第7話 風の灯と氷の花
夜の学院は、昼とはまるで別の世界だった。
魔法灯が花のように咲き、空を見上げれば、
いくつもの光球が風に乗って漂っている。
学院祭の目玉、「風灯ショー」。
空一面を灯りの魔法で飾る、年に一度の大行事だ。
私は人混みの中、展示班の後片付けを終えたまま立ち尽くしていた。
手袋を外すと、指先にほんのり冷たさが残っている。
(少し……疲れましたね)
ふと、風が頬を撫でた。
その流れに乗って、聞き慣れた声が届く。
「やっぱり来てくれた」
振り向けば、アシュレイがいた。
制服の上着を脱ぎ、袖をまくった姿。
髪が少し乱れて、光に照らされている。
「片付けは終わった?」
「ええ。あなたは?」
「俺も。これから本番さ」
彼の背後には、巨大な魔導陣が淡く輝いていた。
無数の風のルーンが空へ伸び、学院全体を包み込む。
「今日は……失敗しませんよね?」
「それはフラグじゃない?」
「何の話ですか」
「いや、気合い入れたってことだよ」
笑いながら、彼は魔法陣の中心に立った。
その手が風を掬い上げるように動くと、灯が空へと舞い上がる。
赤、青、金、銀——色とりどりの光球が風に乗り、夜空を巡った。
「……綺麗」
私の口から、思わず声がこぼれた。
その瞬間、アシュレイがこちらを見た。
「もう少し、手伝ってもらえる?」
「えっ、私が?」
「氷の姫君の力、借りたいんだ。ほら、ここに」
差し出された手のひら。
その中央には、小さな風の魔法陣が描かれていた。
少しだけ迷ったあと、私は手を重ねた。
風と氷の魔力が触れ合う。
冷たさと温かさが同時に走り、空気が震えた。
「——“氷華展開(クリスタライト)”」
私の詠唱に呼応して、風灯がひとつ、またひとつ、氷の花に変わっていく。
光を帯びた花弁が夜空に咲き乱れ、学院中が息を呑んだ。
風が通るたび、花々が音を立てて揺れる。
まるで風そのものが、氷を愛おしそうに撫でているようだった。
「……すごいな」
「あなたの風が、上手く流してくれたからです」
「いや、リィンの氷がきれいだからだよ」
その言葉に、胸の奥がかすかに熱を帯びる。
彼は空を見上げたまま、ぽつりと呟いた。
「来年も、一緒にやろう」
「……来年、ですか」
「うん。もっとすごいのを作りたい」
「そのときは、あなたが指揮を」
「いや、リィンが真ん中で。俺は風を流す」
「……軽口かと思えば、真面目なことを言うのですね」
「いつも真面目だよ?」
「どの口が言いますか」
笑い合う声が、夜空の花々に混じって溶けていく。
ああ——
こうして並んでいると、少しだけ時間の流れがゆるやかに感じられた。
風が静まり、氷の花がゆっくりと落ちてくる。
光の花弁がひとつ、私の掌に舞い降りた。
透き通るような輝き。すぐに消えてしまいそうなほど繊細な光。
「それ、記念に持っていくといいよ」
「……氷は、溶けます」
「でも、想いは残る」
思わず彼を見上げた。
アシュレイの横顔は、いつになく真っ直ぐだった。
風に吹かれても、揺れないようなまっすぐさ。
「リィン」
「……はい?」
「今日、君が笑ってくれてよかった」
心臓が跳ねた。
どう返せばいいのかわからなくて、視線を落とす。
氷の花弁が、ゆっくりと融けて指先を濡らした。
(どうして——こんなにも、胸が熱いのですか)
灯火ショーが終わると、人々の喧騒が遠ざかり、夜が静かに戻ってきた。
私は校庭の隅で、まだ消えきらない氷の花を見上げていた。
そこへ、ふわりと風が吹く。
そしてまた、背後からあの声。
「まだ、起きてたんだ」
「あなたこそ。風の片付けは?」
「終わった。……風は自由だからね」
「便利な理屈です」
二人で笑った。
夜空には、まだいくつかの氷の花が浮かんでいる。
アシュレイはそれを見上げ、静かに言った。
「この景色、たぶん一生忘れない」
「……そうですね。私も、少しだけそう思います」
風が吹く。氷が鳴る。
言葉がいらないほど、世界がきれいに見えた。
夜明けが近づく。
東の空がわずかに染まり、鳥の声が遠くで響いた。
私は小さく息を吸って、言葉をこぼした。
「……また、来年も一緒に」
「もちろん」
彼の笑顔が、夜明けの光に溶けていく。
それはまるで、風が新しい季節を運んでくるような、柔らかい朝だった。
氷の花が、ひとひら、風に乗って舞い上がる。
それはまだ名前のない、恋の魔法。
きっと——今、始まったばかりの。
真面目な私が風魔導士に絆されるまで 御子神 花姫 @mikogami7
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます