第9話 神々の晩餐 ― 空腹の意味 ―(後編)
光の扉をくぐった瞬間、世界が変わった。
眩しさのあとに現れたのは、どこまでも広がる白い空間。
風も匂いもなく、音すら存在しない。
その中央に、ひとつの食卓があった。
だが、その上には――何もない。
「……料理が、ない。」
エルナが小さく呟く。
彼女の声さえ、吸い込まれるように消えた。
『これは、“無”だ。』
ルーファスが周囲を見回す。
『神々が言った“空腹の意味”とは、このことかもしれん。』
「空腹の……意味。」
俺は食卓の前に立った。
目の前の皿は、まっさらなまま。
でも、なぜか――懐かしかった。
ふと、記憶が滲み出す。
――あれは、まだ地球にいた頃。
母の作ってくれた味噌汁の匂い。
雨の音。湯気。台所の明かり。
俺は、あの日のことを思い出していた。
学校でうまくいかず、バイトで失敗して、帰りの電車でため息ばかりついていた。
家に帰ると、母が小さな食卓で笑っていた。
「おかえり。ごはん、できてるよ。」
それだけで、涙が出た。
あの時、俺は初めて気づいた。
“食べる”という行為が、生きるためだけのものじゃないことを。
「誰かに生きていてほしい」と願うこと、それが“料理”の始まりなんだ。
白い空間の中で、俺は拳を握った。
「……神々は、満たされた者だ。だからこそ、空腹を忘れている。」
ルーファスが頷く。
『なら、お前は思い出させるつもりか。』
「そうだ。食卓を、もう一度“人の場所”に戻す。」
俺は皿の上に手をかざした。
しかし、何も出てこない。
スキルも、光も、ウィンドウも反応しない。
「……料理が作れない?」
エルナが不安そうに俺を見た。
「違う。ここでは、技術も魔法も意味を持たない。
必要なのは――想いだ。」
俺は目を閉じた。
頭の中に浮かぶのは、これまで出会ってきた人々。
飢えた村の子どもたち。
王と使者が分け合ったパン。
風の都の老僧の笛。
氷の村で笑ったエルナ。
そして、涙の果実を食べた砂の王。
みんな、食卓で何かを取り戻した。
戦うための力ではなく、生きていくための理由を。
その想いを皿に込めるように、両手を重ねた。
「――いただきます。」
その言葉を呟いた瞬間、皿が光った。
光の中から、温かな香りが立ち上った。
それはどんな料理にも似ていない。
けれど、誰もが一度は知っている匂い。
母の台所の匂い。
子どもの笑い声。
友の呼ぶ声。
それらすべてが溶け合ったような“生きる匂い”だった。
【創造料理:原初の食卓】
【効果:記憶と感情の再現/存在共鳴率100%】
白い空間に、色が流れ込んでいく。
食卓が増え、椅子が並び、人々の影が生まれる。
見知らぬ者たちが笑い、語り、食べる。
その中には――亡き母の姿もあった。
涙がこぼれた。
「……これが、“空腹の意味”か。」
空腹とは、失うこと。
そして、誰かを求めること。
その痛みがあるからこそ、人は食べ、繋がる。
料理とは、欠けたものを埋める“祈り”なのだ。
光が収束し、再び神々の神殿へと戻った。
五柱の神々が、静かに立っていた。
その表情は――驚きと敬意が混ざっていた。
メルクスがゆっくりと口を開いた。
「我らは理解した。
満腹とは、欠けたものを受け入れること。
食とは、生を繋ぐ儀式であり、記憶の言葉だ。」
炎の女神が微笑む。
「お前の料理は、神々すら“人”に戻す。」
氷の少年が続ける。
「味覚は世界を映す鏡。汝の皿には、希望が映っている。」
メルクスが一歩近づいた。
「ユウタ・クジョウ。汝に神々の名に代えて宣言する。
――汝はこの世界の“料理神”である。」
空から光が降り注ぎ、ウィンドウが開く。
【称号:饗宴の神】
【新スキル:創味世界】
【効果:想像から料理を創造し、世界に具現化する】
光が消えたあと、神殿には静寂が戻った。
俺はしばらく動けなかった。
ルーファスが肩を叩き、静かに言った。
『お前はもう、神々と肩を並べた。』
「そんな大層なもんじゃないさ。」
俺は笑った。
その笑いは、不思議と涙の味がした。
「料理人が神になったって、やることは一つ。
腹を減らした誰かを探して、飯を作るだけだ。」
エルナが頷いた。
「じゃあ、次の食卓はどこ?」
俺は遠くの地平を見た。
まだ煙が上がる町。
戦争の跡。飢えの村。
香りを知らない子どもたち。
「――世界中、全部だ。」
鍋を背負い、風の匂いを吸い込む。
新しい一歩を踏み出した。
その背を、メルクスの声が追った。
「人の子よ。
汝の料理は、神々さえも満たすだろう。
だが忘れるな。
“満たす”とは、“分け合う”ことだ。」
風が吹いた。
香りが世界を渡る。
それは、誰かの食卓に届く“はじまりの匂い”だった。
第一部完 ―「饗宴創世編」完結
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