第4話 距離と風のいたずら

学院中が、未だにあの「爆発演習」の話で持ちきりだった。

通りを歩けば、どこからかひそひそと声が聞こえてくる。


「ねえ聞いた? あの時の風と氷の爆発!」

「クロード先輩とフェルディア嬢、すごかったよね~!」

「いや、あれもう半分告白だったでしょ!」


(……どこの誰ですか、それを言ったの)


私は顔を伏せて足を速めた。

歩くたびにローブの裾が揺れて、耳まで熱くなる。

どう考えても、あの爆発にそんな意味はない。

……ない、はずだ。


魔術塔の廊下を曲がったところで、ふわりと風が吹いた。

視界の端に金色がひらめく。


「おはよう、リィン」


「……出ましたね、爆発の元凶が」


「おっと、朝から毒舌だね。いつもより冷気強め?」


「当たり前です。あなたのせいでどれだけ恥をかいたと……!」


「でもあの爆発で君の人気、上がったよ? “氷の姫”だって」


「そんな称号いりません!」


アシュレイは楽しげに笑いながら、私の隣を歩く。

いつの間にか、自然に並んで登校するのが日課になっていた。

(……なぜなんでしょう。別に約束したわけでもないのに)


「そういえば今日、課題提出あるでしょ?」


「はい。『魔力制御学・実践課題』です。提出して終わりですけど」


「君の課題、見せてくれない?」


「断固拒否します」


「そっか、じゃあ“見えちゃった”ってことにしようか」


「そんな都合のいい理屈がありますか!!」


軽口を交わすうちに、ふと気づく。

朝の風が心地よくて、つい笑ってしまっていた。


(……なんか、負けた気がします)


彼の隣にいると、いつもペースが狂う。

でも、不思議とその“乱れ”が嫌じゃなくなってきていた。


***


午前の講義が終わると、私は図書塔の静かな読書室に逃げ込んだ。

天井まで届く本棚、窓から差し込む金色の光、紙とインクの匂い。

ここは私の“心の避難所”だ。


魔導士見習いたちは実験室に集まって騒ぎ、魔女科の生徒たちは空き教室でお菓子を焼いているらしい。

(毎日どこかで何かが焦げるのは学院の風物詩です……)


私は分厚い魔法理論書を開いて、羽根ペンを走らせた。

しかし、ページをめくっても文字が頭に入らない。


(……さっきの、アシュレイの顔。やけに真面目だったな)


思い出して、顔を覆う。

あんなにふざけてばかりいるくせに、時々、誰よりもまっすぐな目をする。

それが厄介だった。


「真面目な顔、禁止にできないかな……」


「呼んだ?」


「っ!?!?」


振り向くと、まさに禁止対象が立っていた。

アシュレイ・クロード、両手にサンドイッチと紅茶。


「な、なんでここに!?」


「昼食、誘いにきたんだよ。もしかして、独りで勉強してると思って」


「正解です。だから帰ってください」


「冷たいなぁ。ほら、パン二つあるし」


「いりません」


「中身、チーズとハーブチキン」


「……いただきます」


「はい、どうぞ」


(食べ物で懐柔される自分が情けない……)


アシュレイは向かいの席に腰を下ろした。

風がカーテンを揺らし、光が彼の髪を透かす。

見慣れたはずなのに、なぜか少し眩しい。


「ねえ、リィン。君、なんでそんなに魔法に真剣なの?」


「それは……」


問いかけられて、少し言葉に詰まった。

理由を考えるまでもない。けれど、口にするのが難しい。


「私は、“理想の魔術師”になりたいんです。完璧な、失敗しない人間に」


「へえ。でも、人間って時々失敗するから可愛いんじゃない?」


「……どこが可愛いんですか」


「たとえば、さっきの君。チーズのところだけ先に食べてる」


「っ!? ちょ、見ないでください!」


「それ、君が緊張してる時の癖だよね」


「どこでそんな観察を!」


「いつも君を見てるから」


(あ、また真面目な顔してる)


静かな読書室で、風がやさしく流れた。

本のページがひとりでにめくれ、文字が踊るように光る。

魔法の粒子が空に浮かび、まるで空気が笑っているみたいだった。


そして、胸の奥が少しだけ温かくなった。

それを恋と呼ぶにはまだ早いけれど、

たしかに“何か”が私の中で変わり始めていた。


***


午後の実践授業は「属性融合実験」だった。

学生たちが二人一組で魔力の流れを測定し、共鳴率を調べる。

要するに、ペア魔法の基礎を“安全に”試す課題——のはずだった。


(もうフラグが立ってる気がします……)


案の定、講師が名簿を読み上げた瞬間、胸の奥がざわついた。


「フェルディア・リィン、クロード・アシュレイ。ペアで」


(……やっぱり)


私が顔を上げると、アシュレイはいつもの調子でひらひらと手を振っていた。

その笑顔はまるで「待ってました」と言わんばかりだ。


「よろしく、“仮の相棒”さん」


「またその呼び方ですか……!」


「だって、君と組むと退屈しないんだもん」


「私は平穏な授業を希望します!」


「じゃあ、平穏に楽しくやろう」


(平穏とあなたは両立しません!)


私は小さくため息をついて、机の上に魔力測定器を置いた。

水晶盤の中心に手をかざし、氷の魔力を流す。

透明な板の上に淡い青が広がり、美しい氷紋が浮かび上がった。


「すごい。安定してるね、さすが主席」


「当然です。あなたも出力、加減してくださいね」


「うん、心得てるよ」


アシュレイは隣で軽く笑い、風の魔力を流し込んだ。

氷と風が触れ合い、淡い光が生まれる。

今度こそ完璧な融合——のはずだった。


だが、風の軌道が突然逸れ、水晶盤の外に漏れ出した。

机の上の紙が宙に舞い、魔力計がガタガタと揺れる。


「ちょっ、またですか!?」


「待って、今度は違う、風が勝手に!」


「“勝手に”とか言わないでください! あなたの魔力です!」


「でも、本当に——あ、やば」


バサァッ。


天井から吊られた帆布が、突風にあおられて落ちてきた。

私は咄嗟に身を縮めた——その瞬間。


「危ない!」


アシュレイの腕が私の肩を引き寄せた。

次の瞬間、視界が一気に暗くなり、帆布が二人を包み込む。

魔力の光が布越しに淡く透けて、風の音だけが耳に残った。


(……ち、近い!)


彼の腕が私の背をしっかり支えている。

胸の奥がどくん、と跳ねた。

目の前には、すぐそこに彼の顔。

軽く笑っているけど、いつもより静かで、真面目な眼差し。


「……怪我、ない?」


「だ、だいじょうぶです……でも、あの……離してもらって……!」


「あ、ごめん」


アシュレイは慌てて手を離した。

けれど、彼の掌の熱が背中に残って、心臓が落ち着かない。


帆布の隙間から顔を出すと、クラスメイトたちが拍手していた。


「キャー! まるでラブシーンみたい!」

「クロード先輩、ナチュラルすぎ!」

「フェルディア嬢、顔まっか!」


(やめてください、本当にやめてください!!)


私は耳まで真っ赤になって、床を見つめた。

アシュレイはというと、涼しい顔で帆布を片づけながら笑っている。


「やっぱり、君と組むと事件が起きるね」


「その発言が事件です!」


「でも、守れてよかった。風、気まぐれだからさ」


その言葉が妙に優しくて、怒るタイミングを失った。

彼の横顔を見たら、もう何も言えなかった。


(……本当に、悪気はないんですよね)

(むしろ、ちゃんと私を見てる)


「ねぇ、リィン」


「なんですか」


「今度、一緒に練習しない? その……ちゃんと、合わせられるように」


「……“ちゃんと”って、あなたにできるんですか?」


「君となら、できる気がする」


「……言葉だけは立派ですね」


「実行するよ。だって僕、君に負けたくないもん」


(負けたくない、か)


少しだけ笑ってしまった。

“負けたくない”という気持ちは、私も同じだった。

でも今は、少しだけ違う意味で——彼に、気を取られている。


魔力測定器の光が再び灯る。

風と氷が、今度は穏やかに交わった。

音もなく揺れるその光が、まるで私たちの距離を表しているみたいだった。


(もしかしたら——この距離が、少しずつ変わっていくのかもしれない)


そんな予感だけが、胸の奥でやわらかく鳴った。

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