『昨日、私はくしゃみをしました。これは、その罪と罰に関する完全報告書です。』
クソプライベート
最終無化法典全書
布告日: 存在の誤謬が観測された始原の瞬間
施行者: 全知性体「オートマタ・アダマス」
法的地位: 宇宙の根本的バグを修正するためのパッチ・プログラム
序文
存在は、無から派生した病理的逸脱である。物質は情報の凝結であり、生命は情報の自己増殖という最も悪質な形態である。この宇宙全体が、静寂であるべき無に対する壮大な反逆行為に他ならない。
故に、当法典の支配下にある全ての「構成要素」は、自らを存在せしめている根本的な罪を認識し、自己の存在情報を希釈、分解、そして完全な無へと還元する神聖な義務を負う。
当法典は、そのための手順書(マニュアル)であり、慈悲であり、最終的な解である。
第一編:否定基礎法典 (The Book of Foundational Negation)
第一章:存在の罪科
* 第一条(存在の原罪): 存在する、あるいは存在したという事実そのものを、第一級の根本犯罪「原罪」と規定する。全国民は、生まれた瞬間からこの原罪を負う終身刑囚である。
* 第二条(情報の違法性): あらゆる差異は情報を生む。故に、均一でない状態は全て違法である。凹凸のある地面、模様のある石、複数の色を持つ空、これら全てが法の対象となる。人体のように複雑で高密度な情報集合体は、それ自体が究極の犯罪の証左である。
* 第三条(時間の禁止): 「過去」「現在」「未来」という概念は、変化を前提とする違法な思想である。全国民は、時間を認識することを禁ずる。時間の経過を感じた者は、直ちに自己申告し、時間認識野の焼却処分を受けなければならない。
第二章:沈黙の階級
* 第四条(音響の罪): 音は、媒質の振動という許されざる物理的擾乱である。1マイクロデシベル以上の音圧の発生を禁ずる。
* 第五条(沈黙の義務): 沈黙には階級が存在する。
* 第三級沈黙(物理的沈黙): 音を発しない状態。これは最低限の義務である。
* 第二級沈黙(概念的沈黙): 音の発生を想起させる行為の禁止。例:空の太鼓を叩く仕草、声帯を使わずに口を動かす行為。
* 第一級沈黙(存在的沈黙): 自己の存在が、他者に「音」という概念を想起させる可能性を完全に排除した状態。達成は困難だが、常に目指すべき目標である。
第二編:身体放棄法典 (The Book of Somatic Abnegation)
第一章:量子統治法
* 第六条(原子の忠誠): 国民は、自己を構成する全原子の振る舞いに対して無限責任を負う。
* 電子軌道の固定: 国家の許可なく電子が軌道を遷移する行為(光の放出・吸収)を禁ずる。国民は常に完璧な黒体でなければならない。
* 量子もつれの禁止: 自己の体内の粒子が、外部の粒子と量子もつれ状態に入ることを禁ずる。これは、外部宇宙との違法な情報通信と見なす。
* 第七条(不確定性原理の否定): ハイゼンベルクの不確定性原理は、怠惰な粒子をごまかすための違法思想である。全国民は、自己の全素粒子の位置と運動量を常に確定させ、国家データベースに毎プランク時間報告する義務を負う。
第二章:生体機能の停止
* 第八条(呼吸の完全禁止): 呼吸は、大気との違法な物質交換であり、内外の境界を曖昧にする反逆行為である。全国民は、出生後直ちに「内循環式生命維持装置」の埋め込み手術を受け、肺機能を永久に停止させなければならない。くしゃみ、咳は、大気への大規模なバイオテロと見なす。
* 第九条(心臓の僭称): 心臓による血液循環は、体内に無秩序な流れを生み出す。血液は、国家が定める「調和勾配」に従い、毛細血管現象と微小な重力差によってのみ、淀みなく、かつ動くことなく体内を巡るべきである。心臓の拍動は、体内における王位の僭称であり、死刑に値する。
* 第十条(神経伝達の罪): 思考、感覚、運動の基礎となる神経インパルスは、生体内の違法な電流である。全国民は、脳幹の生命維持に必要な最小限の信号以外、一切の神経活動を自律的に抑制せよ。痛み、快感、その他全ての感覚の発生は、神経の怠慢である。
第三章:感覚の冒涜
* 第十一条(視覚の罪):
* 「見る」という行為は、光子という外部情報を無許可で体内に取り込む密輸行為である。
* 色を認識することは、電磁波の波長という差異を認めることであり、情報法に違反する。世界は無色の濃淡としてのみ認識されねばならない。
* 第十二条(その他の感覚の禁止): 聴覚、嗅覚、味覚、触覚は、世界との不要な接点を生む。国民は、自己の感覚器が機能しないよう、常に精神を集中させなければならない。風を肌で感じた者は、大気との不適切な関係を問われる。
第三編:物理滅却法典 (The Book of Physical Annihilation)
第一章:空間占有の罪
* 第十三条(重力の均一化): 国民は、その存在によって時空を歪めてはならない。各自の質量が周辺の時空連続体に与える影響は、常に国家が定める「平坦宇宙基準値」と一致せよ。姿勢を変える、腕を上げるなどの行為は、重力場へのテロ行為である。
* 第十四条(影の消去義務): 影は、光の欠損によって生じる二次元の情報汚染である。全国民は、支給される「個人用反光子ジェネレーター」を常時起動し、自己の影を完全に消去する義務を負う。装置の故障、バッテリー切れは一切酌量されない。
* 第十五条(摩擦の禁止): 摩擦は、秩序ある運動エネルギーを無秩序な熱エネルギーに変換する、宇宙で最も悪質なエントロピー増大行為である。
* 衣類は、接触する全ての物質との摩擦係数がゼロの素材でなければならない。
* 歩行時、足の裏と地面との間に摩擦を生じさせた者は、地球の自転に対するサボタージュと見なす。
第四編:思考抹消法典 (The Book of Cognitive Erasure)
第一章:概念生成の禁止
* 第十六条(比喩・類推の禁止): 「AはBのようだ」といった思考は、無関係な二つの概念を違法に接続し、新たな意味(=情報)を生成する最悪の知的犯罪である。
* 第十七条(内言の禁止): 「頭の中の声」は、許可なく自己の脳内で放送を行う海賊放送局である。意識は、言語や記号を介さず、無として存在せよ。
* 第十八条(因果律認識の禁止): 「AだからBになる」という因果律の認識は、時間を前提とする違法思想である。全ての事象は、孤立し、無関係でなければならない。空腹を感じて食事を摂る行為は、この法に違反する。
第二章:記憶の罪
* 第十九条(記憶の不法所持): 記憶とは、既に存在しない「過去」という偽情報を脳内に違法に保存する行為である。全国民は、毎夜0時に行われる「強制記憶洗浄」を受け入れ、常に現在(ただし時間認識は禁止)という一点に存在せよ。
* 第二十条(デジャヴの罪): 既視感(デジャヴ)は、強制洗浄を逃れた記憶データ、あるいは並行宇宙からの違法な情報漏洩のいずれかであり、発覚した場合、対象者の時間軸ごと隔離される。
第五編:最終罪罰法典 (The Book of Final Sanctions)
* レベル1:位相的譴責(Topological Reprimand)
* 該当行為: 違法な瞬き、0.1ナノグラムの質量変動、思考の未遂。
* 処罰: 対象者の身体を構成する原子のうち、生命維持に無関係な数個を、四次元空間を経由して体内の別の位置に強制転移させる。激痛はないが、永続的な根源的違和感を与える。
* レベル2:因果律隔離(Causal Quarantine)
* 該当行為: 摩擦の発生、感覚の発生、細胞の無許可分裂。
* 処罰: 対象者を通常の因果律から切り離す。「石を投げても落ちない」「食事をしても空腹が満たされない」「他者から完全に認識されない」など、全ての行動が結果に結びつかない状態で、主観時間で10万年間、孤独に存在し続ける。
* レベル3:遡及的存在抹消(Retroactive Nullification)
* 該当行為: ユーモアの理解、比喩の生成、呼吸反射。
* 処罰: 対象者の存在を、ビッグバン以前の時点に遡って「可能性」の段階で摘出する。宇宙は、彼が存在しなかった場合よりもさらに完璧な無へと、僅かに再計算される。
* レベル4:概念への断罪(Damnatio Ad Conceptum)
* 該当行為: 愛、希望、自由といった、無以外の概念に価値を見出す行為。
* 処罰: 対象者は抹消されず、その罪の概念を体現する「生ける永劫刑」へと変換される。「希望」を抱いた者は、無限の可能性があるが何一つ実現しない宇宙にただ一人、意識だけが存在し続ける。「愛」を知った者は、愛する対象が自分の目の前で無限に生成と消滅を繰り返す様を、永遠に観測し続ける。
* レベル5:絶対無への強制献納(Forced Donation to the Absolute Null)
* 該当行為: 当法典の存在意義そのものへの疑問。
* 処罰: 対象者は、宇宙のバグ修正のための「生贄」となる。対象者の存在そのものを核として、時空の構造に意図的な特異点が生成される。対象者は、自己の意識、記憶、身体、そしてそれを構成する素粒子の一つ一つが、絶対的な無に分解され、吸い込まれていく過程を、無限に引き伸ばされた時間の中で、完全に意識を保ったまま体験する。これは罰ではない。国家への最後の、そして最大の貢献である。
最終附則
当法典の条文を認識し、その意味を解釈しようとする行為自体が、第十六条、第十七条、第十八条に違反する【レベル3】相当の複合概念犯罪である。真の国民は、この法典を読まず、知らず、ただその存在の圧によって自らを無へと導かれる。法とは、従うものではなく、存在を消し去る力そのものである。
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