他ガ咎
@iza-888
序章 影に堕ちる
多賀想名太(たが そなた)は、ごく普通の高校生だった。
流行りのカードゲーム「LVVL(ラベル)」を友達と楽しんだり、SNSで話題のダンス動画をチェックしたり。クラスメイトたちと同じように、自由で明るい学校生活を送っていた。
そんなある日。想名太は、病院の霊安室で、棺の中に静かに眠る男を見つめていた。
「…父さん」
呼んだところで、返事があるはずもない。もう、二度と。
父の死は、あまりにも突然だった。幼い頃に母を亡くし、父と二人きりで生きてきた。その父まで失い、想名太はたった一人になってしまった。
多賀家は、天皇家直属の暗殺一族。「他ガ咎(たがとが)」と称される彼らの仕事は、神のため、世の中のためだと、父は生前語っていた。詳しいことは聞かされていなかったが、それが父の生業(せいぎょう)だった。
父が死んですぐ、自宅に菊の紋が入った厳重な手紙が届いた。
「任命式、五十代目、多賀吉備殿。場所、滋賀県ー」
数日後、滋賀県に降り立った想名太は、タクシーで指定された目的地に向かった。目的地付近でタクシーを降りるが、周囲には田んぼと山ばかりで、目立った建物はない。ただの田舎の風景だ。
「お待ちしておりました。想名太殿」
唐突に、黒ずくめの少年が目の前に現れた。
「どこから!?」
想名太は驚きの表情を隠せない。
「すぐ目の前にいました。ただ、結界(けっかい)で見えないようにしてあるだけです。手紙に同封された紋章があれば、この敷地に入れるようになっています。…まあ、お入り下さい」
困惑した様子の想名太を見て、少年はそれ以上の説明を控えた。
結界の境界を越えた途端、目の前に巨大な屋城(やしろ)が現れた。
「これが多賀家のお屋敷になります」
一帯全てが真っ黒と言って良いほどの重厚な造りで、五三桐(ごさんのきり)の紋章が黄金に鈍く光っている。
「紹介が遅れました。僕は**多賀彦根(たが ひこね)**です。すぐに『他ガ咎』の正装を準備いたしますので、お着替えください」
多賀彦根が手にしていたのは、漆黒一色の衣装だ。
「こちらが、五十代目の“咎ノ衣(トガノコロモ)”です」
布地は闇より黒く、しかし光を吸い込むように淡く輝いている。肩には五三桐、胸には「咎」の文字。それは、父がかつて身につけていたものと全く同じ衣装だった。想名太は、震える手でそれを受け取った。
「ストレッチ性があり、軽量で強靭な素材で出来ております。デザインなどの要望があれば、またご相談ください」
部屋で着替えを終え、案内された先は、たくさんの扉が並ぶ廊下だった。
「三十三番の扉になります。では、後ほど」
彦根は深くお辞儀をし、自分も別の扉へと向かっていった。
想名太が扉を開けると、中は暗く、蝋燭(ろうそく)の炎でかろうじて照らされている程度の明るさだった。目の前にはテーブルと椅子、左右には重厚な壁がある。
「来たね、想名太」
白髪で長髪の男が、優しそうな声を発した。
「あ、はい」
想名太は戸惑いながら返事をした。
「先代は残念だった」
「いえ…」
「私は多賀皇(たが すめら)。多賀家を纏めている」
瞳があった瞬間、背筋に強烈な緊張が走った。
男の瞳は真紅。多賀家の血縁者に共通する特徴、「千里眼(せんりがん)」の証だ。周囲にいる全員が、同じく赤い瞳で想名太を見つめていた。その瞬間、暗く見えなかった視界が、急に鮮明に浮かび上がってくるような感覚に襲われた。
「多賀家は、全国四十七都道府県にそれぞれ一人ずつ配備されている。私を含めて全国で四十八名だ」
白髪の男──多賀皇は静かに言葉を続けた。
「そなたの父、四十九代目・多賀吉備もまた、その一人であった。岡山を守護し、神域を守り、地域を守っていた」
想名太は拳を強く握った。父の死の理由を知らぬまま、彼はここに立っている。しかし多賀皇の声には、すべてを見透かすような重さがあった。
「そなたは十七歳。だが『他ガ咎』は歳では決めぬ。血と眼だ」
多賀皇の真紅の瞳が、想名太の瞳と重なる。その瞬間、頭の奥で“視えないはずの光景”が一瞬うごめいた。
──黒い霧。
──二人な影。
──父が、最後に何かを言っている。
「ッ……!」
想名太は思わず壁に手をついた。呼吸が荒くなる。
「驚くことはない。それは『千里眼』の片鱗だ。多賀家の血が覚醒しようとしている」
多賀皇は優しく手を差し出し、厳かに宣言した。
「これより任命式を行う。五十代目、多賀吉備。そなたに『岡山の地』を任せる」
蝋燭の炎が揺れ、部屋の空気が変わった。壁一面に刻まれた古い紋章がぼんやりと光り始める。
「想名太」
多賀皇が静かに言う。
「『他ガ咎』となる者は皆、孤独だ。しかし決して一人ではない。そなたの父も、最後まで我らの仲間であった」
胸の奥が熱くなる。涙が落ちる前に、想名太は強く瞬きをした。
「……僕は、継ぎます。父の役目を」
多賀皇は微笑み、ゆっくりとうなずいた。
「では──『影の道』へ進むがよい」
蝋燭の炎が一斉に伸び、部屋を満たす闇が渦を巻く。その空間から、何かが想名太をじっと見つめていた。
新たな五十代目の試練は、すでに始まっていた。
「多賀吉備、初任務を命じる。それはー現・総理大臣の抹殺だ」
「なッ」
この衝撃的な任務に対して声を上げたのは、想名太ただ一人だった。そのことが、この一族の異常さを感じさせずにはいられない。
「度重なる失態に佳子様もお怒りだ。自ら退任の意思がないのなら、こちらから引導を渡すとの判断だ。安心しろ。サポート役に**多賀富士(たが ふじ)**をつける」
多賀皇から下された、現職総理大臣の抹殺命令。そのあまりに非現実的で重すぎる初任務の衝撃に、想名太の思考は停止しかけていた。
暗殺一族「他ガ咎」の集会は、重苦しい沈黙を保ったまま、何事もなかったかのように解散した。漆黒の装束に身を包んだ者たちが、それぞれの扉へと吸い込まれるように消えていく。
想名太がふらつく足取りで廊下へ出ると、一人の少女が壁に背を預けて立っていた。 彼女が顔を上げた瞬間、その明るい瞳が想名太を射抜いた。
「あ、吉備(きび)くん。……ううん、想名太くん」
少女は親しげに笑いながら、歩み寄ってくる。
「私は多賀高千(たが たかち)。宮崎県の『他ガ咎』だよ」
「あ、はい……よろしくお願いします」
先ほど告げられたばかりの初任務のことで頭がいっぱいだった想名太は、まともな表情を作る余裕もなく、事務的な挨拶を返すのが精一杯だった。
その時だった。
「――っ!?」
不意に、花のようないい香りが鼻腔をくすぐった。 同時に、柔らかくて温かな感触が全身を包み込む。高千が至近距離から想名太を抱きしめていた。
「大変だったのに、よく頑張ったね。私の王子様」
「は、はいぃっ!? な、何ですか!?」
驚愕した想名太が反射的に突き放すと、彼女はキョトンとした顔で首を傾げた。そして、真っ赤になって動揺する想名太の頭を、まるでおもちゃを愛でるようにポンポンと叩く。
「王子様って……一体どういう意味ですか!?」
「だって、師匠の金華(きんか)さんが言ってたもん。『気に入った。甥っ子の想名太を婿にやるから、可愛がってやれ』って」
その名を聞いた瞬間、想名太はこめかみを押さえた。 多賀金華。宮崎県の「他が咎」であり、亡き父の妹――つまり想名太の叔母である。 普段は漁師として海に出ているが、その豪快で荒っぽい気質は「女海賊」という例えがしっくりくる、親戚の中でも一際厄介な人物だった。
「金華さん……また勝手なことを……」
あの叔母ならやりかねない。いや、むしろ確信犯だ。想名太は深い溜息をつき、頭を抱えた。
そんな彼をよそに、高千は満足げに微笑むと、軽やかに一歩下がって手を振った。
「初任務、応援してるからね。終わったら今度デートしましょう」
嵐のような少女、高千。彼女の去り際の可愛らしい笑顔に、想名太は毒気を抜かれたように、力なく手を振り返すことしかできなかった。
しかし、その背中を見送った後、再び冷たい現実が押し寄せる。 自分はこれから、一国の総理を殺しに行かなければならない。
五十代目・多賀吉備。その名の重さと、背負わされた「多賀」の暗闇が、想名太の肩にずしりとのしかかっていた。
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