第6話 去りゆく騎士、背中の誓い(カイン視点)
――夜明けが来る音を、俺は聞いていた。
遠くで鐘が鳴る。
薄明の空が、ゆっくりと城壁の影を塗り替えていく。
冷たい風が頬を撫でた。
その風の中に、剣の匂いと、遠い記憶が混じっていた。
俺は王城の北塔にいた。
この場所は、かつて殿下とよく語り合った場所だ。
誰にも聞かれない、秘密の場所。
そして今夜――最後に立つ場所。
目を閉じると、思い出が蘇る。
あの日、俺は死にかけていた。
裏切りの濡れ衣を着せられ、処刑台の上で、ただ空を見ていた。
誰も信じられなかった。
けれど、ただ一人、あの人だけが――俺を信じた。
『彼は、剣を捨ててまで民を守った。
その罪があるというなら、私が全て背負う』
あのときの声を、今も覚えている。
その瞬間、俺の人生は“彼のもの”になった。
命も、誇りも、すべて。
*
けれど、殿下は変わった。
“彼女”が現れてから。
エリナ・クレイン――異界から来た少女。
柔らかな瞳、素直な声。
初めて会ったとき、俺は彼女を“危険”だと感じた。
殿下の心の隙間に、光を差し込むような存在。
だが、光はいつだって影を作る。
俺はその影の中にいた。
殿下の微笑が増えるたび、俺の中で何かがひび割れていった。
彼が“彼女”を見るときの眼差しは、俺が知っているものとは違った。
あれは――未来を見る目だ。
俺が決して触れられない、あたたかい世界。
だからこそ、今日、俺はここを去る。
彼が笑えるなら、それでいい。
それが、俺の“愛”の形だ。
*
階段を降りる途中、誰かの足音が近づく。
振り返ると、そこにエリナが立っていた。
夜明けの光が、彼女の髪を銀のように照らしている。
「行ってしまうんですか?」
その声は、震えていた。
「もう知っているだろう」
「……知ってても、止めたいです」
真っ直ぐな瞳。
俺は思わず笑った。
この人は、どうしてこんなに強いのだろう。
「殿下を……お願いします」
その言葉に、心が揺れた。
「どうして、そんなふうに言える?」
「だって、あなたが愛した人だから」
その一言で、全てが終わった。
そして、全てが報われた。
俺は小さく息を吐き、彼女の前で膝をついた。
騎士としてではなく、一人の男として。
「エリナ様」
「はい」
「あなたが殿下の光だ。……その光を、消さないでください」
指先で、床に刻むように誓う。
この手が剣を持つ限り、俺はこの国を守る。
彼が笑える未来を、遠くから見届ける。
それが、俺にできる唯一の救いだ。
エリナが涙を拭うように微笑んだ。
その笑顔は、どこか殿下に似ていた。
「……ありがとう、カインさん」
「礼などいらない。
殿下が幸せなら、それでいい。
俺が愛したのは、“そういう人”なんだ」
自分でも驚くほど穏やかな声だった。
もう涙は出なかった。
すべてを出し切って、ただ静かな安堵があった。
*
外に出ると、夜が明けきっていた。
朝の光が王都を照らし、鳥たちが鳴いている。
俺は鞄を肩にかけ、ゆっくりと歩き出した。
振り返れば、王城の塔が黄金に染まっている。
あの中に、俺の愛した人たちがいる。
もう戻ることはないだろう。
けれど、心はそこに残る。
風が吹く。
その風の中に、懐かしい声が混じっていた気がした。
『お前の剣は、誰のためにある?』
――殿下。
俺は小さく笑い、剣の柄に手を添える。
答えは、最初から決まっていた。
「この国のために。
……そして、貴方のために」
太陽が昇る。
新しい一日が始まる。
涙ではなく、誇りの光が瞳に宿る。
俺は歩き続ける。
愛した人の笑顔を胸に、
もう二度と“偽り”ではない人生を生きるために。
その背中に、誰も気づかないほどの静かな祈りが宿っていた。
――どうか、殿下が幸福でありますように。
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