第4章:水と油のワークショップ
プロジェクト成功確率、12.8%。
詩織のタブレットに表示されたその絶望的な数値を、陽佑は「えー、ゾロ目じゃん! 縁起がいいね!」と屈託なく笑った。詩織は、こめかみを指で強く押さえることで、かろうじて平静を保った。
最初の課題は、モニター六名の相互理解を深め、基本的なデータを収集すること。そのための第一回ワークショップを、週末に開催することになった。当然、その進め方を巡って、二人の意見は真っ向から対立した。
「まずは、私の作成した心理分析テストと価値観サーベイを受けてもらいます。所要時間は90分。これにより、各個人の性格、恋愛傾向、価値観を数値化し、初期のマッチング相性値を算出します」
詩織がモニターに表示した計画書は、分刻みのスケジュールと明確な目標設定が記された、完璧なものだった。
「だーかーらー! そんなのじゃ意味ないんだって! 頭で考えた答えなんて、本当の心じゃないんだよ。もっと、こう、フィーリングで繋がらないと!」
陽佑はそう言うと、手書きのイラストが満載の企画書をテーブルに広げた。
「僕が考えたのは『心のオーラ解放ワークショップ』! みんなで輪になって、お互いのオーラの色を伝え合ったり、瞑想したりして、魂のレベルで共鳴しあうんだ!」
「……結構です。あなたのポエムを聞いている時間はありません」
「ポエムじゃない! これは、心と心で対話するための、大切な儀式なんだ!」
議論は三時間続いたが、着地点は全く見えなかった。結局、またしてもオーナーの長谷川が「じゃあ、午前と午後で、それぞれお一人のやり方を試してみては?」という鶴の一声を発し、この奇妙な二部構成のワークショップが開催される運びとなった。
そして、ワークショップ当日。
午前の部は、詩織が担当する『論理的自己分析セッション』。
会議室の静寂の中、モニターたちは配られたタブレットを使い、数百問に及ぶ設問に黙々と回答していく。
高スペック理系男子の蓮弥は、水を得た魚のように凄まじい集中力で設問を解き進めている。コスパ重視女子の玲奈も、内心では「こんな設問に答えることに、何のリターンがあるというのかしら」と舌打ちしつつも、タスクとして与えられた以上は最短時間で終わらせようと効率的に画面をタップしていた。
一方、陽佑が選んだ二人は対照的だった。不思議ちゃんの紬希は「私の魂の色は、この選択肢の中にはありません!」と小さな声で抗議し、お人好しの和真は「『あなたは他人の意見に流されやすいですか?』……どう答えれば、正解なんだろう……」と一つの設問に十分以上も悩み込んでいる。
そして、市の担当者が選んだ二人。爽やか系ハイスペ男子の慶太は、そつなく、しかしどこか楽しむように回答している。控えめな事務職の実里は、ただ黙々と、表情を変えずに画面をタップし続けていた。
午後の部は、陽佑が担当する『心のオーラ解放ワークショップ』。
陽佑はどこから持ち出したのか、会議室にお香を焚き、ヒーリングミュージックを流し始めた。
「はーい、じゃあ皆さん、靴を脱いで、床に座って輪になってくださーい! まずは、隣の人のオーラを右手で感じてみましょう!」
陽佑がにこやかに言うと、会議室の空気は一変した。
紬希は「わあ、玲奈さんのオーラ、キラキラの金色ですね! でも、ちょっとチクチクします!」と大はしゃぎ。玲奈は心底嫌そうな顔で「……やめてくださる?」と冷たく返し、内心で「非科学的で、時間の無駄。早く帰りたい」と毒づいた。
蓮弥は「他人に触れる……? プロトコルは? 手順は? エラー、エラー」と完全に思考が停止し、石のように固まっている。和真は隣の実里に恐る恐る手を伸ばすが、あと数センチのところで触れることができず、わたわたしていた。
そんなカオスな状況の中、慶太だけが完璧な笑顔で、「へえ、面白いですね!」と隣の紬希の頭に手をかざしている。だが、その心の中では「なるほど、人間はこういう非合理的なものに安心感を覚えるのか。面白いデータが取れそうだ」と冷静に他人を分析していた。
その光景を、詩織は腕を組んで、冷え切った目で見つめていた。
ワークショップは、案の定、大混乱のまま幕を閉じた。
モニターたちが帰った後、会議室には気まずい沈黙とお香の残り香だけが漂っていた。
「……これが、あなたのやり方ですって?」
沈黙を破ったのは、詩織だった。声には、怒りと軽蔑が、これ以上ないほど込められていた。
「今日のワークショップで得られた客観的データは、ゼロです。ゼロ! あなたのせいで、貴重な時間が完全に無駄になったわ!」
「無駄なんかじゃない!」
陽佑も、いつもの笑顔を消して、真剣な顔で言い返した。
「僕は、今日のみんなの心の動きを、ちゃんとこの目で見てた。蓮弥くんがすごく緊張してたこと、玲奈さんが本当は寂しがってること……。君の言うデータなんかより、ずっと大切なものが視えたんだ!」
「視えたですって? それはあなたの主観、あなたの妄想でしょう! 科学的根拠がどこにあるんです!?」
「根拠なんてなくたって、心で感じたものが真実なんだ! 君みたいに、人の心を数字でしか見られない人には、一生分からないだろうけどね!」
売り言葉に、買い言葉。
二人の視線が、火花を散らして激しくぶつかり合う。
ロジックとスピリチュアル。水と油。決して交わることのない二つの価値観が、今、最初の、そして最大級の衝突を起こしていた。
.
陽佑が「もう君とは話にならない!」と吐き捨てて部屋を出て行った後、一人残された詩織は、怒りに震える手で、デスクに置いていた自分のタブレットを掴んだ。
感情的になってはダメだ。常に、冷静に、論理的に。
彼女は今日のワークショップの結果を『計画からの大幅な逸脱』『参加者間の深刻な価値観の対立』といったマイナス要因としてシステムに入力し、プロジェクト成功確率の再計算を実行した。
数秒の処理の後、画面に表示された数値を、詩織は睨みつけた。
『成功確率:8.2%』
詩織は、唇を強く、強く噛み締めた。
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