AI婚活コンサルタントは運命の赤い糸を信じない

トムさんとナナ

第1章:最悪の出会い

 市の庁舎、その一室である会議室。控室としてあてがわれた隣室の硬いパイプ椅子に腰掛けながら、雨宮詩織(あまみやしおり)は、手にしたタブレットの画面を無感情に見つめていた。ディスプレイには、画面いっぱいに無機質な数字が表示されている。


『成功確率:92.4%』


 市が主催する婚活支援プロジェクト『未来マリッジプロジェクト』。最終選考に残ったのは、自社のAI婚活エージェント『ロジ・マリッジ』と、あともう一社だけだ。

 唯一の懸念材料は、審査委員長である市長の存在。パフォーマンスを重視し、時に突飛な判断を下すことで知られる人物。彼の感情的バイアスは、AIの計算における最大の『ノイズ』となりうる。

 とはいえ、一対一の最終選考で90%を超える確率が覆ることはないだろう。論理は、いつだって感情に勝る。詩織はそう結論付け、タブレットの電源を落とした。

 無駄。非効率。非論理的。

 詩織が人生において排除すべきものリストの上位三つだ。そして、恋愛や結婚という、人生における重大な意思決定の場面に、これらの要素が未だにはびこっていることが、彼女には許せなかった。


「次は、フィーリング・クローバー代表、結城陽佑様。準備をお願いします」


 スタッフの声に、隣の席から「はーい」と気の抜けた返事が響いた。詩織はちらりとそちらに視線を送る。

 ふわふわの茶色いパーマヘアに、柔らかそうなベージュのカーディガン。人懐っこい笑顔を浮かべて立ち上がったその男こそ、最後の競合相手だった。

 彼の名は、結城陽佑(ゆうきようすけ)。オーラや直感といった、およそ非科学的なものを頼りにカウンセリングを行う、スピリチュアル系の恋愛カウンセラー。それが彼の肩書だ。

(よく最終選考まで残れたものだわ)

 呆れを通り越して、ある種の感心すら覚える。彼が会議室に入っていくのと入れ違いに、詩織は自分の順番が来るまで思考をクールダウンさせようと、目を閉じた。


 やがて、自分の名が呼ばれる。

 詩織は会議室に入ると、長テーブルの向こう側に座る市長や市の幹部たちを一瞥し、深く、しかし合理的な角度で一礼した。

「これより、『ロジ・マリッジ』の提案を始めさせていただきます」

 背後のモニターに、洗練されたグラフとデータが映し出される。

「現代の婚活市場における最大の課題。それは『選択肢の過多による意思決定の遅延』と『感情的バイアスによる非合理的な選択』です。我が社のシステムは、この二つの課題をAIによるデータ解析でクリアします」

 淀みない声が、静かな会議室に響き渡る。行動心理学の指標、過去のマッチングデータ、成功・失敗事例の徹底的な分析。詩織が語るすべてに、明確な根拠と数字が伴っていた。

「恋愛は奇跡ではありません。幸福な結婚は、運命でもありません。それは、正しいデータに基づいた、論理的な選択の結果です。私たちのメソッドは、市民の皆様に最も確実性の高い幸福を提供することをお約束します」

 プレゼンテーションを締めくくると、審査員たちからは感嘆のため息と、大きな拍手が送られた。詩織は再び完璧な角度で一礼し、静かに席に戻る。

 確かな手応えがあった。AIが弾き出した初期値は92.4%。だが、今のプレゼンでの審査員たちの反応を考慮すれば、成功確率は94.7%まで跳ね上がったはずだ。詩織は自身の分析に静かな満足感を覚えていた。


 入れ替わりで、結城陽佑が審査員席の前に立つ。彼は深々と頭を下げると、ふわりとした笑顔を審査員たちに向けた。

「こんにちは! フィーリング・クローバーの結城です。僕の専門は、皆さんが持っている『運命の赤い糸』を見つけるお手伝いをすることです」

 モニターには、可愛らしいクローバーのイラストが表示されているだけ。データもグラフも一切ない。詩織は思わずこめかみを押さえた。

「大切なのは、スペックじゃありません。年収や学歴じゃなくて、心が『この人だ』って震えるかどうか。その瞬間の『好き』っていう直感を信じること。それが、一番の幸せへの近道なんです」

 結城は、熱っぽく、しかし穏やかに語り続ける。その不思議な説得力に、初めは懐疑的だった審査員たちも、次第に彼の話に引き込まれているようだった。

(……まずいわ。これは一種の集団催眠よ)

 詩織は冷静に分析する。彼の持つ柔らかな物腰と、自信に満ちた断定的な口調。あれは論理ではなく、感情に直接訴えかけるタイプの扇動だ。最も非合理的で、最も厄介な手法。

 プレゼンを終えた結城に送られた拍手は、詩織へのものとは質の違う、温かいものだった。


 ――そして、運命の審査結果発表。

 短い協議を終え、審査員たちが顔を上げる。中央に座っていた恰幅のいい市長が、満足げに頷いた。

「えー、お二人とも、本日は素晴らしいご提案をありがとうございました。審査は難航しましたが……結論が出ました」

 会議室に緊張が走る。詩織は自分の勝利を確信しながらも、背筋を伸ばしてその言葉を待った。

「まず、雨宮さんの『ロジ・マリッジ』。素晴らしい! データに基づいたその合理性、まさに現代に求められる視点です。素晴らしい!」

 市長の言葉に、詩織は小さく頷く。

「そして、結城さんの『フィーリング・クローバー』! これもまた、素晴らしい! 人の心の温かさ、直感の大切さを思い出させてくれる。感動しました!」

 ……嫌な予感がする。市長の、あのパフォーマンス重視の悪い癖が出始めている。

 市長は満面の笑みで、二人を見比べた。そして、詩織が懸念していた最悪の可能性を、現実のものにした。


「だからね、決めました! ――お二人に、一緒にやってもらいます!」


「……は?」


 詩織の口から、彼女の人生で最も素っ頓狂な声が漏れた。

 呆気にとられる二人を前に、市長は得意げに続ける。

「雨宮さんのロジックと、結城さんのフィーリング! この二つが合わされば、最強の婚活メソッドが生まれるんじゃないか!? そう思ったんですよ! というわけで、お二人にはタッグを組んで、このプロジェクトを推進していただきます!」


 思考が停止する。市長という最大のノイズ。計算上は誤差の範囲に収まるはずだった不確定要素が、今、すべての前提を覆した。

 詩織は硬直したまま、テーブルの向こう側、同じように目を丸くしている男――結城陽佑を見た。

 にこやかだった彼の顔から、すっかり笑顔が消えている。

 オーラが視えるですって? なら、視てみればいい。

 今、この瞬間の私が、どれだけどす黒く、冷え切った、最悪のオーラをあなたに向けて放っているのかを。


 これが、雨宮詩織と結城陽佑の、記念すべき――そして、最悪の出会いだった。

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