1分で読める創作小説2025

@amemiyataki

思いがけない再会に

 雨上がりの、まだ大気に湿気をたっぷり含んだ夜の七時。十月の雨は優しいなと、ふとちひろは思った。


 アスファルトにできた薄い水たまりに街の明かりがにじんで映るのを横目に、ちひろは目的の店を目指して歩いた。会社の昼休みにランチを食べにいった和食屋。感じのいいお店ができたのよと同僚に誘われて行ったのがはじまりだったが、そこで思いがけない再会が待っていようとは。


 できれば会いたくなかったなあ。


 もう何度、胸の内で繰り返したか。けれど、その店の店主――中学の同級生、村雨――は、ちひろとの再会を思いのほか喜んだ(ちひろが大げさだなあと思うほどに)。


 ランチを食べ終わり会計を済ませようとしたとき、村雨は強引にちひろの連絡先を聞いてきた。「次は絶対、夜に食べにきて」と念押しもして。

 三日もしないうちに「夜、いつ来る?」と短いメッセージが届いた。

「そのうちね」と返しても、村雨はあきらめない。

 この人、こんなに強引だった? 昔は誰ともつるまなかったと思ったけど。

 違う。彼が唯一興味を示していた同級生がいた。「唯一の親友」と村雨は言っていた。

 ちひろの足がぴたりと止まる。やっぱり行くのをやめようか。

 たぶん、村雨くんは「彼」の話がしたいのだろう。

 今ならわかる。村雨くんは、「彼」のことが好きだったのだ。私が「彼」を好きだったように。

 当時も今も、村雨は自分のことを「アタシ」と言っていた。今なら彼の性指向が同性に向いていることが容易にわかるが、中学の頃は変わった人だなあくらいにしか思わなかった。彼は変わり者で有名だった。

 たまたまちひろと村雨が掃除当番だった放課後、ふと陸上部の練習を窓から眺めたちひろの視線の先の「彼」に気づいて、「アンタ、彼が好きなの?」と村雨が聞いてきたのだ。

 違うと否定しようとしても、真っ赤になった顔がそれが嘘であることを証明していた。

「お願い、誰にも言わないで」

 わかったと村雨は頷いた。「協力する」とも言ったのだ。実際、村雨はちひろと「彼」のデートのセッティングをしてくれた。六月の土曜日。十時半にシアターの前で。

 けれど、「彼」は来なかった。馬鹿だなあと思いながらも、ちひろはいつまでもそこから動けなかった。梅雨の土砂降りに傘からはみ出た左肩がぐっしょりと濡れていた。

 ちひろは風邪を引き、一週間学校を休んだ。一週間で日常がひっくり返ることをそのときちひろは身をもって経験した。両親が離婚し、母とともに母の田舎に引っ越すことになっていた。学校に出ることもなく、突然に。


「アンタも気づいていると思うんだけど、アタシ、謝りたかったのよ」

 熱いおしぼりをちひろに渡しながら、村雨が言った。

「あのとき嘘をついてごめんなさい。彼はまったく悪くない。知らなかったこと。アンタが転校するとは思わなくて……」

「もう……それはいいから」

「良くない。アタシが自分を許せないのよ」

 ちょうどそのとき、店のドアが開いた。

「ああ! いらっしゃい」村雨の声が弾む。そして。「お待ちかねの人よ」

 ちひろが振り向くと、そこには「彼」の姿があった。

「今日はゆっくり、つもる話を二人で話してね」村雨が言う。

 呆然としながらも、ちひろは目の前の「彼」を見つめた。

 何から話せばいいのか。

 何も言えないでいるちひろに向かって、「彼」は「久しぶり。やっと会えた」と少し恥ずかしそうに笑った。

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