第6話 風と氷、ふたりの午後
次の日、私はひどく寝不足だった。
朝の講義で黒板の文字が二重に見え、ノートをとる手が何度も止まる。
頭の中で、昨夜の出来事が何度も再生されていた。
(あんな告白……冗談じゃ、なかった。絶対に)
“君が好きだから”
アシュレイの声が、耳の奥で何度も反響する。
そのたびに、胸の奥がちくりと痛んだ。
「リィン様、顔色が悪いですよ?」
隣の席のメイアが心配そうに覗き込む。
彼女は薬草学専攻の魔調士で、いつも落ち着いた笑顔をしている。
「大丈夫です。ただ、ちょっと寝不足で」
「また夜まで勉強してたんですか? ほどほどにしないと、魔力にも悪いですよ」
「……ええ、わかってます」
(本当は勉強どころじゃなかったけど)
とても言えない。
“アシュレイに告白された”なんて、学院中の噂になるのが目に見えている。
それに、私はまだ彼の気持ちを受け止められていない。
自分でも、この胸のざわつきをどう処理すればいいのか分からなかった。
講義の終わりを告げる鐘が鳴り、私は早足で教室を出た。
向かった先は、学院の庭園。
風見の塔の影に広がる、静かな回廊の奥。
花の香りが漂い、淡い魔力が揺れている。
いつもここで、頭を整理する。
——のはずだった。
「やあ、奇遇だね」
風がふっと揺れたかと思うと、背後から声がした。
(……また出た)
振り向くと、やっぱりそこにいた。
金髪を風に揺らし、笑顔を浮かべる男。
アシュレイ・クロード。
「あなた、どこから湧いて出たんですか」
「風と一体化して移動してるだけだよ。
もしかして僕のこと考えてた?」
「考えてません!!」
即答したけれど、心臓が跳ねた。
否定の仕方が完全に動揺している。
アシュレイはニヤリと口角を上げた。
「図星かもね」
「図星じゃありません!」
「ほんとに? 耳まで真っ赤だけど?」
「うるさいです!!」
(……本当にうるさい)
けれど、以前のように“苛立ち”だけではない。
彼の声を聞くと、胸の奥が少しだけ温かくなる。
それが余計にややこしい。
アシュレイは芝生に腰を下ろし、空を見上げた。
「今日は風が穏やかだ。学院祭の準備、進んでるみたいだね」
「……ええ。魔導劇の練習、少し見ました。皆さん張り切ってましたよ」
「リィンは出ないの?」
「まさか。あんな人前で芝居なんて」
「意外だな。舞台映えしそうなのに」
「おだてても無駄です」
アシュレイは笑い、片手で風を操った。
花びらがひとひら、彼の指先で舞う。
それを私の方へ吹き寄せ、そっと差し出した。
「じゃあ、代わりにこれを。学院祭の“風の花”」
「……なにこれ」
「魔導学園伝統の告白用だよ。“誰かを想う風”を花に封じるんだ」
「……どこでそんなロマンチックな魔法を覚えたんですか」
「母さんに。昔、父さんにやってたらしい」
「お母様が……」
「うん。僕もいつか使いたいと思ってた。
まさかリィンに使うことになるとは思わなかったけど」
「……!」
言葉を失った。
アシュレイはいつもの調子で笑っていたけれど、その目だけは真剣だった。
「昨日のこと、気にしないでいいよ。
君を困らせたくて言ったわけじゃない。
ただ、ちゃんと伝えたかっただけだから」
(ちゃんと、伝えたかった)
リィン・フェルディアは、そんな風に誰かに言われたことがあっただろうか。
競争、試験、成果。
常に比較の中で、自分の価値を測ってきた。
けれど、彼の視線は違った。
私を“評価”ではなく、“ひとりの人”として見てくれている。
「……あなたは、本当にずるいです」
「またそれ? なんで?」
「そうやって、真っ直ぐ言葉をくれるからです。
反則です、そんなの」
「じゃあ退学にしないでね?」
「意味が違います!」
「はは、でも少しは僕のこと、考えてくれた?」
(……考えないわけ、ないじゃない)
そう思ってしまった自分に驚く。
どうして、私はこんなにも彼の言葉一つで揺れるのだろう。
アシュレイは花びらを魔力で包み、空へ放った。
風に乗ったそれは、ゆっくりと上昇していく。
「君の氷、触ると冷たいのにさ。
なんでこう、温かいんだろうね」
「……意味が分かりません」
「僕も。理論外だね」
(また、それですか……)
けれど、今度は笑ってしまった。
頬がゆるむ。
彼の前では、完璧な自分を装うのが難しい。
アシュレイは立ち上がり、軽く手を振った。
「午後の特別講義、遅れるよ。行こ、リィン」
「……別に一緒じゃなくても」
「どうせ教室は同じでしょ?」
(そうだけど!)
仕方なく、彼と並んで歩き出す。
風が二人の間をすり抜けていく。
いつもなら鬱陶しいと思うのに、今日はその風が、なぜか心地よかった。
「ねえ、リィン」
「なんですか」
「僕、君の隣にいるときだけ、魔力が落ち着くんだ」
「……そんな非論理的なことを」
「うん。非論理的。だけど本当」
彼の声は、優しく穏やかで。
ふと、リィンは気づく。
——この人の笑顔を、もう嫌いだと言えない。
心臓が静かに鳴った。
氷の奥で、確かに何かが溶けていく音がした。
***
その日の午後。
特別講義では、ペアでの魔力共鳴実験が行われた。
そして、ランダムで決まったペアの札を見て、リィンは息を呑む。
【風:アシュレイ・クロード】
【氷:リィン・フェルディア】
(……まさか)
アシュレイが、隣でいたずらっぽく笑う。
「運命、ってやつかな?」
「……そんなわけ、ありません」
「でも、悪くないでしょ?」
「…………」
リィンは顔をそむけた。
けれどその頬は、ほんのりと赤く染まっていた。
風と氷が触れ合うたびに、
ふたりの魔力が静かに共鳴しはじめていた。
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