ロサレダの惨劇【女神《ルラ》戦記・前日譚 第2弾】〜レオネル・ヴァイスの恋と悲劇。リブレ・デ・ロサレダと呼ばれた自由と権利を求める戦いはここから生まれた

マツモトコウスケ

第1話 男爵家令息のデビュタント

 ルラヴィア公国。

 ヴァイス男爵家の居城・タゲリ城は、東部アルタミラ地方に位置する。

 その居間は、春の陽光を受けてきらめいていた。


 様々に広げられた、絹やベルベットといった高級生地の輝きが、一層の華やかさを感じさせる。

 港町モンテリマルでいま最も勢いがあると言われるテーラー『ラ・エスメラルダ』の若き職人、マヌエル・セラーノが持参した生地だった。

 

「ねえイネス見て? この生地、素敵じゃない?」


 ヴァイス男爵夫人クラウディアの声は弾んでいた。

 侍女頭のイネス・ガルシアも楽しげに答える。

  

「あら本当ですわね、奥様。

 この燕尾服でレオネル様が舞踏会へ行ったら、名家の令嬢がたがそろってヴァイス男爵家ご令息に恋をしてしまわれるんじゃないですか?」

 

 来年に控えた、息子レオネルの社交界デビューの準備が着々と進んでいるのだ。

  

「うふふ。そうだといいけどっ。

 それにしても思い切って『ラ・エスメラルダ』にお願いしてよかったわ。

 一時は本当に心配したわよ。

 アルバ王国に帰らないと、この国じゃまともな服も作れないのか、ってね。

 マヌエルがこの国にいてくれて、本当によかったわ!」

  

「過分なお言葉、ありがとうございます」


「うん!これでいいわ。

 進めてちょうだい、マヌエル」


「承知いたしました奥様。

 タキシードのほうはいかがいたしますか?」

 

 クラウディアがテラスのほうを振り向いた。

 夫のアルベルトは、すでに飽きて、シガーを吸いにバルコニーへ出ている。

 心ここにあらずといった様子で領地の山々を眺める夫に、クラウディアは声をかけた。

 

「ねえ! あなた!」


「ん?……」


「タキシードも、『ラ・エスメラルダ』に任せてよろしいわよね?」


「ん? ……あ、ああ」


「んもう!あの人ったらいつもこうなんですから。

 息子の社交界デビューに興味ないのかしら?」

 

 アルベルトはシガーを消して、のっそりと室内に戻って来た。

 

「なあ、レオネルはまだ14歳だぞ?

 やはり少し早すぎないか?」


「そのことはもう何度もお話したじゃないですか。

 そもそも、レオネルを士官学校へやると言い出したのはあなたでしょう? 

 士官学校を出たら、どこへ赴任するかわからないんですよ?

 大使館の駐在武官になって国外へ出ることになったりしたら、あの子はいつ、社交界で素敵な女性に出会えるのかしら?」


「いきなり海外ってことはないさ……」


「んもう! わからないじゃない。

 私はね、早く安心したいの。

 できれば、良家のお嬢さんと婚約させてから士官学校へやりたいのよ。

 あなたはレオネルがどうなってもいいの?

 あの子の幸せをのぞまないの?」


「そういうわけじゃない。

 なあ、クラウディア……

 もう、一度ロサリオ家の娘との話も、考えてみないか?」

 

 クラウディアの顔色が変わった。

 先ほどまでの笑顔は消えてなくなり、ギッとつり上がった目が夫を睨み付けた。


「いやよっ!!

 平民の、しかも土臭い農家の娘なんて、この城にあげないでちょうだい!」


「しかしクラウディア……」


「私は母親として、レオネルに、誰に恥じることもない良家のお嬢さんとの縁談を用意してあげたいの!

 それがレオネルにとっても一番でしょう?

 この話だけは譲れないわ!

 このまま、進めさせていただきますわよ!?」

 

 夫の沈黙を了解の返事と受け取って、クラウディアはテーラーに向き直った。


「ああそうだマヌエル。小物も一緒にお願いね。

 特に靴はいいものじゃなくちゃいやよ?

 次にこちらへ来るときに見せてちょうだい。ね?」

 

 マヌエル・セラーノは、遠慮がちにアルベルトをちらりと見た。

 アルベルトは、やむを得ないと小さくうなずき、再びバルコニーへと逃げていった。

 

「かしこまりました奥様。

 ご期待に応えられるよう、最高のものをご用意させていただきます」

 

「まあ、楽しみ! ね? イネス」


「ええ、本当に」

  


 ◆

 


 城の中庭では、レオネルが家庭教師で従騎士のディエゴ・マルティネスを相手に剣術の稽古に励んでいた。


 デビュタントに向けた仕立て服の話なんて、興味ない。

 結婚なんてなおさらだ。

 まだ14歳だし、そんなのはまだ先の話でしょ?


「若! ロサリオ家の娘には、会われたのですか?」


「会ってないよ! 興味、ない!」


 カンカンと乾いた音を響かせて木剣を打ち合いながら、師弟は会話を交わした。

 

「評判の、美少女だそうです、ぞっ!」


「へえ、そうなんだ!

 ディエゴは!会ったこと!あるのっ!?」 


 レオネルの木剣がディエゴの鼻先をかすめた。

 

「おっと危ない…… 

 ええ、何度か、お目にかかりましたっ!

 軽く挨拶を、した、程度ですが、ね!」

 

「隙ありっ!」

 

 レオネルが、木剣を鋭く突き出した。

 ディエゴの首元を捉えたと思った瞬間、剣先はカツンと軽く払われて、レオネルの木剣は宙へと弾き飛ばされた。

 体勢を崩す。

 気がつくと、レオネルの首すじにはディエゴの木剣がピタリと当てられていた。 


「レオネル様…… お命、頂戴いたしましたぞ」


「くそおー! 勝ったと思ったのに!」


「いつも申し上げているでしょう?

 相手が隙を見せたと思う瞬間が、一番危ないんだ、と」

 

「いったい、いつになったらディエゴに勝てるんだろう……」


「さあ? でも、私なんかはまだまだですよ。

 世の中には、素晴らしい剣士がたくさんいます」


「その中でも、ディエゴが本当に尊敬している特別な剣士は女性なんでしょう?」


「ええ。彼女は本物の”闘志”です。

 レオネル様がもう少し大人になったら、引き合わせてさしあげますよ」


「ディエゴが尊敬するなんて、どんなにすごい人なんだろう?」

 

「さあ、どうでしょうね?

 今は、彼女に会ったとき恥ずかしくないように、しっかり稽古に励んでおくことです」

 

「ディエゴ! もう一本!」


「ええ、お受けしましょう!」


  

 ◆


 

 夜。

  

 クラウディア夫人の寝室に、珍しくヴァイス男爵アルベルトの姿があった。

 部屋の外まで罵りあいの声が漏れている。

 クラウディアは泣いているようだ。

 

「嘘よっ!

 あなたはいつも自分のことばかりだわ!

 なぜレオネルの幸せを考えてやらないの!?」


「私だってレオネルに十分なことをしてやりたいと思っているさ!

 それは君だってわかるだろう?」


「だったらちゃんと良縁をさがしてあげましょうよ!

 なんなら私がレオネルを連れて、アルバ王国で良縁を探してまいりますわよっ!」


「違う、違うんだクラウディア。

 わかってくれ。そんなことは、させてやれないんだ!」

 

「ほらっ! やっぱりそう!

 あなたはやっぱりレオネルなんてどうでもいいと思っているのよ!」

 

 短い沈黙が流れた。

 アルベルトが、すべてを吐き出すように叫んだ。


 

「違う……


 金が…… 金がないんだっ!!!」

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