第8話 雨乞いの饗宴 ― 泣く空に、笑う料理人 ―
風の都を出て、俺たちは大平原へ向かった。
かつては穀倉地帯と呼ばれた土地だが、今はひび割れた大地が続くだけ。
草も花も枯れ、空は雲ひとつない。
「……雨が、何ヶ月も降ってないらしい。」
エルナが乾いた風の中で呟く。
彼女の髪も砂をかぶり、唇が乾いていた。
『人の匂いが薄い。もう、この地を離れた者が多いのだろう。』
ルーファスの声にも、重い響きがあった。
やがて、崩れた祠が見えてきた。
そこに集まっていたのは、数十人の村人たち。
顔は痩せ、目には諦めの色が宿っていた。
「……料理人さん、でしょう?」
一人の老人が俺に近づく。
「旅の噂で聞きました。火を灯す人、風を鎮める人。
どうか、この地に雨を。」
その言葉に、俺は頷いた。
「約束しよう。空に“泣く理由”を思い出させてやる。」
夜。
俺は焚き火を囲み、荷を広げた。
手元にあるのは、干し草の粉、岩塩、そして水筒の底にわずかに残った水。
通常なら料理など到底不可能な環境だった。
「でも、できるさ。」
俺は静かに火を起こす。
ルーファスが低く問う。
『どうやって、この乾いた地に“雨を呼ぶ”つもりだ?』
「涙の果実を覚えてるか? あれは心を潤す料理だった。
――なら、今度は空の心を潤す。」
エルナが息を呑む。
「空の、心……?」
「ああ。空だって、生きてる。
人が願いを忘れたから、空も泣くのをやめただけさ。」
俺は掌を天に向ける。
指先に風の力が集まり、ウィンドウが開いた。
【四季調和 発動】
【気象共鳴率:21%】
【新規創造料理:雨乞いのスープ】
「ただのスープだよ。でも、“祈り”を混ぜる。」
材料を混ぜる。
干し草の粉を焼き、香りを立たせ、塩を指先で散らす。
それは雨の匂いに似た“焦げと土”の香りを作り出すためだ。
わずかな水を注ぐと、鍋から白い蒸気が立ち上った。
その蒸気が風に乗り、夜空へと昇っていく。
エルナが目を細めた。
「……まるで、雲みたい。」
「そうだ。空に思い出させるんだ。
人が笑った時、どんな匂いがしたか。
子どもが走った時、どんな風が吹いたか。
雨が降る前、誰が空を見上げたか。」
俺は鍋をかき混ぜながら、心の底から願った。
「――おかえり、雨。」
その瞬間、空が鳴った。
ゴロゴロという音が、遠くから響き、風が急に冷たくなった。
村人たちがざわめき、誰かが祠の前にひざまずく。
雲が集まり、雷光が走った。
やがて――ぽつり。
ひとつの雫が、鍋の中に落ちた。
それを合図に、空が泣き始めた。
大粒の雨が降り、乾いた地面を叩く。
人々が歓声をあげ、互いに抱き合う。
子どもたちは裸足で泥の中を駆け回った。
「やった……!」
エルナが笑い、顔を上げる。
その頬を、冷たい雨が伝った。
だが、その中で――
ひとりの影が現れた。
白い衣をまとい、傘もささずに立つ青年。
肌は透けるように白く、瞳は水面のように揺れている。
「なるほど。これが、お前の“雨”か。」
声は静かだった。
だが、その一言で、空気が張り詰めた。
ルーファスが唸る。
『……気をつけろ、ユウタ。これは人ではない。』
「お前は誰だ?」
青年はゆっくりと微笑んだ。
「我は〈饗宴神メルクス〉。
この世界に“食”の概念を与えた神のひとりだ。」
周囲の雨が一瞬止まった。
音が消え、世界が凍りつく。
「お前がこの数ヶ月でやったこと――
竜を従え、王を変え、風と雨を操った。
それはもはや、人の領分ではない。」
「だから、止めに来たってわけか?」
「いや。」
メルクスは首を振る。
「確かめに来た。
お前の“料理”が、本当にこの世界を満たすのかどうか。」
その瞳が俺を見据える。
底のない水の色。
まるで、すべてを映してしまう鏡のようだった。
「俺の料理は、戦を止め、涙を流させ、風を鎮めた。
でも、まだ“満腹”には遠い。
だから、確かめるまでもない。
俺は、作り続ける。」
メルクスの唇がゆっくりと上がる。
「いい答えだ。……ならば、試練を与えよう。」
空が再び光り、風が吹き荒れる。
雨が上へ舞い上がり、渦を巻いた。
「“神々の晩餐”を開け。
我らを満足させる料理を作れ。
もし叶えば、この世界の飢えは永遠に癒えるだろう。」
そう告げると、神の姿は雨に溶けて消えた。
ただ、空だけが泣き続けていた。
夜が明ける頃、雨は止んでいた。
村人たちは濡れた畑を耕し、笑い声をあげている。
その中で、俺は鍋の前に立ち尽くしていた。
「神々の晩餐、か……。面倒な注文をもらっちまったな。」
ルーファスが肩をすくめる。
『お前が選ばれた時点で、もう神話の一部だ。』
エルナが微笑む。
「でも、きっとできるよ。あなたの料理なら。」
「期待されるのは嫌いじゃないけど、重いな。」
俺は苦笑した。
「……次の目的地は?」
『東の大陸。神々が住まう山々のふもと。』
「よし、行こう。次の皿は、神様の舌を驚かせてやる。」
朝日が雲を割り、地平を照らした。
大地には新しい草が芽吹き、空にはまだ、雨の匂いが残っていた。
次回 第9話「神々の晩餐 ― 味覚の果てで ―」
神々の座す東の山脈へ。
ユウタが挑むのは、味覚そのものを問う試練。
料理とは何か、人を満たすとは何か――その答えが明かされる。
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