第3話 公開演習、恋と爆発は紙一重

アルセリア魔法学院の中央講堂は、朝からざわついていた。

色とりどりのローブが並び、空中を魔力の光が漂う。

天井の魔導灯は七色に輝き、講堂全体が祝祭のような雰囲気だ。


——今日の演目は「新入生・特別公開演習」。

学院の上級生と講師たちが見守る中、優秀なペアが実演を行う。

つまり、昨日の「氷と風」の共鳴を披露する日である。


(どうして、こうなったんでしょう……)


私は深く息を吐いた。

舞台裏の控室では、アシュレイが鏡の前で髪を整えている。

金髪が光を弾くたび、隣にいるだけで緊張する。


「緊張してるの?」


「してません。ただ、あなたが緊張感を削いでいるだけです」


「よかった。僕はどっちも得意だよ、緊張も削ぐのも」


「褒めていません!」


アシュレイはにやりと笑い、ローブの襟を直す。

見た目はいつもの軽薄さだが、手の動きは妙に丁寧だ。

その指先に集まる魔力の流れが、静かに風を生んでいる。


(……本気でやる気、みたいですね)


「ところで、リィン」


「なんですか」


「この前の“好きだ”って話、まだ訂正してないから」


「する必要がありません!」


「つまり、事実のままってことでいい?」


「違います!!」


反射的に大声を出してしまい、近くの補助生がぎょっと振り向く。

恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じた。


「もう……本当にあなたは……!」


「うん、僕も君が本当に面白いと思う」


「褒め言葉のつもりですか!?」


「もちろん。世界でいちばん褒めてるよ」


(……会話が成立しない)


彼のペースに巻き込まれるたびに、思考が崩れていく。

私は無理やり気持ちを立て直し、冷たい魔力を手に集めた。


「集中します。あなたもふざけないでください」


「ふざけてないよ。君とやる時だけは、本気なんだ」


一瞬、風が揺れた。

その言葉が、風の中に小さく溶け込んで響く。

軽口に聞こえないのは、たぶん気のせいじゃない。


胸の奥がきゅっと締めつけられた。


その時、舞台袖から声が響く。

「次、魔術科主席リィン・フェルディア、魔導科主席アシュレイ・クロード組!」


(……とうとう来ましたか)


私は深呼吸をひとつ。

冷気が肺を満たし、頭の中が澄んでいく。

アシュレイが隣で軽く拳を握った。


「いこっか、相棒」


「誰が相棒ですか!」


「この場ではそうだろ?」


「……仮の、です。仮の!」


「じゃあ、“仮の相棒”さん、よろしく」


「……はいはい、よろしくお願いします」


舞台に出た瞬間、歓声が爆発した。

まるで王立劇場の主演俳優にでもなった気分だ。


「リィンちゃーん! がんばってー!」

「アシュレイさまー! こっち向いてー!」


(なんなんですかこの熱量は!?)


壇上に立つと、学院長がにこやかに手を上げた。

「では、公開演習を開始します。テーマは——『魔法による共鳴と協調』」


「はい。……では、始めましょうか」


私は魔法陣を展開した。

氷の花弁が空中に浮かび上がり、冷気が周囲を包む。

その美しい構造体に、アシュレイの風が溶け込むように流れ込んだ。

青と白の光が交差し、観客席が静まり返る。


(完璧……このまま行けば——)


「ちょっと、調整するね」


「えっ、今!?」


彼が魔力の出力を上げた瞬間、風が予想以上に強くなり、氷の陣がわずかに軋んだ。


「クロード! その出力では氷構文が——!」


「だいじょ——」


ドォンッ!!


爆発音が轟いた。

煙が舞い、観客席から悲鳴と笑いが入り混じる。

風圧で私の髪が宙に舞い、ローブが翻った。


「……っ!!」


「ご、ごめん! ちょっと計算ミス!」


「“ちょっと”で済む話ではありません!!」


「でもほら、観客ウケはいいよ?」


「評価基準が根本的に間違ってます!!」


怒鳴る私の声の横で、アシュレイは咳き込みながら笑っている。

けれど、その笑いはどこか嬉しそうで、楽しそうで。

私まで、つい吹き出してしまった。


(……ほんと、最悪。なのに、笑っちゃう)


煙が晴れる。

二人の姿が舞台に立っているのを見て、客席から拍手が起こった。

その音が、少し胸に響く。


アシュレイが隣で囁く。

「失敗しても、君となら楽しいね」


「バカですか、あなたは」


「うん、君の前ではね」


(……どうして、そんな顔で言うんですか)


風が、また私の心をくすぐった。


講堂は笑いとざわめきの渦になっていた。

「すごい爆発だったな!」「あの二人、伝説になるぞ!」

誰かのそんな声が耳に飛び込む。

その「伝説」という単語に、私は深く頭を抱えた。


「……完全に、悪目立ちしましたね」


「でも、結果的に注目は集まったでしょ?」


アシュレイが肩をすくめて笑う。

私は怒る気力も失って、ただため息をつくしかなかった。


けれど、彼のローブの袖が黒く焦げているのを見て、思わず眉をひそめた。

「ちょっと、あなた……火傷してるじゃないですか!」


「へ? あぁ、これ? 大丈夫だよ、かすり傷」


そう言いながら軽く笑うけれど、袖の下から見えた肌が赤く腫れている。

私は咄嗟に手を伸ばした。


「黙ってください、動かないで」


氷の魔力が指先に集まる。

淡い光が傷口を包み、冷たく癒していく。

彼の腕に触れた瞬間、少しだけ心臓が跳ねた。


「……冷たい?」


「治療用の魔力です。痛みを和らげるための温度設定ですから」


「そっか。君の魔法って、優しいね」


「そういうつもりで使ってません」


「でも優しい。僕、今すごくそれ感じてる」


(……何を言ってるんですか、この人は)


言葉に詰まりそうになる。

けれど、彼の瞳がまっすぐこちらを見つめているのを見た瞬間、

ほんの少しだけ、目をそらせなくなった。


アシュレイの瞳は淡い青。

風を閉じ込めたような透明さで、どこまでもまっすぐだった。


(……この人、本当に、真面目な顔をするとずるい)


「ありがとう、リィン。ほんとに助かった」


「べ、別にあなたのせいで爆発しただけですから……」


「でも君がいなきゃ、もっと派手に吹っ飛んでたと思う」


「……褒めてます? それ」


「もちろん、命の恩人に感謝してる」


軽く笑いながら、アシュレイは私の頭に手を置いた。

その手のひらはまだ少し熱を持っていて、冷たい髪に心地よく伝わる。


(な、なにしてるんですか……!)


反射的に身を引いた拍子に、背中が壁にぶつかった。

観客席の視線がまだこちらに集まっているのを思い出して、顔が一気に熱くなる。


「ちょっと! 人前です!」


「ごめん、嬉しくてつい」


「嬉しい……?」


「だって、君が僕のこと心配してくれたから」


「そ、そんなの当然です、チームですから」


「でも、君が“チームだから”って言う時の声、優しい」


「~~~~っ! やかましいです!」


まるで心を読まれたようで、居心地が悪い。

それでも、完全には否定できなかった。

だって、本当に少しだけ——彼のことを心配した自分がいたから。


講堂の中央では、学院長が拍手を送っていた。

「うむ、少々派手ではあったが、見事な連携だった!」


「れ、連携……?」


「結果的にはそう見えたんだろうね」

アシュレイが耳打ちしてきた。


「君の氷が爆風を包んで、観客を守った。まるで狙ってたみたいに」


「……狙ってました、最初から」


「嘘つき」


「うるさいです!」


それでも、笑いながら答えられたのは、たぶん初めてだった。


観客席から拍手と歓声が上がる。

「フェルディア嬢の氷、すっごく綺麗だったー!」

「クロード先輩、イケメンすぎ!」

「二人、最高のコンビじゃん!」


(最高の、コンビ……)


私は静かに視線を落とした。

その言葉が、ほんの少し胸の奥で響く。

アシュレイが私の横に立ち、真面目な顔で言った。


「次は、ちゃんと息を合わせよう。今度こそ」


「……あなたと“ちゃんと”なんて、できるんでしょうか」


「できるよ。僕、君のこと、ちゃんと見てるから」


(……また、そんな顔をする)


ほんの数秒、彼の瞳と私の視線が絡まった。

そして、その瞬間、

胸の奥で何かが静かに弾けた気がした。

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