静寂の最後 ― 忘却に抗う声 ―

白崎麗華

序章 静寂の施設

序章 静寂の施設

都市のざわめきから遠く離れた高原地帯。

杉と白樺が混じり合う森の奥、まるで時間が止まったかのような静けさの中に、その白い建物はひっそりと姿を現す。

磨かれたガラス窓は森の影を反射し、庭には四季折々の花が整然と植えられ、池の錦鯉が音もなく泳いでいる。

微風が風鈴を揺らし、澄んだ音が木々の間をすり抜けて消えていく。

それはまるで――誰かの耳に届くことなく、最初から“無音”であったかのように。

この場所は「癒しと安寧を提供する終末期ケアセンター」とされている。

設立したのは、緩和医療の第一人者として知られた医師・田中雅子。

かつて大学病院で延命治療の限界に直面し、彼女自身が患者から聞いた最後の願いに突き動かされた。

――「もう頑張らせないで」

――「せめて静かに、誰にも迷惑をかけずに死にたい」

その想いを胸に、雅子は匿名の支援者たちから資金を集め、寄付や遺贈を基に、この地に施設を築き上げた。

パンフレットには、青空の下で笑う職員たちの写真とともに、滑らかな文句が踊る。

《ここは、あなたの最後を、あなたらしく締めくくるための場所です》

《静かに、穏やかに、微笑みとともに旅立てるように》

だが、匿名掲示板や口コミの断片には、異なる言葉が並んでいた。

《ここは“選べる地獄”だ》

《死にたい人が来る。でも、死に方は誰にも選べない》

《笑って死んだ? 顔が潰れてたって意味じゃないのか?》

職員たちは一様に誠実で、医師も看護師も斎場スタッフも、安らかな最期を真摯に提供しようと努力している。

どの記録にも“正常”と記され、どの死も“平穏な逝去”と処理されていた。

だが、実際に起きているのは、理解を超えた死の現場だった。

● 血飛沫が天井まで飛んでいた遺体。

● 頭蓋骨が内側から破裂した高齢者。

● 胸を裂かれたような損傷を持つ少女。

● それでも診断書には「自然死」の文字。

________________________________________

「なぜ?」

「本当に薬の副作用か?」

「誰が、何のために?」

スタッフたちは困惑し、恐怖し、時に自らの記憶を疑い始める。

監視カメラには“死の瞬間”が一切映らない。

音声記録はなぜか“沈黙”しか残されていない。

にもかかわらず――。

今日もまた、「志願者」が門をくぐる。

背広姿の青年。

私服を着た女子高生。

互いの手を離さない老夫婦。

そして、すべてを諦めた商社マン。

彼らは皆、自ら望んでこの地を訪れた。

「安らぎの死」を、信じて。

だがまだ誰も知らない。

この施設には、“死にたい”という願いを利用する――

「見えざる何か」が、潜んでいることを。

風鈴がまた、微かに揺れた。

だがその音は、風ではなく、何かが“通った”合図のようだった。

________________________________________

そして、やがて一人の“声”がこの静寂を引き裂く。

その名は――美紀。

彼女の囁きが、この場所に封じられた真実を暴き始める。

“選んだ”はずの死が、“選ばされた”死へと変わっていく。

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