔には、余裕と自信が満ちていた。
まるで、全ての展開を読んでいたかのように。
「月島ほのか。”魔術”というものを知っているか?古代から続く人智をも
超える力。人類の繁栄の陰に、魔術は存在していた。」
「…っ!?か、神楽先輩はそれを…!使えるっていうんすか!?」
驚きの表情で青ざめるほのかに対し、ゆっくりと、ぶつぶつと何かを
つぶやき始めるてい。その言葉はほのかには理解できなかった。
ただ、このままではまずい、と言うことだけはわかった。
ほのかの頬がひくつき、瞳がぎらりと光る。
「やめろぉ!」とほのかはナイフを振りかざし、ていに切りかかろうとする、が
「月島ほのか。おとなしくしていろ。」
「がっ…な、なんで…!?」
ていがほのかに命令するようにつぶやくと、ほのかの動きはピタリととまる。
まるで暗示にかけられたかのように。視線だけは動かせるほのかが必死に
周囲を見渡すと、足元に不気味に光る”魔法陣”が描いてあった。
「ずっと見てました…ずっと、神楽先輩を見てたのに…神楽先輩は、いつも“上”にいる。誰よりも静かで、綺麗で、手の届かないところに。」
「…そうか…ではなぜ、私を狙ったのだ?」
ほのかの唇が歪む。
笑っている―けれど、それは悲鳴を押し殺すような笑いだった。
ほのかは完全に敗北したことを、身をもって理解した。
そしてその背後に、薄暗い何かが蠢くように見えた。
「“彼女”が教えてくれた…神楽先輩は人間じゃない。
だから……消さなきゃって…!だからあたしは…!
だってそう、いわれたんすよ!!」
ていの眉がわずかに動いた。ほのかに向き直り、
彼女は静かに見つめる。まるで狂気そのものを見定めるように。
「…”彼女”だと?」
「ふふっ…ふふふふっ…!!名前なんてどうでもいいすよね?
だって、あの人の言葉、ぜんぶ本当だったんすよ!
神楽先輩は人間じゃない、“異物”だって…!そう言ってたんすよ…
この街に平穏をもたらすためには、先輩が…いなくならなきゃいけないって!
ねぇ、神楽先輩。あたし、がんばったんすよ…!ほかにも消そうとしたんすよ。
町の平和を守るために…それで、ナイフを…いろんな”遺物”を排除しようとして
でもうまくいかなくて…!そしたら次は先輩の番だって…
神楽先輩のそばにいて、笑って、油断させて…。
なれない絵を描いて…でも、見れば見るほど、壊したくなくなるの…!!」
ほのかの夜気を震わせるその笑いは、涙に濡れ、呼吸のたびに掠れていく。
「…やはり何者かの影響を受けていたか。君からは”魔力の残滓”の
ようなものを感じた。君は…狂わされたんだ。ほのか。」
「先輩…やっぱあたし、おかしいんすか?ふふ…馬鹿みたいっすね」
「…君は悪くない。ほのか。君は悪夢を見ているんだ。いや
みさせられている。”彼女”という存在に。それは誰だ?」
その声音は、あくまで静かに。ていは語り掛ける。しかし
「…わからないっす…声しか聴いたことないっすよ…でも
”女性”であることは確かっす…」
有力な情報は得られなかった。ていは落胆する様子もなく、
かといって安堵するような表情もせず、真剣なまなざしでほのかを見つめる。
ていはそっと右手を掲げる。
指先に淡い光―まるで月の欠片が灯るような柔らかな輝きが生まれた。
紫の光がていの周囲に広がり、ほのかの足元の魔法陣が輝きを増していく。
風が逆巻き、路地の影が引き剥がされていくように揺れる。
「月島ほのか。君は…”切り裂き魔”としての記憶を失う。そして
変わらぬ日常へと戻る。」
ていはゆっくりとつぶやきながら近づく。それは一種の呪文のように
ほのかの頭に響く。ていの足音一つ一つが、まるで儀式の拍動のように響く。
ていの瞳が淡く紅く輝く。紅紫の光がほのかの瞳に反射し、
二人の視線が重なった瞬間―
世界が、静止した。
闇の中に浮かぶのは、記憶。
ほのかが笑っていた日々、美術部の部室、放課後の夕焼け。
”日常”の記憶は輝きを増し、
ほのかの狂気に満ちた日々、光るナイフ、血しぶきを浴びる感触。
”非日常”の記憶が黒い靄に呑まれ、消えていく。
「返そう、あなたの“日常”を。」
ていの指先がほのかの額に触れた。
その瞬間、魔法陣が砕ける音が響く。
紫の光が弾け、夜空に淡い花のような紋が咲いた。
ほのかの身体を包んでいた狂気が消え、
代わりに、涙が頬を伝う。
「…あれ?…あたし…なにを…」
ほのかの狂気が払われた無垢な顔を見て、ていは微笑んだ。
「もういいんだ。ほのか。何も思い出さなくていい。
ただ、君はいつも通り”日常”を過ごしていただけだ。」
「そう…なんすね…神楽先輩…
また、明日も絵の描き方、教えてくれますか?」
「無論だ。私は美術室で待っているよ」
ていの手が、ほのかの頭をそっと撫でる。
光が消え、夜の静寂が戻る。しかしそれはとても穏やかな静寂だった。
その背後で、しぐれが無言のまま立ち尽くしていた。しかし、
ただ一瞬だけ、彼女の瞳にも安堵の色が宿ったようにみえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます