第2話 風と氷、実験的授業
アルセリア魔法学院の実技棟は、古城と温室を足して二で割ったような建物だ。
透明な天井の上を白い鳥が舞い、壁一面の蔦がゆっくりと光を吸い込んでいる。
中央の演習ホールは広大で、魔力の緩衝結界が幾重にも張られていた。
今日もどこかで爆発が——起こらない。
(……ようやく平和な朝ですね)
しかし、その静寂は三秒で終わった。
「リィン、準備できた?」
「まだです。詠唱の構文を再確認しています」
「そう? 僕はもう風の精霊たちとおしゃべりしてるけど」
「授業中におしゃべりしないでください」
「いや、彼らも参加したいって」
「そういう問題ではありません!」
相変わらず調子の狂う男である。
だが今日ばかりは、逃げるわけにいかない。
課題は「ペアで協力し、学院標準ゴーレムを制御下に置け」。
協力、つまり共同魔法。
昨日から噂になっている“氷と風の共鳴”を、教師たちが面白がって実現させたのだ。
教師のエラリア先生は、丸眼鏡の奥から微笑んだ。
「クロード、フェルディア。あなたたちに期待しているわよ」
「……先生、なぜそんなに楽しそうにしているのか心当たりがありません」
「学院掲示板の“今週の注目ペア”一位よ」
「やめてくださいその不名誉な称号!!」
アシュレイは楽しそうに笑いながら、魔力を練り始める。
淡い風が彼の指先にまとわりつき、空気の粒が煌めいた。
まるで彼自身が風に溶けていくような柔らかい動き。
対して私は、冷たい魔力を静かに構築する。
思考を整え、理論式を浮かべ、力を形にする。
氷の花弁のように、白い魔法陣が咲いた。
(制御の精度なら、負ける気はしません)
「準備、いい?」
「ええ。あなたの風が暴走しないことを祈ります」
「じゃあ、君の氷が溶けないように、優しく包むよ」
「やかましいです」
彼の軽口を遮るように、私は詠唱を開始した。
――《凍結の理、形象たれ。氷よ、心を鎮め、動きを縛れ》
その声に呼応して、アシュレイが囁く。
――《風よ、響け。制御と解放の境を渡りて、流れを繋げ》
二つの陣が交差した瞬間、魔力が弾けた。
氷の結晶と風の流線がぶつかり、青白い光が走る。
瞬間、ゴーレムの足元に薄氷が張り、動きが鈍る。
同時に、風がその足を絡め取り、魔力の核を露出させた。
「リィン、今だ!」
「——封印!」
氷の槍が一直線に走り、ゴーレムの胸部を貫く。
光が消え、巨体が崩れ落ちた。
(やった……! 成功、です)
「ふう……君と組むと、世界が綺麗に見えるな」
「何の感想ですか、それ」
「いや、氷と風って、相性悪いと思ってたけど……こうやってみると悪くない」
「悪くないどころか、今の理論値に対して安定値が——」
「それより君、笑ってる」
「え?」
気づけば、頬が少しだけ緩んでいた。
氷魔術は常に精密さと冷静さを求められる。
だから私は、滅多に笑わない。
けれど今は、なぜか胸の奥が少し温かい。
「やっぱり、笑ってる顔のほうが好きだな」
「……そうやってすぐ軽口を叩くの、やめてください」
「軽口じゃないよ。真面目に褒めてる」
「なら、今後は心の中で褒めてください」
「努力するよ、たぶん」
「“たぶん”の時点で信用できません!」
周囲では他のペアが次々と爆発音を上げていたが、
不思議と私たちの周囲だけは静かで、風と氷が溶け合うように澄んでいた。
エラリア先生が手帳を閉じて言う。
「すばらしい。完全な連携ね。あとは……恋愛感情を抜けば完璧かしら」
「……はい??!?」
アシュレイは笑いながら肩をすくめた。
「いやあ、さすがに先生も見る目があるね」
「あなたが言うと真実味が増すのでやめてください!!」
「じゃあ、“見る目があるのは僕の方”って言えばいい?」
「どちらでもありません!!」
ホール中が笑いに包まれ、私は頭を抱えた。
こんな調子で学院生活、果たして乗り切れるのだろうか。
——けれど、不思議と悪い気はしなかった。
***
演習が終わったあと、私は机に突っ伏していた。
頭の上で、誰かの笑い声がする。
「お疲れ、フェルディア嬢。今日も華麗な勝利だね」
「勝利ではありません。共同成功です」
「その違い、僕には難しいな」
「理解する努力をしてください」
「じゃあ、勝利ということにしておこう」
「なぜそうなるんですか!!」
教室に戻る途中からずっとこの調子だ。
風魔導士アシュレイ・クロード、恐ろしくタフである。
こちらがため息をつくほど、彼はよく喋り、よく笑う。
だがその笑顔に、ふと真剣さが滲む瞬間がある。
それが……少しだけ、厄介なのだ。
「にしても、君の魔法、やっぱり綺麗だな」
「……魔法の話をするなら、もう少し理論的にお願いします」
「理論的に? じゃあ、数式で褒めようか?」
「えっ」
「“リィンの氷=芸術 ÷ 冷静 × 天才”って感じ?」
「数式めちゃくちゃです!!」
アシュレイは楽しそうに笑い、軽く肩をすくめた。
その仕草が自然で、どこか絵になる。
(……腹立たしいほど、絵になる)
そんな彼を見ていると、周囲の生徒たちがざわざわと騒ぎ出した。
「ねえ見た? 二人、今日の演習で共鳴したって!」
「もう付き合ってるんじゃない?」
「氷姫のハート、ついに融解!」
(ちょっと待って、それは誤報です!)
「アシュレイ、あなたが変なこと言うから、こんな噂が——」
「噂って面白いよね。勝手に増えるし、止めようとすると燃えるし」
「火事を楽しむタイプですかあなたは!」
「火も風がなきゃ燃えないよ」
「名言みたいに言わないでください!」
噛み合っていない。
でも、噛み合わない会話が妙に楽しい。
この人と話していると、冷静さが崩れる。
それが悔しくて、少しだけ——心が騒ぐ。
そんな中、エラリア先生が教室に戻ってきた。
「二人とも、あの連携は素晴らしかったわ。学院長にも報告しておいたから」
「報告!? なぜそこまで!?」
「新入生でこのレベルは珍しいの。次回の公開演習で披露してもらうわね」
「……え、公開?」
アシュレイがにっこり笑う。
「やったね、リィン。全校デビューだ」
「やった、ではありません!!」
先生はにこやかに退出し、教室は笑いに包まれる。
(最悪です。噂がまた増える……)
私は机に額を押し付けた。
その上からアシュレイの声が降ってくる。
「そんな顔しないでよ。楽しい方が得だよ?」
「私は真面目です。楽しむより、成功させることが優先です」
「でも、君って楽しんでるときの方が魔力が綺麗に流れるよ」
「……分析してたんですか」
「もちろん。興味あるから」
「魔法に、ですか」
「君に、だよ」
「っ……!!」
一瞬、息が止まった。
その声音はふざけたものじゃない。
真面目で、まっすぐで、どこかあたたかい。
目が合う。
金色の瞳が、柔らかく笑っていた。
まるで春の風が頬を撫でるように。
(……なに、この、感じ)
鼓動が早まる。
理論も構文も頭から飛んでいく。
私は慌てて視線をそらした。
「そんなことを言っても、私の評価は変わりませんから」
「知ってる。でも、いつか変わるといいなって思ってる」
「っ……あなたって本当に、どうしてそう……」
「だって、リィンが好きだから」
「ま、まま、ま——っ!」
「おっと、顔真っ赤。これ、氷の姫君的には致命傷かな?」
「もう帰ってください!!」
机を叩いた衝撃で、また浮遊トレイが一斉に揺れる。
(……これ、前にもやりましたね)
笑い声と悲鳴が入り交じる中、
アシュレイは軽く手を振って教室を出ていった。
残された私は、深呼吸をひとつ。
心の中で冷静に数式を描く。
「感情=不要」「恋愛=非効率」
そう唱えるたびに、胸のどこかがずきりとする。
(……まったく。風なんて、嫌い)
でも、その風が吹き抜けたあと、
部屋の空気は少しだけあたたかくなっていた。
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